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第十八話 ダンスの表現

絵の表現は私がやりたい表現方法だ。
下手だけどこうしてnoteで文章表現している。
子供の頃ピアノを弾いたので楽器の表現は経験した。
そして、ダンスという身体表現は未経験の新しい分野だった。

絵を描くようになってから過去の自分の幼さを悔やんだ。
ピアノを習っていた頃は楽譜を読むだけで何の表現もできていなかった。
ダンスも振り付けを覚えるのが目的ではない。
間違わないように踊ることは表現ではない。
間違わないようにピアノを演奏すること、
対象を正確に忠実に描くことは表現したとは言えない。

「技術で補おうとするから、表現が弱くなるのだ。
技術は後からついてくる。
表現は標準化でもバランスをとることでもない。
純粋さが強さだ。
踊りを踊らない。」

ダンススタジオ代表のT先生がダンスの指導の合間に発する言葉は絵画の表現に置き替えて、いちいち共感できることだった。

「踊りを踊らない」とは「絵を描こうとしてはいけない」ということ。
禅問答みたいだけれども、通じる人には通じる。

踊ると身体の中からエネルギーが湧きでるのを実感する。
それが喜びとなる。
座ってものを書く、立って筆を振るうのとは全く違うエネルギーが内発する。

スタジオには中学生たちが、10人ほどだろうか、踊りに来ていた。
T先生は生徒たちにボランティアでダンスの指導をしていた。
本業は社交ダンスの講師であるが、ジャンルを超えて振り付けをし、
ダンスの本質、楽しみを子供たちにもおしえていたようだ。
ちょうど義務教育にダンス必修が取り入れられた2013年頃のことだ。

北海道ダンスプロジェクトが主催するダンスパフォーマンスに
私も三度ほど参加した。ヒップホップ、ジャズダンス、コンテンポラリー、クラシックバレエなど様々な団体がダンスを披露する発表会だ。
十代から七十代の仲間と一緒に練習しステージに立った。
当時流行ったミュージカル映画「ラ・ラ・ランド」のテーマ曲に
T 先生が振り付けしプロデュースした。
社交ダンスの感性が織り込まれたダンスを社交ダンスのプロダンサーや
アマチュアやら老若男女で踊った。
本番前の緊張感、スポットライトを浴びて踊る高揚感、数分にも満たない本番はあっという間に終わる。
そしてまた再びステージに立ちたくなる気持ちの芽生えを体験した。

社交ダンスも踊った。
ほかのジャンルのダンスとの大きな違いは、パートナーとの
コミュニケーションで成り立つ難易度の高い表現ということか。
初心者の私が講釈を垂れることではないが、繊細で奥が深い。
沼にハマると抜け出せなくなる魅力がある。


果たして、身体表現を体験することは絵画の表現を深めることになったろうか?
こうして、ダンススタジオに関わり、後戻りできない人生という沼にはまり、この先きわめて高い授業料を払うことになる。













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