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jpr Essay

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詩論、詩人論など、現代詩を考察するする文章。
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2017年6月の記事一覧

三宅勇介の「詩型横断的現代詩評」:失われた詩型を求めてー後期吉岡実論

三宅勇介の「詩型横断的現代詩評」:失われた詩型を求めてー後期吉岡実論

吉岡実の最後の2詩集、『薬玉』、『ムーンドロップ』は極めて特殊な詩のフォルムを持っている。吉岡の詩集の中でも類を見ないフォルムである。しかし、歌集を見慣れた者が見れば、行分けをされているものの、その上下に分けられたフォルムから、直感的に短歌を連想するはずだ。いや、言葉の矛盾を承知の上でいうなれば、そうした短歌群が続いていく、「自由詩による長歌」とも言うべき詩のフォルムを持っているのではないか。今、

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Life Changes; Memory Changes; Now is Forever Gone, an essay by Leith Morton (Tada no Jiji)



Reading and translating the poetry of Yasuhiro Yotsumoto, I noticed his postscript to his 2012 volume Nihongo no Ryoshū, and translated a section of it in my recent volume of translations of his poe

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特別寄稿エッセイ「生は変わり、記憶は変わり、〈今〉は永遠に失われる」     by(ただの爺こと)リース・モートン



四元康祐の詩を訳していると、2012年の詩集『日本語の虜囚』の「あとがき」が目に留まった。そこでその一部を最近出版した四元康祐・水無田気流・宋左近の訳詩集に引用することにした。水無田気流はまだ若い書き手なので(少なくとも私にとってはそうである。私は老人で、好きな日本語で云えば「ただの爺」に過ぎないのだから)、彼女の詩のこれからの変化を予想することは難しい。宋左近は長めの詩から短めの詩へと変わっ

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