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jpr Essay

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詩論、詩人論など、現代詩を考察するする文章。
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2017年5月の記事一覧

岩田宏と触媒としての林光

岩田宏と触媒としての林光

 岩田宏(1932-2014)という詩人が最近気になっている。と書くと馬鹿かと思われるだろうか。

 もちろん名前を聞いたことはあったし書いたものを読んだこともあったが、名高い翻訳家である小笠原豊樹と同一人物であると初めて知ったのが訃報を通じてだったので、果たしてどれほど正しくその存在を認識していたかはまったくこころもとない。
 没後、小笠原名義の遺作となった『マヤコフスキー事件』をぱらぱらめくっ

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三つの石原吉郎像:細見和之、野村喜和夫、三宅勇介(その3)

三つの石原吉郎像:細見和之、野村喜和夫、三宅勇介(その3)

さて今回は歌人にして歌論家でもある三宅勇介による石原論だ。『短歌における石原吉郎の位置と姿勢について』。タイトルからいきなり「位置」が登場することに注目しよう。副題に「歌集『北鎌倉』詩論」とあるが、その論は短歌だけに関わるものではなく、むしろ詩と短歌の関係性そのものを探っている。「一、はじめに」で三宅は云う、

「私の興味は詩、短歌、俳句という詩形式を比較して、そのおのおのの詩形について理解を深め

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三つの石原吉郎像:細見和之、野村喜和夫、三宅勇介(その2)

三つの石原吉郎像:細見和之、野村喜和夫、三宅勇介(その2)

細見和之の『石原吉郎――シベリア抑留詩人の生と詩』と野村喜和夫の『証言と抒情――詩人石原吉郎と私たち』について、前項ではその概観とアプローチを比較したが、ここではもう少し踏み込んで、具体的な詩作品に即しながら細見と野村の読み方を比べてみよう。いわば比較対照試験だが、被験者には「位置」という作品を選びたい。石原吉郎の代表作のひとつであり、第一詩集『サンチョ・パンサの帰郷』の巻頭に置かれている。

 

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三つの石原吉郎像:細見和之、野村喜和夫、三宅勇介(その1)

三つの石原吉郎像:細見和之、野村喜和夫、三宅勇介(その1)

2015年後半、相次いでふたつの石原吉郎論が出された。まず8月に細見和之の『石原吉郎――シベリア抑留詩人の生と詩』、そして11月には野村喜和夫の『証言と抒情――詩人石原吉郎と私たち』だ。いずれも300ページを超える大作である。そしてどちらも実際に現代詩を書き続けている実作者の手による評論である。そこからはおのずと共通した姿勢が浮かび上がる。細見も野村も、冷静で客観的な研究者ではあり得ないのだ。むし

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