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12/18(火)台所には椅子を置け!

予定外の長時間睡眠などでnoteを少し休んでしまったが、ここ数日は睡眠リズムが崩れてもあまり悲観的・強迫的にならずに済んでいる。
以前は夕方に起きたり、昼に寝てしまうと自己嫌悪や焦燥感に襲われることが多かった。今思えば、自分の体が自分の思うようにコントロールできないことがストレスとなり、そのせいで更に状況が悪くなっていくという悪循環に陥っていたように思う。

この日記を書いているのは18日火曜日の朝10時前だ。
昨日も3時頃まで起きて活動してしまったが、目覚ましをかけた11時よりも早く目が覚めた。じいちゃんの羽毛布団のおかげもあって今朝は少し寝汗をかくぐらい暖かかった。
日曜日に買い物に行って仕入れた材料でまた「汁」を作っていたのだが、そればかり食べていたのでいま鍋は空だ。材料はもうひと鍋分買ってあるので、また調理しなければならない。
クリスマスも近いので欲しいものを書いておくと、以前飲食店で働いていた時に使っていた大きな寸胴鍋がほしい。冬の間は食べ物も傷みにくい(というか台所全体が冷蔵庫より寒い)ので、こういう時に大量に食べ物を作って備蓄しておきたい。

以前の日記でも書いたが、相変わらず僕は食料の備蓄願望が強い。
よくドイツのパン屋で売られている(イメージの)電子レンジくらい大きいパンの塊。
よくイタリアの地下で天井から吊るされている(印象がある)ラグビーボールより大きな肉の塊。
よくデンマークの市場で無造作に積み上げられている(と想像している)野球の2塁ベースを3枚重ねたようなサイズのチーズの塊。
この時期スーパーでも見かける、鮭を1尾丸ごと干して吊るしてあるもの。
200gごとにラップで包まれ冷凍庫に詰められているご飯たち。
様々な缶詰やインスタント食品たち。

そんな食べ物に囲まれた生活にいつも憧れている。
家にたくさん食べ物があるとついつい食べ過ぎて太ってしまうという懸念もあるが、それらが与えてくれる安心感には勝てない。

そんなことを書いていたらお腹が減ってしまった。
先に書いたとおり米も汁も切らしているのでインスタント麺を食べることにした。今年の7月から10月までのあいだ僕が経験したひきこもり&セルフネグレクト期間では、このインスタント麺が主食だった。
歩いて7歩の台所に行くことさえ億劫だった僕は、手元の電気ケトルでお湯を沸かし、滅多に洗わない丼に麺と調味料を入れお湯を注ぐという方法でインスタント麺を作っていた。申し訳程度に平皿で丼にフタをして、6分待って完成したそれの味はよく覚えていないが、とにかくそれが僕の主食だった。トッピングは海苔1枚なく、せいぜい生卵を割って落とす程度だった。

あの生活から抜け出して2か月。ようやく台所を片付けて自炊ができるようになった僕はやっと本来の調理法でインスタント麺を食べられるようになった。深めのフライパンにきちんと計った水を入れる。火にかけ、沸騰したところで麺を入れてタイマーを4分間にセットする。ちゃんと洗ってある丼に蛇口から出る熱湯を注ぎ、うつわを温めると同時に調味油も湯煎する。
温めた丼に調味料と生卵を割り落としたりしている間に4分が経つ。全てを丼に注ぎ、粉コショウを振って完成。相変わらずトッピングは無いが、今自分ができる限り丁寧に作ったそのインスタント麺は常軌を逸した美味しさだった。
何も特別なことはしていない。パッケージに書いてある通りに作っただけなのだが、少し前までの僕にはそれすらできなかったことを考えると、素晴らしい進歩だ。

そしてこれも大した工夫ではないのだけれど、自炊ができるようになってから始めたことの一つに「台所に椅子を置く」ということがある。
その椅子は小さく、背もたれもない。「少し高い踏み台」と言われれば納得してしまいそうな頼りない椅子だが、これを置いたことで確実に自炊の面倒くささが激減した。
「汁」を煮込んでいる間、お湯を沸かしている間、電子レンジで白米をチンしている間など、調理にはけっこう待ち時間も多い。今まではその3分や5分のために居室に戻っていたが、またすぐ台所に戻ることを考えれば無駄な行動だったし、火を使っている間はできるだけその前から離れたくない。そんな時に、座り心地が良くなくてもとりあえず腰掛ける場所があればそこに落ち着くことができるのだ。
僕の家は居室と台所が引き戸で区切られているので、この作戦はより効果的だった。調理の間台所で過ごすことが楽になったので、椅子に座りながらスマホで暇を潰したり、ちょっとした洗い物なら待ち時間の間に済ませることができるようになった。

思えば、自炊の面倒くささは調理そのものよりも後片付けによるところが大きい。自炊が「前回の自炊の片付け」から始まることが面倒なのだ。
僕の場合は前回の片付けをとりあえず置いておき、まず調理に取り掛かってしまう。そして、調理中に生じる空き時間を使って前回の洗い物や片付けを済ませてしまうのだ。椅子がちょうどよい高さなので、洗い物もほとんど座りながら行うことができる。調理が済んだらすぐに食べる。そしてその片付けはまた次回の自炊の時まで後回しにする。

台所に椅子を置くようになってからこのサイクルがうまく機能するようになり、おかげで自炊に対する面倒くささもほとんど感じずに済むようになった。さっきインスタント麺を食べるために使った丼も箸もほったらかしだが、これは昼ごはんの調理のついでに洗ってしまえばいいだけなので、これで問題ないのだ。

一人暮らしの自炊は面倒なものだ。
僕は自炊どころか食事そのものが面倒になってしまったくらいひどい状態だったが、今なんとか持ち直している。
お金さえあれば一切自炊をしなくても外食で済ませることができるのだけれど、そうもいかない人たちにとって自炊は必須の家事だ。最近僕が始めた「台所に椅子を置くこと」は、そんな面倒な自炊を少しでも楽にするためのちょっとした知恵だ。
とりあえず椅子を置く。特に用事が無くても座ってボーッとしているだけで、台所の気になるところが見えてくる。これはあそこに置いた方が使いやすいなとか、コンロが汚れてきてるなとか、あの調味料はあとどれだけ残っていたっけかとか。そうして台所を「居場所」にすることによって、少しづつ使いやすく、快適にしていく。それが僕が今進めていることだ。

思いがけず長い文章になってしまった。
そんなわけで、僕が「自炊が面倒だがしなければならない勢」に勧めたいのは「とりあえず椅子を置く」という方法だ。ぜひ試してもらいたいと思う。
今日のnoteはこれくらいにして、そろそろ昼食用の「汁」を作り始めたいと思う。今回の汁は鶏の手羽元でダシをとる。時間がかかるので、そのあいだ椅子に座ってゆっくりと洗い物を片付ける予定だ。

こんな生活なのでサポートして頂けると少額でもとても大きな助けになります。もしこのノートを気に入っていただけたら、ぜひよろしくお願いします。羊肉