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森山至貴 x 四元康祐 往復書簡 『詩と音楽と社会的現実と』:第12回 映画「デイヴァイン・ディーバ」、早稲田大学セクハラ事件、前立腺と男性性、エロスと権力をめぐって

from M to Y

「野生」と「野性」の表記の違いに気づかず、お恥ずかしいかぎりです。レヴィ=ストロースの『野生の思考』を想起する私にとっては、「やせい」はどれもこれも「野生」と表記するのだと思っていました。調べてみたところ、森村誠一の小説は『野性の証明』だそうです。とはいえ、正直に言って両者のニュアンスの違いを私はよくわかっていないかもしれません。

学生には「あやふやに使っている単語があったら一度日本語以外の言語、たとえば英語に翻訳して考えなさい」と指導しているのですが(私自身も指導教員からそう教育されました)、その方針にしたがってみると、「野生」はwildness、「野性」はwild natureとなるでしょうか。「野性」のほうが事物の本質にわかちがたく結びついているというような。あるいはむしろ「生=life」と「性=gender/sexuality」のニュアンスの違いが決定的なのでしょうか。

四元さんにならって、私も最近試写会で観た映画の話をしたいと思います。『ディヴァイン・ディーバ』というブラジルの映画です。ブラジルで1960年代に活躍した8人のドラァグクィーンが、デビュー50周年を記念しておこなったショーと、そこに至るまでの悪戦苦闘を追ったドキュメンタリーです。

ドラァグクィーン、一般的には「女性性を誇張したパフォーマンスを、異性装をしておこなう男性同性愛者」と説明されることが多いのですが、この説明にはやや問題があります。第一に、現在では異性愛者の男性や、(トランス)女性のドラァグクィーンも存在するので、男性同性愛者のみにドラァグクィーンを限定することは不正確です。第二に、現在のように同性愛者とトランスジェンダーがはっきりと性のあり方として分離する前からドラァグクィーンは存在したので、歴史的にも男性同性愛者のみにドラァグクィーンを限定することは不正確です。「男が男を好きになるのは心が女だから」という理解が一般的な時代においては、「男が男を好きになる≒同性愛」と「男だけど心は女(このような理解の枠組み自体差別的なのですが、今はそのことはおいておきます)≒トランスジェンダー」は事実上同義だったのです。

これらの論点が、『ディヴァイン・ディーバ』においてはとても重要です。なぜなら、8人のドラァグクィーンたちが、みずからの性のあり方を認識し表現するやりかたは、それぞれに異なり、またそれぞれの呼び名の意味も現在一般的なものとは異なる可能性すらあるからです。ある人は自分のことを「女性」と呼び、ある人は「トランス女性」と呼びます。「ゲイ」と自称する人もいます。自らの性別についてはっきりと表現しない人もいますし、性別に自身の本質を還元したくない、という強い意志を感じさせる人もいます。

『カルメンとローラ』が愛によって発見される「本当の自分」を描いた映画だとすれば、『ディヴァイン・ディーバ』は、性別という要素を通じてそれぞれに発見される「本当の自分」を描いた映画だ、と言えるかもしれません。乱暴に整理すれば両者はそれぞれ「性的指向」「性自認」に関する映画だ、といえなくもないとは思いますが、もちろん実際の映画はもっとみずみずしく、学術的議論の網の目をくぐりぬけるよう輝きを放っているでしょう。それをこそ「エロス」と呼んでもよいのかもしれません。

もうひとつ、この映画にとって重要なのは、8人のドラァグクィーンは1960年代ブラジルの軍事独裁政権時代を生き延びてきた人たちである、ということです。とりわけ、8人がショービジネスの世界で、すなわち(直截な言い方をすれば)みずからを「見世物」にすることで生き延びてきたことは、私の中に複雑な感情を呼び起こします。すなわち、そのたくましさと美しさに対する憧れにも似た敬意と、自らの生き方を他人に消費してもらわなければ生きていけない、という苦難に対する恐怖が、同時に私の心に到来するのです。マイノリティと芸能、というのは古典的なテーマでもありますが、時代や国が異なってもそこに似たような構図の社会問題が存在することに驚くとともに、だからこそこのブラジル映画が日本で劇場公開されることにも意味があるのだろう、と思います。

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とここまでを書いたところで新幹線が郡山に着きそうになったので、一旦書くのを中断していました。東京を中心に活動している私にしては珍しいことに、福島県のある高校の合唱団が私の新作を初演してくれることになり、出不精を返上して福島出張に来ていたのです。といっても作曲家は初演当日の仕事はほとんどありません(演奏後に舞台の上にあがってお辞儀をするのが最大の仕事です)。その意味では大変気楽なものです。コンサートも滞りなく終わり、その晩は郡山に泊まって、今は翌日の帰りの新幹線の車中です。

とはいえ、演奏会前日の練習立ち会いも含めて2泊3日の旅程でしたので、やや疲労が溜まっているのも事実です。よく「枕が変わると眠れない」体質などと言いますが、私がまさにそうで、いつもと違う寝具、使い慣れない空調、廊下を歩く他の宿泊客の足音などが気になって、昨晩もあまり眠れませんでした。車中で眠ってしまってもいいかな、と思いつつも、たまには手紙の署名に東京以外の地名を添えてみたいという思いつきから、このタイミングで手紙を書いています。

なんとなくですが、四元さんからの手紙はいつも旅の途上で書かれている、という印象があります。これまたなんとなくですが、旅の荷物も少ない、という勝手なイメージもありますね。四元さんは旅巧者であるという私の直感は正しいでしょうか? 四元さんはいつもどのように旅の予定を立て、どのような荷物を持って(たとえば、どんな本を持って?)、どんな場所へ旅をするのでしょうか。ぜひ教えてください。

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ほんの少しの脱線のつもりでしたが、思いのほか長々と書いてしまいました。本題に戻ります。前便では日体大のアメフト部の問題について書きましたが、その後、まさに私自身のつとめる早稲田大学文学学術院における重大なセクシュアル・ハラスメント事案が報道を通じて明らかになりました。被害者のプライバシーを保護する必要がありますから、私が「インサイダー」だからといって事件の詳細や内部事情についてなんでも知らされているわけではないのですが、それでも各種の報道や教授会での経過説明などを突き合わせていくと、「なんでこんな酷いことが私の職場で起きてしまったのだ」と憤るしかありません。

できることからはじめようということで、正確な事実究明と被害者保護を求める声明をまず作成しました。この声明、賛同者の名簿を添えて早稲田大学総長に提出する予定になっています。私自身は早稲田大学の教員ですから、本当に簡単に、場合によっては大学の組織構造に水路づけられる形で、被害者を追い詰める集団の側に回ることができてしまいます。そのことをどう回避するかが、孤としての私に今課されている課題なのだと思います。

このような大学教員として「当事者性」とは別に、四元さんの前便の言葉遣いに即して考えてみたいことがあります。つまり、エロスの問題についてです。

私の職場で起きた事案のコアの部分でもあり、ひろく一般的にセクシュアル・ハラスメントによく当てはまることだと思うのですが、弱き者への権力の行使による性的な関係の強制が、強き者において(あるいは強き者の側に立つ集団において)「愛」を装うこと、もっと言えばエロスの顔をしてやってくることを、私たちはどう考えていけばよいのか、少し考えてみたいのです。

もちろんここで、権力を背景に強要される性的関係など愛の名に値しない、ということはできますし、ましてや私たちが考えているエロスとはなんの関係もない、ということもできるでしょう。しかし、このような切り返し方は、一歩間違えば「エロスとはよいエロスのことだけを指す」といった、いささかずるい再定義にしかならない気もするのです。絶対無分節としてのエロスが権力関係と相容れない、ともっとも分析的に結論づけて安心したい、と言ってもいいかもしれません。おそらく問いは、「孤」を権力関係に回収されないものとしていかに擁護するか、というこの往復書簡の当初のテーマに回帰するような気もするのですが。

唐突ですが四元さん、ハラスメントという権力関係を背景にした暴力と、エロスは、どこではっきりと袂を分かつことができるのでしょうか。なにかお考えがあったら教えてください。

分析的に、というよりも前に直感的に気になっていることもあるのです。四元さんと私は、性的指向こそ違うもののともに男性です。思想がそれを論じる者の性別に還元されるとは私は思っていませんが、もしかしたら四元さんと私はエロスを「男性的」な枠組みで考えているかもしれません。私自身はそうではないと信じたいし、そうではないしかたで考えたいとも思っていますが、しかしだからこそ、自らの「男性性」を絶えず自省していくことは、私にとっては最低限の倫理であるとも思えます。

何の気なしに使った「倫理」という言葉に、あるいはその言葉の硬さと切実さに、少し自分でも驚いています。四元さんの詩にとって、あるいは詩を書く四元さんにとって、倫理とはどのようなものでしょうか?絶対無分節の世界においては、倫理という分節化の作法は、それ自体無意味なのでしょうか。

2018年8月18日
郡山から東京へと走る東北新幹線の車上にて

From Y to M

森山様、前便をいただいてから一月以上経ってしまいました。その直前まで日本にいたんです。日本滞在中はボクシング連盟のパワハラ問題が連日朝から晩まで繰り返し報道されていました。早稲田大学のセクハラ問題も小耳に挟みましたし、それに対して森山さんが正面から取り組んでいらっしゃるご様子も伝わってきました。どこかでお会いしたいな、とも思ったのですが、結局差し控えました。この往復書簡をやっている間は直接会わないほうが面白くなりそうだ、という気がしたんです。

いったんミュンヘンへ帰った後、九月の第一週は妻と古い友人の三人でイギリスの田舎をハイキングしていました。Pennine Wayと呼ばれる古くからの山道で、標高こそ高くはないものの、時には崖っぷちを這うように進み、時には見渡す限りの泥炭地を一直線に突っ切り、しばしば霧に巻かれてずぶ濡れになりながら方向を見失い、となかなかワイルドでタフな体験でした。僕らは毎日15キロから20キロほど三日間歩いただけですが、全コースは北イングランド(マンチェスターの近く)からスコットランドまで連合王国を縦に貫く400キロ超のコース、へとへとになりつつも来年また続きを歩こうと誓い合ったのでした。

そういう合間を縫って、今年の初めから雑誌「群像」にほぼ隔月で連載していた小説を完結させ、その単行本化の準備を進めていました。でも、これ、小説って呼ぶべき代物なのかなあ。内容は僕が二年前にやった前立腺がんの手術とリハビリにまつわる実体験に基づくものだし、形式も散文と詩が交互に出てくるちょっと変わったものなんです。と言えば、この往復書簡にこれまで付き合ってくださった森山さんなら、ぴんと来るでしょう?そう、歌日記とか歌物語の現代版です。以前は紀貫之の「土佐日記」が僕にとっては歌日記の代名詞でしたが、今回は和泉式部が我がアイドルでした。

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自分が罹って初めて分かりましたが、前立腺がんって変な病気なんです。最近は技術の進歩で早期に発見すれば治療できるようになりましたが、がんはがんですからね。メスや放射線で除去したと思っても、がん細胞が転移してしまえば命にかかわるし、いつ再発するかも分からない。その点では死を意識せざるをえないシビアな病気です。

でもその一方、実際に治療やリハビリを進めてゆくうえでお医者さんと話すことは、ほとんどが「下の話」。オシッコをちゃんとコントロールできるか、そしておちんちんがちゃんと勃つか、の二点です。小説にも書きましたが、ドナウのほとりのリハビリセンターで過ごした三週間、結局やってたのは膀胱の括約筋を鍛えるための骨盤底体操と、勃起不全を治す各種薬剤や器具の研修(当然ですが、中高年のおっさんばかりが真剣そのものの面持ちで参加する)だけでしたから。

つまり形而上と形而下の問題が烈しくぶつかりあう、それが前立腺がんの特徴だといえるでしょう。生の儚さ、老いへの不安、そして遅かれ早かれ避けることのできない死の恐怖。そういうキーツやシェリーの詩に出てくるような実存的な課題と、本人の人格とは関係なく論じられる下半身の機能性。その滑稽にして哀しい対比が我ながら可笑しくて、これは書かずにはおられないと思いたったわけですが、このうち勃起に関する部分は、エロス・ジェンダー・セックスにまつわる我々の議論とも関わってきます。

これも今回初めて知ったのですが、前立腺を取ると射精という行為そのものがなくなるんです。精液は引き続き作られても、それを体外に放出するルートが遮断されてしまう。つまり前立腺を除去した男にとって、勃つ勃たないはもはや生殖ではなく性交のため、あるいはひたすら男としてのプライドを保つため、といった切ない話となります。「男性性」の象徴と化してしまうわけです。

考えてみれば当然の話で、失ったからこそいっそう恋しくなる、というのが人情でしょう。そういう意味では、前立腺を取り去った直後の男たちは、自らの「男性性」をどう捉え直すかという課題を(もしもがんが再発・転移したらどうしようという不安と平行して)与えられると言えるかもしれません。いや、なにも前立腺を取らずとも、老いの過程のなかで誰もが通り過ぎるプロセスでしょう。そしてそこから、消える直前の炎がひときわ燃え盛るように、老人独特のエロティシズムも湧き溢れてくる……

これは自分を振り返っても思い当たるふしがあります。五十を過ぎたあたりから、自分の中で性的な感覚に変化が出てきた気がするんです。若い頃よりも皮膚感覚が鋭敏になったような、それでいて自分の心の一番深いところで性的な欲望に反応しているかのような。ようやく今頃色気づいてきたのかと我ながら呆れつつ、もしかしたら思春期の性の目覚めを再び追体験しているのかな、と思ったりもして。これまで僕は詩の中で性愛というものをしっかり扱ったことはなかったので、これから向き合うべき大きなテーマになるんじゃないか、という感じもしています。

ちなみに今回の小説を連載していたとき、ある文芸批評家から「この作品は男性性の虜になっている。せっかく前立腺を取ったのだから、男性性の呪縛からも解放されて、まったく新しい自我の基盤を切り開くべきであったのに」と厳しく批判されたことがありました。彼がなぜあんなに怒らなければならないのかよく分からないのですが、こっちとしてはまさに男性性の呪縛を受けるその顛末を書いているわけで、大体臓器を一個切り取っただけで自らの男性性とおさらばするなんて出来るわけがないだろうと思うのですが。むしろフロイトのいう「悲哀とメランコリー」の原理でより男性性の内面化が進むというのが実情ではないでしょうか(森山さんに教えられて、ジュディス・バトラーを拾い読みしているんです)。

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そう言えばこの前の前(6月18日付け)の手紙で、森山さんはこう書かれていましたね。「私の乱暴な仮説では、性や死が何か本質的に特権的で絶対的な価値を持つというよりは、言語によって何かしらを表現しようとする、それもどこまでを表現できるかを試しつつ表現する際、人々が想像が及びやすく手に取りやすいテーマが性と死なのではないか、と思えるのです」

まさにその通りですね。そのまま詩の定義になるようにも思えます。あるいは小説も含めて、すべての文芸に対して当てはまる言葉のようにも。それまで文学にはとんと縁の無かった僕の父が、八十を過ぎた頃から詩(のごときもの)を書き始めて驚かされたのですが、彼の場合もそうだったのかもしれません。死を前にして、生まれて初めて「表現」への欲望が生まれた。逆に言えば「言語による写し取り」という行為のなかに、自らの存在の「臨界」を乗り越えてゆく希望を見出そうとした……

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さて、エロスと権力、あるいは暴力との関係。「ハラスメントという権力関係を背景にした暴力と、エロスは、どこではっきりと袂を分かつことができるのでしょうか」という森山さんの問いかけを読んで、正直戸惑っています。僕にとっては、エロスと暴力は分かち難く結びついているからです。権力という点にしても、支配と被支配(あるいはその拒絶)という関係性のダイナミズムとエロスを切り離すことはできないと感じています。

毎回引き合いに出す『和泉式部日記』にしても、彼女が敦道親王に対して燃やしたエロスは、彼が時の最高権力者であるという事実と無関係では有り得ない。敦道が強引に牛車を差し向けて和泉を連れ出すところなんかは、究極のセクハラとも読めるわけですが、それを和泉自身は嬉々として描いています。生身の和泉が実際その場面でどう感じていたかは分かりませんが、少なくとも表現者としての彼女は、エロスと権力の絡み合いにこそあの場面の醍醐味を見出していたはずです。

以前からなんとなく思っていたのですが、詩って、真善美のなかでは何よりも「真」に親和性があるのではないか。古典の場合は「真」よりも「美」だったかもしれないけれど、近代詩以降はやっぱり真実の追究(森山さんの言葉を借りれば「言語による写し取りの臨界点」への接近)が先に来るのでしょう。その次が「美」。では「善」は?詩における「倫理性」とは?これはどうも落ち着きが悪い。現代詩となると居場所がないといってもいいかもしれない。

少なくとも僕自身は、これまで詩を書く上で「善」や「倫理性」を意識したことはなかったし、むしろそれらを排除するような仕方で書いてきた気がします。その場合の言い訳としては「善や倫理というのは現実の行為における話だから。詩に行為の要素を持ち込むと偽善につながる」というものでしょう。仮に詩人が行為と表現を両立させて偽善に陥らなかったとしても、そういう作品はプロパガンダ的で面白くないんじゃないか、という懸念もあります。

では、「善」を「愛」と言い換えてみたらどうだろう?森山さんの前便の中でも、「エロス」と並んで「愛」という言葉が何度か使われていましたね。エロスは片方で暴力や権力と通じているけれど、もう片方では分かち難く愛と繋がっている。もしかしたら愛とは真善美をすべて包みこんでしまう最も根源的なエネルギーではあるまいか。だとしたら、たとえ「善」について書かずとも、「愛」について書かないというのは詩人として致命的な欠損ではないか。これから自分が本当に書いてゆかねばならないのは、性愛ではなく、性を超えてたどり着くべき愛だったのでは?

フィレンチェの街角で一目惚れしたベアトリーチェを追いかけて、地獄から天上へと登りつめ最後には宇宙の始原の愛のなかに飛翔していったダンテの『神曲』、はたまたドイツの素朴な町娘グレートヒェンを相手に同じ旅路を辿るゲーテの『ファウスト』などを思い浮かべては、そんなことを考え始めたのは、やっぱり手術がきっかけだったようです。

そこでまた森山さんに質問です。森山さんにとって「愛」って何ですか?「エロス」と同義なのでしょうか?森山さんが研究する社会学や、創り出す音楽作品のなかで、愛はどう捉えられ、どんな働きや意味を持っているのでしょうか?

2018年9月22日
フロイトの気配の漂うウィーンにて

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