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他人の犠牲になろう

世間の企業情報に躍る福利厚生の数々。

結婚休暇、産休、育休...etc

公的制度にもたくさん。

扶養控除、家族割、遺族年金、子育て支援金に学校無料化...etc

素晴らしい世の中だと思います。働いて、結婚して、子どもをつくって育てて。そういう幸せを社会みんなで応援してるわけですから。

普通の人がより幸せに生きていけるように。たくさんの人がより幸せに生きていけるように。大多数の人が幸せに生きていける。

みんな笑顔だよ?素晴らしいじゃん。

それでいいじゃないか...


ふっと、その制度ってぼくならどれくらい使えるのだろうかと考えてしまう。

ずっと1人で生きていく、誰に愛されるでもなく、そんな、そんな未来が明らかなぼくが、一体なんの制度を使えるんだろうか。

ぼくは多数派じゃない。普通じゃない。だから、みんなが幸せになれる仕組みには入れない。ぼくみたいな人間はそもそも考慮に入ってない、いないも同然。

民主主義は少数派に対して恐ろしく厳しい。


ぼくの頑張りの幾らかは税金に取られる、社会保険料に取られる。そのお金は幸せをひた走る普通の皆さんに使われる。ぼくに使われることはない。

産休でいなくなる人のために働く、育休でいなくなる人のために働く、結婚式のために休む人の代わりに働く。逆の立場になることはない。


笑顔で生きるたくさんの人々のためにぼくは犠牲になる。何の見返りもないけど、社会がそうしろというのだから。受け入れろというのだから。

だから、ぼくはこれから死ぬまでずっと、社会の幸せの奴隷になる。それが当たり前だから。国としての全体利益のために必要な犠牲だから。ぼくができることは、みんなの幸せな人生のために自分の幸せを潰すこと、それだけ。

だから、だから笑顔でこの現実を受け入れなきゃいけないんだ。みんなの幸せを心から喜ばなきゃいけないんだ。

妬んだり羨んだりなんて、絶対にしてはいけない。ぼくにはそもそもそんな権利なんてなかったんだから。そんなこと分かってる。


みんな幸せそうだね。よかったね。
みんな楽しそうだね。よかったね。

...。

笑顔、笑顔。

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