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夏の素謡と仕舞の会

雑誌、表現者クライテリオンの同人ブログにて記事を執筆しています。クライテリオン7月号本誌に過去の記事を掲載していただきました。政治や経済に明るいわけでない私は、自分なりに、文化や藝術に想うことをコラムとして投稿させていただいています。

「見る」ということにつけて、お能が不思議な、洗練された芸能だと思うのは、視覚で捉えられるものでさえ「抽象的」につくられており、現実世界をそっくりそのままには再現していないことである。たとえば「お面」。たとえば「小道具」。たとえば「舞」。すべて、あるものの本質だけを抽出したような姿をしており、それゆえ、観客にはそれぞれの想像の余地が残されている。謡を聴き、頭に浮かぶぼんやりとしたイメージ、実は、そのぼんやりしたイメージをそのまま視覚化したものが「能」なのではないか、と素謡を聴くうち、私はそんな気がしてきた。鮮明に頭に思い描いていると思うことも、実は、お能のようにぼんやりしたものなのかもしれない。いや、本当は、そのぼんやりしたものこそ、はっきりと全てを映し出しているのではないだろうか。

#009 『夏の素謡と仕舞の会』 記事本文より



本誌7月号に掲載していただいた文章です。


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