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標準パレットの普及に挑戦した人々

昨年12月に投稿した当社初代会長、平原直先生の物語をお読みいただいた方から、ご好評をいただきました。
今回は、平原先生の理念に共鳴し、のちにJPR社長となった坂井健二氏(1935‐2012)について紹介させていただきます。
(過去の記事はこちら。https://note.com/jpr_pr/n/ne5f4a12396be

JPRは、平原直先生の理念『物流現場に働く人々を重労働から解放する』をDNAとし、日本の物流効率化に挑戦しています。ご関心をお持ちのメディアの皆さま、お気軽にJPR広報部(pr@jpr.co.jp)までお問い合わせください。

坂井健二 氏
(1935‐2012)

物語はJPR入社前の時代に遡ります。

ブラジルに渡る

大学を卒業し、映画フィルムなどの輸入の仕事に就いた坂井氏は、海外にあこがれる戦後の機運にも後押しされ、ブラジルに渡ることを決意。1960年サントス丸という貨客船に乗り横浜港を出発しました。ブラジルでは、ラジオ局でアナウンサーとしての仕事を得、のちには貿易会社を営むことになります。坂井氏にとってブラジルでの経験は、日本のことを客観的に捉える機会ともなったようです。

ブラジル時代

平原先生との出会い

ブラジルで約10年を過ごした坂井氏は、アフリカを経由して一次帰国します。そこで再会したのが旧友のI 氏です。I氏は平原先生の理念に共鳴しJPRの設立に関わった人物です。設立直後のJPRは、会社としての器はできたものの、まだ具体的な活動に入れていなかったこともあり、坂井氏に「JPRに入社してマネジメントをしてほしい」、「平原先生に会ってほしい」と勧誘しました。
坂井氏は平原先生からパレットの持つ可能性、レンタルパレット事業の意義を説かれます。「ヨーロッパなどの先進国ではパレット輸送をしている。このままでは日本は立ち遅れてしまう。」「レンタルパレット事業が軌道に乗れば、日本社会そのものが近代化され国益につながる」と情熱的に語る平原先生に、坂井氏は強い共感を覚えました。
ブラジルに戻る予定を変更し、1972年にJPRに第一号社員として入社。ここから半生をかけてパレットの仕事に挑むことになります。のちに坂井氏はブラジルでの生活で経験した様々な国籍、文化の人々との関りが、自分の愛国心を高めることにつながったこと、平原先生の情熱に触れ「よその国に負けてたまるか」という気持ちになったと書き残しています。

産業界のために

小さな小さな企業だったJPRは、少しずつお客さまを得て、レンタルパレットの保有を増やしていきます。坂井氏は、レンタルの利便性を伝えるパンフレットを考え、全国を飛び回り標準パレットの意義を説得して回りました。どこへ行っても、「産業界のために」と、坂井氏はよくそう語っていました。ほとんどの人がJPRという会社さえ知らない時代に「産業界のためです」と語る信念。それは、平原先生の情熱を引き継いだことに加え、ブラジルで経験した世界や社会に対する感覚がなせる業だったのかもしれません。良い意味でちょっと日本人離れした人物でもありました。

当時は木製パレットが主流だった
草創期のパンフレット

韓国での標準パレット普及を支援する

平原先生のいわば弟子として、意思を継いだ坂井氏。実はお隣の韓国にも兄弟弟子ともいうべき仲間がいました。平原先生の考えに感銘を受け、韓国国内でパレットプールシステム構築を検討していた徐炳倫(Byong Yoon Suh)氏です。二人は標準パレットの普及を目指し、坂井氏は「韓国パレットプール株式会社」の設立を支援しました。二人は相互に行き来し意見を交わしました。そして今では韓国のほうが日本よりも標準パレットの普及が進んでいます。こうした功績に対して、坂井氏は2011年に韓日産業・技術協力財団の選定する「韓日産業協力賞」で、知識経済部長官表彰(個人部門)受章しました。

韓国出張時の記録

JPRで働く後輩として感じること

今回は、坂井健二氏のことを紹介させていただきました。私はいまJPRの広報部で、パレットを多くの方に知っていただくために働いています。私がJPRに入社したころ、坂井氏は社長でしたので(ですので、私に個人とっては坂井氏というより「社長」という感覚です)、直接パレットの仕事の意義を聞いたり、ときに厳しく指導を受けたりしました。
「産業界のために」はそのなかで繰り返し、繰り返し伝えられた言葉です。私は、平原先生から受け継がれた理念に共感しつつも、大きなことを語ることに遠慮や恥ずかしさを感じたのを覚えています。
いま、物流業界は大きな変革期にあります。私が、広報担当としてメディアの皆さんにお伝えしているは、結局「産業界のために」標準化が大切です、ということです。私は後輩のひとりとして、先輩の歩みの根っこにあるJPRのDNAを大切にしたいと考えています。