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詩集や詩作品の紹介、鑑賞。
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#小池昌代

小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その4

小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その4

あともうひとつだけ、どうしても論じてみたい詩があるとすれば、「釣りをした一日」で、それは詩集の4番目に配されているのだった。困っちゃうな。これじゃきりがないよ。

実際、この詩集の最初の4作品には、異様な力が込められている。登板早々、いきなり連続三振を奪うベテラン投手の迫力である。選手生命を賭けて投げているのだ。『赤牛と質量』は、きっと小池さんの代表作になるだろう。(ここで前言撤回。どうしても論

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小池昌代の〈詩と小説〉:『赤牛と質量』を読む その3

小池昌代の〈詩と小説〉:『赤牛と質量』を読む その3

この詩集に収められている詩を、片っ端から網羅していこうというわけではないが、三番目の詩「香水瓶」もどうしても外せない。現代詩における〈自由〉を問いかける作品だからだ。それは僕が詩集『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』で取り組んだ問題でもある。

20年前に詩の賞の副賞として貰った6本の香水瓶から詩は始まる。

それぞれの瓶にアルファベットが刻まれ
普通に並べれば poetry ぽぅえっとりぃー

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小池昌代の〈詩と小説〉:『赤牛と質量』を読む その2

小池昌代の〈詩と小説〉:『赤牛と質量』を読む その2

詩集の二番目に置かれている「ジュリオ・ホセ・サネトモ」という作品には、見覚えがあった。以前雑誌で読んだ時の、冒頭の印象が強烈だったからだ。

妻とはセックスしない
妻だけでなく
もうだれとも
韓国で出会ったスペイン人
ジュリオ・ホセ・マルティネス・ピエオラは言った

韓国で開かれていた詩祭の席で飛び出した発言らしい。「一座は湧いた」「韓国ではまだ/みんな妻と性交をしている/日本ではーー」などと言っ

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小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その1

小池昌代の〈詩と小説〉: 『赤牛と質量』を読む その1

小池さんの最新詩集『赤牛と質量』の特徴は、自由自在な重層性だ。

冒頭に置かれた「とぎ汁」を見てみよう。

死ぬときも
こぎれいにしておかなくちゃいけない なんて言って
ハサミ、シャキシャキ
せっせと他人の
髪の毛を切ったり 顔を剃ったり
(中国では みみたぶにも剃刀をあてるの)
そして百二歳まで生きた
胡同(ふーとん)の床屋さん

出だしの部分だが、いわゆる口語自由詩の典型的なスタイルだ。カッコ

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小池昌代の〈詩と小説〉: 『影を歩く』を読む その3

小池昌代の〈詩と小説〉: 『影を歩く』を読む その3

『影を歩く』では、小説と小説の間に詩が挿入され、小説の中にも詩があるのだが、その一方、詩の中に小説の素が編み込まれてもいる。たとえば第二章の冒頭に置かれた「二重婚」という詩(それにしてもすごいタイトルをつけたものです)のこんな一節。

すでに十分老いたあなたは
新しいことができなくなった
しかしかすかに残る
性欲をもえたたせ
小鳥とともに歌う
タクトを振り
あの第二バイオリンの若い女を
欲しいと思

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小池昌代の〈詩と小説〉: 『影を歩く』を読む その2

小池昌代の〈詩と小説〉: 『影を歩く』を読む その2

生活から出ていかなければならない。その感覚は、小池さんの作品のなかではいつも突然の不意打ちとしてやってくる。『影を歩く』の第三章に入っている「水鏡」(短編小説)はその典型だ。

荒れている高校生の娘の部屋に『土佐日記』が投げ出されているのを「わたし」は見つける。拾い上げて、頁を捲り、貫之の「影見れば波の底なるひさかたの……」の歌を読みながら海の底を思う。「わたし」は夫を船の事故で亡くしているのだ。

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小池昌代の〈詩と小説〉:『影を歩く』を読む

小池昌代の〈詩と小説〉:『影を歩く』を読む

昨年末、小池昌代さんと公開トークを行う機会があった。それぞれの新刊を持ち寄って話し合うという企画。僕の本は『前立腺歌日記』、そして彼女の本が『影を歩く』だった。もっとも僕がドイツを出発する時点で『影を歩く』はまだ手元に届いていなかった。いま奥付をみると発行日は2018年12月11日となっている。最終ゲラをPDFで送ってもらい、僕はそれをiPadで読みながら日本行の飛行機に乗ったのだった。

『前立

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小池昌代『ときめき百人一首』を読む:古典の岩肌に浮かび上がる現代詩人の忍摺り

小池昌代『ときめき百人一首』を読む:古典の岩肌に浮かび上がる現代詩人の忍摺り



河出書房新社の「14歳の世渡り術」シリーズのひとつとして書かれた「味わうための百人一首入門!!」という触れこみだけど、54歳をとうに越えた僕にとっても、衝撃的な一冊だった。

百人一首だけではなく和歌という詩形式を味わうための指南書でありながら、同時に小池昌代というひとりの現代詩人のアフォリズム集にもなっている。そしてそのなかから詩とその技法、そして生の諸相に関する深くて赤裸々な(14歳には早

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