妄想の(妄想 森鴎外)日─


“冷静に、と言っても、自分は道角、辻に立っていても、たびたび帽子を脱いで挨拶した。昔の人にも、今の人にも、敬意を表す人が大勢いた。
 しかし辻から離れて、その人を尾行して行こうとは思わなかった。多くの師には合ったが、そういう師は合わなかった。”

“自分のために、他人に毒薬と短刀を用いることを良しとする。こんな暴君の道徳の典型など、真面目に受け取るわけにはいかない。その上「し」の細かい倫理説を唱えられて、我々は評価の革新への新しさを殺されてしまった。”

 目の前には広い海が横たわっている。海から打ち上げられた砂が、小山のように盛り上がり、自然の堤防を作っている。要塞とはここを言うのである。
 その砂山の上に、細長い赤松がたむろしている。昔からある松ではない。
 海を眺めている白髪の主人は、松を少し切ると、松林の中の小家に座っている。
 主人が忙しく人と会っていた頃に、別荘の真似をして立てたこの家は、二つの部屋と台所だけ。今いるのは東の海を見渡せる、六畳の居間である。
 海を見れば、砂山の崖は松の根が縦横に覆われて、鋭く中が崩れた断面になっている。なので波だけが見えているが、山と海との間には、一筋の川と一帯の中洲がある。
 川は迂回して海に入るので、崖の下では甘い水と塩辛い水が出合う。
 砂山の後ろの低い場所には、漁業と農業を兼ねる家がぽつぽつ立っているが、砂山の上には主人の家が、ただ一軒あるだけ。
 いつかの台風で漁船が一つ打ち上げられ、松林の松の枝先に釣られていたという話のあるこの砂山には、土地のものは不気味に恐れて誰も住まない。
 川は上総の夷灊川、海は太平洋。
 秋が近くなり、ボンヤリとモヤがかかる見え辛い松林の中の、綺麗な砂を踏んで主人は歩き、食事係が作った朝食をしまい、今、自分の居間に座ったというところだ。
 周りは静かで人の声も、犬の鳴く声も聞こえない。ただ朝の、静かな、鈍い、重苦しい波の音といった、天地の脈動が聞こえるだけ。
 ちょうど橙色の日輪が、真向かいの水と空が接したところから出た。水平線を基準に見ているので、日はずんずん昇って行くように感じる。
 それを見て、主人は時間について考える。生や死について「日─とは」と考える。
「死は哲学のために真の、嘘を膨らませる神である、導きの神」
 と言ったのは。本を読むのは危険だ。そのまま信じてはいけない。本をその言葉のままに信じる人間こそが愚かになり、それだけ愚か者を創るからだ。
 本とは読む人の熟慮を助ける薬であって、読む人を洗脳させて、溺死させる、一方的なアルコール毒ではない。
 主人はあのあたりを思い出し、そんな気がすると思った。けれど死とは、生を考えずには考えられない。死を考えるとは、生が無くなると考える。
 これまで多くの人が書いたものを見れば、大抵、寿命が近づくにつれて死を考えることが切実になるらしい。主人は過去の経歴を考えると、そういう人々とは少し違う。

 自分がまだ二十代で、何も知らない未知の世界で、外界の出来事に何でも目新しく興奮し、挫折も知らなかった頃。自分はベルリンにいた。自然の重みの下、劇場では祖先を主人公にした脚本を演技させて、学生仲間の青年の心を支配していた。
 昼は生き生きと働く。何事にも不器用な人種より、機敏に立ち働く日本人は得意な気持ちも起きる。夜は芝居を見る。舞踏場に行く。そして珈琲店に行って、帰り道には街燈だけが寂しい光を放ち、夜中に帰る。帰らないこともある。
 やっと自分の住む宿に帰り着く。宿と言っても大豪邸で、邪魔な無駄に大きな鍵で開けて、蝋燭に火を灯して、三階か四階へ。
 テーブル一つにチェアが二つ三つ。ベッドとタンスとキャビネット、これだけがある。部屋の火を灯して着物を脱ぎ、また火を消すと直ぐ、ベッドの上に寝る。
 心の寂しさを感じるのはこういう時。それでも落ち着いて平穏な時は、故郷の景色が過ぎるに過ぎない。その幻を見ながら眠る。ノスタルジアとは人生の深い苦痛ではないが、
妙な拍子で思い出すと寝られない。また起きて火を灯して仕事をしてみる。仕事に集中できたら余計なことは考えず、徹夜してしまうこともある。明方近く、外で物音が聞こえてから少し眠るだけで、若い時の疲れはすぐに回復できる。
 たまに、その仕事が手につかない。神経が異様に興奮して、心が澄んでいるのに、書物を開けて、他人の思想を辿るのが、もどかしくなる。自分の思想が自由形で紳士も捨てて泳ぎ始める。自然科学のうちで最も自然科学らしい医学をしながら、なんとなく心の飢えを感じる。生について考える。自分のしている事が、その生の内容を満たすかどうかと思う。
 生まれてから今日まで、いつも何かに追われて、逃げるように、焦るように学ばされている気がする。これは自分の役目である仕事が出来るように、自分を仕上げるためだと思っている。その役目は結構、果たしているかもしれない。でも自分のしている事は、役者が舞台に出て、自分自身を偽っているだけのようにも感じる。その必死で演じる主人公でも、通行人でも、その役目の後ろに、別の何かが存在しなくては。叩かれながら逃げる学びに、その何かが覚醒する暇がないように感じる。勉強する全ての人が、みんなその演技者である。分厚く化粧を塗られている顔をいつか洗って、少し舞台から降りて、静かに自分とは、と考えてみたい。後ろの顔をちらっと見たいと思いながら、舞台監督の鞭が叩くのを背中に受けて、役から役を目まぐるしく演じ続けてる。自分は、この役こそが生だとは考えられない。後ろにある何かが真の生きることではないかと思う。しかしその何かは目覚めようと思いながら、また眠ってしまう。この頃では、切実に感じる故郷の恋しさも、浮草が波に揺られて遠くへ行って浮いているのに、その揺れるのが根に響く感じで、これは舞台でしている演技のような感じでもない。そんな感じは、少し頭を上げると、また引っ込む。
 それとは違う眠れない夜、こんな風に舞台で自分を作られて、その役目を果たすだけで生涯を終えるのかと思うことがある。その生涯は、長いのか、短いのか。ちょうど、留学生仲間の一人が伝染病で死んだ。講義のない時間、見舞いに行くと、伝染病室のガラス越しに寝ている姿を見せてもらった。熱が四十度を越すので、毎日冷水浴をさせているらしい。自分は、日本人の彼にとって冷水浴は危険なのではと思い相談してみたが、病院の治療方針を変更できるような立場にもなく、取り合ってくれないので、傍観するしかなかった。そして次の日も見舞いに行くと、昨夜死んだとのことだった。その死に顔を見たとき、自分は酷く傷ついた。自分だって、いつどんな菌に感染されて、こんな風に死ぬかわからない。それから何度も、異国のベルリンで死んだらどうしようと思った。
 そういう時は、まず故郷で待つ親がどんなに悲しむだろうと思う。それから身近な多くの人を思う。特に自分に懐いていた弟が、まだやっと歩きだしていたのが、毎日毎日、兄さんはいつ帰るのかと聞いているよ、と手紙で言われた。その弟が、もう兄さんは二度と帰らないと言われたら、どんなに悲しむだろう。
 留学生として、学業を達成せずに死んで帰るなど済まされないと思う。そう抽象的に考えているうちは、感情の薄い義務感だけでも、一人一人、具体的に自分の人生で出会った人を自分の中で尋ねて見ると、自分に苦痛を感じさせる。
 様々な思想が起こる。つまり死とは、あらゆる方向から引っ張る糸が総合している、この自分というものが無くなることだと思う。
 自分は小さい時から小説が好きなので、外国語を学んでからは、暇があれば外国の小説も読んでいる。誰の何を読んでも、この自分が無くなるということは、最も深い苦痛だと書いてある。ところが自分には単に自分が無くなるだけなら、苦痛とは思えない。ただ、刃物で切られて死んだら、肉体が痛いだろうし、病や薬で死んだら、窒息や痙攣が苦しいだろうと思う。しかし自分が自分で無くなることには肉体的な苦痛は無い。
 死を恐れないのは野蛮人だと西洋人は言う。自分は野蛮人かもしれない。小さい時に親から、侍の家に生まれたのだから、いざとなればいつでも切腹できるような人間でいなさい、こう言われたことを思い出す。その時も切られた傷の、肉体の痛みがあるだろうと思い、その痛みを思い出す。しかし西洋人の見解が絶対、正にそうである、とは言えない。
 それなら自分が無くなるのは平気なのかと言われた時、そうではない。その自分が在る間に、それをどんな物かと、しっかり考えても見ずに、知らずに、それを無くしてしまうのが惜しい。残念だ。何もせず、生きがいもなく、自分なしに脳を他人に任せて、コントロールされる体のみの自分で、楽な生涯や平和を目指し、それを見送るのはあまりに酷い。口惜しい、残念だと思うと同時に、痛切に心に空虚を感じる。なんとも言えない寂しさがある。
 それが苦痛になる。
 自分はベルリンでの眠れない夜中に何度も精神的に苦悩した。自分が生まれてから今までした事が、嘘のように思える。舞台の上の役を演じているだけだったと、切実に感じる。そういう時に、これまで人から聞いたり本で読んだりした仏教やキリスト教の思想の断片が、心に浮かんでは消える。何の医者の慰めも与えずに消えてしまいそうで、その時に、これまで学んだ自然科学の、あらゆる事や、あらゆる推理を繰り返す。しっかり見て、どこかに役に立つ物はないかと探す。しかしこれも無駄なことだった。
 ある夜の事。哲学の本を読もうと思いたち、夜明けを待つと哲学書を買いに行った。こうして読むのは初めてのことで、その本にしたのは、賛否の声がうるさかったから。
 その人は幸福を人生の目的だとすることが不可能である証拠を掴もうとする。人間が現世で幸福を得ようと思う。恋などは主に苦である。幸福は性欲を元から断つところにある。人間は幸福を犠牲にして、世界の進化を成し遂げている。次に、幸福を死後に求める。それには個人の不滅を前提にしなくてはならない。しかし個人の意識は死と共に消滅する。神経は、ここで絶たれる。最後に、幸福を未来に求める。これは世界の発展進化を前提とする。しかし世界はどんなに進化しても、老化や病気で困ることは終わらない。むしろ進化するほど、より、無しで済まされることは困るように感じる。苦は進化と共に酷くなる。幸福は永遠に得られないのである。
 その世界は善く造られている。しかし有るが好いか無いが好いかでは、無いが好い。それを存在させる根源を、無意識と名付ける。だからと言って、生を否定したって世界は駄目になる。ある人種が、ある人種にとって都合好く消滅しても、また次の人種ができて、同じ事を繰り返す。そういうことよりも、人間は生を肯定して、自分自身を世界の過程に置いて、甘んじて苦を受けて、世界の助けを待つのが良い。
 この結論を見て悩んだ。さらにその著者の痕跡を遡ると、自分はぞっとした。
 世界は有るよりは無い方が好いばかりではない。出来るだけ悪く造られている。世界が出来たのは失敗だ。無の安さが誤まって撹乱しただけ。世界は認識によって無の安さに帰るより他にはない。一人一人の人は、ひとつひとつの失敗で、有るよりは無いが好い。個人の永久不滅という欲望は、失敗を無限にしようとする。個人は滅んで人間という種類が残る。この消滅せず、残るものを、滅びる写真の反対として、意志と名付ける。意志があるから、無は比較して必ずの無ではなく、二つが互いの無である。個人が無に帰るには、自殺すればいいのか。自殺しても種類が残る。物その物が残る。そこで死ぬまで生きなくてはならないという。
 自分はどうだろう。

 留学三年の期間が過ぎた。自分はまだボンヤリの動揺を心の内に感じていながら、どんな師よりも学べる文化の国から帰らなくてはならない。生きた師ばかりではない。相談相手になる熟慮の本も、大学の図書館に行けばいいだけ。買うのも注文も、何も面倒は無い。こんなに良い国から帰らなくてはならない。
 故郷は恋しい。美しい、懐かしい夢の国としての故郷は恋しい。しかし自分の研究すべき学術を真に研究するには、その学術の新しい土地を探って行くには、まだ種々が欠けすぎている。あんなでたらめな国に帰るのは辛い。あえて「まだ」と言う。日本に長くいて、日本を知ってしまった、という、ある外国人は、誰かの本を、ただ、信じて読み、“正しさを切り取る行為”こそが読書であり、しかもそれが、無から生まれた、他にない新しい創造だと、本に傷をつけることが発明だと、それらを証拠とすると、そう日本人が信じ続ける限り、永遠に東洋の地獄は続くと言った。東洋には自然科学を育てて行く雰囲気すら無いと宣告した。たしかにそれなら帝国大学も、伝染病研究所も、永遠に外国の素晴らしい本を取り続ぐ本屋に過ぎない。しかし自分は、日本人を、そこまで絶望しなくてはならないほど無能な種族だとも思わないから、あえて「まだ」と言う。自分は日本で結んだ学術の果実を外国へ輸出する時もいつかは来ると、その時から思っていた。ではどうする。日本は本を木に戻すのか。さあ、今は蓮も咲かない池のどろどろだ。
 自分はこの自然科学を育てる雰囲気のある、学びの国と別れて、夢の故郷へ旅立った。それは義務であって、義務ではない。自分の願望のはかりに、一方の皿に現実の国を載せて、一方の皿に夢の故郷を載せたとき、現実が優しく手招きしたというのに、夢の方の皿が下に傾いた。
 シベリア鉄道はまだ全通していなかったのでインド洋から帰る。航海中、籐の寝椅子に横になりながら、どんなお土産を持って帰ろうかと考えた。
 自然科学では、自分は、実を持って帰るのではない。将来発展すべき芽を持っているつもりでいる。しかし帰る故郷には、その芽を撒いても育てられる雰囲気が無い。少なくとも「まだ」無い。その芽も枯れさせる人間がいることに疲れる。あの陰気な気分に襲われた。
 あの陰気な闇を照らす哲学は、手荷物の中には無かった。その中に有るのは闇が闇である哲学だけ。世界を有るよりは無い方が好いとしている哲学。進化を認めないではない。しかしそれは、無に目覚めないがための目覚めの進化。
 自分は、そういえば綺麗な青い鳥を買わされた。そしてフランスの乗組員が呼んで、あれが何かと言って教えてくれた。青い鳥は、横浜に着くまでに死んでしまった。それも土産だった。

 失望して故郷の人に迎えられた。無埋もない。自分のように帰る人は、これまで無かった。これまでの洋行帰りは、希望に満ちた顔をして、荷物から未来の道具を取り出して、新しい手品を披露することになっていた。自分は真逆の事をした。
 東京では都会改造の議論が盛んになっていて、アメリカのA、B、何号町にある、洋風の家を建てたいと言うものがいた。そのとき自分は、「都会は狭い地面に多く人が住むだけでも死亡が多い。子どもが多く死んでいる。今まで横に並んでいた家を、急に縦に積み重ねるより、まずはもっと基本的なことから、病気を蔓延させないためにも、上水や下水を先に改良するのが好い」と言った。また建築に制裁を加えようとする委員が出来ていて、東京の家の軒の高さを一定にして、整った外観の美を創ろうとか言っていた。その時自分は「そんな兵隊の並んだような町は美しく無い。どうしても西洋風にしたいなら、むしろ反対に、軒の高さどころか、あらゆる建築様式を一軒ずつ好きにさせて、それでも美観を造るような心掛けを、ひとりひとりがするよう促すのはどうだろう」と言った。
 食物改良の議論もあった。米食を廃止し、沢山の牛肉を食わせたいと言う。自分は医学のものである。「日本人にとって、米や魚は食べ慣れているもので、とても消化の好いものだ。日本人の食べ物は昔のままで好い。牧畜や屠殺を盛んにしてまで、急激に牛肉を食べるようにするのは人にどうだろう」と言った。
 言葉で言えば仮名遣い改良の議論もあって、コイスチョーワガナワというような事を書かせようとしているので、「いやいやコヒステフワガナハの方がいいだろう!」と言った。
 そんな風に、人の改良をしようとしていたからバカバカしくなった。あらゆる方面に向かって、自分は本の木阿弥説を唱えた。そして保守党仲間に追い込まれた。外国帰りの保守主義者は、後には別の動機で流行った。元祖は自分かもしれない。そしてこうだ、ふたたび元のつまらないところへ帰るがいい。
 学んできた自然科学はどうしたか。一年か二年は、研究所で馬鹿正直に働いて、本の木阿弥説に根拠を与えていた。正直に試験して見れば、何千年という間、満足に発展して来たような日本人が、そんなに反理性的生活をしているはずがない。一体、日本の問題は何か。初めから知り切った話だ。
 それから一歩進んで、新しい地盤の上に新しい罪と呼ばれる名の功績を企てようとなると、地位と境遇が、自分を研究所から追い出した。自然科学よ、さらば。
 もちろん自然科学の方面では、自分より有力な友達が大勢いて、残って奮闘してくれるから、自分がされたことは、国家のためにも、人類のためにも損失にならない。
 ただ、奮闘している友達には気の毒だ。ずっと雰囲気の無いところで、高圧的しか取り柄のない貧しいはずの金の人種の下で働く、有能な、裕福なはずの心の人種が苦しんでいる。雰囲気の無い証拠には、まだ真の研究という日本語すら出来ていない。そんな概念を明確に言い表す必要すら、社会が感じていない。自慢でもなんでもないが、造語を、自然科学界に置土産にして来たが、まだ真の研究の意味の簡短で明確な日本語は無い。研究などという、ボンヤリとした言葉は、実際、何の役にも立たない。書いてあるデータを単に調べ上げ、大声で怒鳴り散らして黒でも透明だと、嘘の証拠でも構わず聞かせて酔わせることを研鑽して究めるのが日本の研究か、これこそが日本人だとは、まだ信じたくない。

 これだけ読んできても、未来の幻影を夢見て、現在の事実を悪くする心なら、ただのワガママだ。そんな人の生涯は、もう下り坂になるのに、まだ他人の何の影を必死に調べあげて攻撃するのか。
「どうやって人は自分を知ることができるか。自分自身の善悪こそをよく見る。その行為から、義務を果たそうとする。そこから自分の価値を知る。自分が真にすべき事とは何か。」
 毎日自分自身に、すべきことを確認して、それを果たして自分自身を満たしていく。これは、現在の自分の事実を見ずに、人の言いなりで生きることの反対だ。なぜそういう境地に身を置くことが出来ないのか。
 それには知らなくてはならない。そうでもしないと永遠の不評家だ。どうしても灰色の鳥を青い鳥として見ることが出来ない。道に迷っている。夢を見ている。夢を見て、青い鳥に、夢の中で尋ねている。なぜかと聞いても答えることはない。これはただ、単純な事実だ。自分の意識の上の事実。
 このまま人生の下り坂を下って行く。そしてその底が死だと知る。
 しかしその死は怖くはない。年をとるほど増長する「死の恐怖」なら自分に無い。
 若い時には、死という目的地に達するまでに、ボンヤリの謎を解きたいと感じたことがある。その感じが次第に痛切ではなくなった。次第に薄らいだ。そこら中にある謎が見えないのではない。見えている謎を解くべきものだと思わないのでもない。 
 人間は焦らなくなった。
 生を肯定しろというのは無理だと読んだ。人は遠い死を想像して、怖くて顔をそむける。死の周りに大きく出口のわからない、真っ暗なトンネルを描いて、恐々歩いている。そのトンネルが小さくなっていって、とうとう疲れた腕を死の縁に投げかけて、死と目を見合わす。そして死の目の中に平和を見出すのだと、誰が言った。三十何歳で自殺したものは。
 自分には死の恐怖が無いと同時にマインドコントロールの「死の憧憬」も無い。
 死を怖れもせず、死に憧れもせずに、自分の人生の下り坂を降りていく。

 謎は解けないと知って、解こうとして焦らないようにはなった。しかし自分は考える。宴会嫌いで趣味もなく、ゲームもしない自分は、自然科学の仕事場で試験管を持たなくなってからは、たまに芸術鑑賞をする程度。絵や彫刻を見たり、音楽を聴いたりする他は、やはり本を読むしかない。
 多くの人が幸福と思い込むものは、酒で二日酔いをさせるとか、幸福であればあるほど、どこか後で闇や傷に苦しむものばかり。幸福とともに減ったり傷つかないのは、芸術と学問くらいらしい。自分はちょうど、これ以外にする事がない。どういうことか。そういうことだ。
 本は沢山読んだ。読む本の種類は、仕事をやめてから変わった。
 西洋の専門学術雑誌を初巻から揃えて十五六種も取っていたが、実験の細かい記録を調べる必要がなくなった。数千巻買って持っていたが、自分は最も便利な二三種を残して、あとは学校に寄附した。
 その代わり、哲学や文学の本を買うことにした。それを時間の得られる限り読んだ。
 飢えて食べ物を貪るような読み方はしなくなった。世の中の有名人は、何を言っているのか、道行く人の顔を、道角に立って冷静に見るように見た。
 冷静に、と言っても、自分は道角、辻に立っていても、たびたび帽子を脱いで挨拶した。昔の人にも、今の人にも、敬意を表す人が大勢いた。
 しかし辻から離れて、その人を尾行して行こうとは思わなかった。多くの師には合ったが、そういう師は合わなかった。
 自分は、うっかり帽子を脱がなかったことがある。ある時、食物の議論が出たので、とある本から引用して相手に強く言ってしまった。「そんなになるほど、盲目に著者を信仰するのか」と言われると、自分は「必ずしもそうでは無い。著者を信じないのは、著者に悪いと思ってしまった」と言ったところ、先輩にバカにされた。自分は昏睡でも催眠でも洗脳でもなく、一時的に脱帽しただけだ。それと同じ事で、うっかり芸術の批評に口を出して、他人の美学を根拠に偉そうに論じていると、ある後進の英雄が言った。「たとえば日蓮の話は日蓮の無意識から出ている。あの話を証拠に折伏するには、まず無意識を信仰、いや、洗脳しなくてはならない」と言った。なるほど、日蓮とは自称美学を自称の世界観に結びつけていたが、連鎖を止めてみても、彼の美学は当時、最も完備したもので、創見に富んでいると言った。自分は美学の上で、やはり一瞬の脱帽をしたに過ぎない。ずっと後になって、そういう世界観を離れて、彼の美学をぶち壊す立派な証拠が提供された。彼の以後に出た美学者の本をどれでも開けてみるといい。きっとその美の修正点を説いている。あれは日蓮が始めたものであって、彼の前にはいなかった。それを日本人の誰も彼も、日蓮の、に、の、し、すら、黙殺していた。これは大問題だと。しかし彼らは鍵をもつ。言ってはいけないような証拠を創る。日本人は薄く薄く積み重ねて証拠のない酒に酔わされ続けている。
 兎に角、道角、辻に立つ人は多くの師に会って、一人の主にも会わなかった。そしてどんなに巧みに組み立てた、それらしい教えだとしても、それはひとつの抒情詩に等しいものだということを知った。

 音楽のように組み立てられた、千切れ千切れの旋律が聞こえて来た。
 生きる意志を足止めして、無に入らせようとする。服従しそこなった自分の意識は、眠りから起こされた。それは哲学にあった。
 しかしそれも元気に生きる栄養ではなく、自分を無や夢に酔わせる酒だった。
 過去の消極的な家畜の群れの道徳としたのは痛快だ。同時に、あらゆる特権を排斥する、バカな奴らの道徳としたのも、ヨーロッパの街で野犬が吠えると罵ったのも面白い。しかし理性の約束を捨てて、権威に向かう意志を文化の根本に置いて、自分のために、他人に毒薬と短刀を用いることを良しとする。こんな暴君の道徳の典型など、真面目に受け取るわけにはいかない。その上「し」の細かい倫理説を唱えられて、我々は評価の革新への新しさを殺されてしまった。
 そこで死はどうであるか。「永遠なる再来」は医者にはできない。

 昔、別荘の真似事に立てた小家には、仏者のなんだという道具も一つしか無い。
 主人の翁は壁という壁を全て棚にして、棚という棚を本棚にしている。
 そして世間と一切の交際を絶っているが、西洋から書物の小包だけは来る。彼が生きている間は送られることになっている。
 主人は老いても黒人のように素晴らしい良い視力を持っていて、世間の人が故人を懐かしむように古い本を読む。世間の人が街に出て、新しい人を見るように新しい本を読む。
 砂山を歩いて、松の木立を見る。砂浜に下りて海の大波乱を見る。
 食事係のすすめた野菜の皿に向かって、飢えを凌ぐ。
 本を見る小さいルーペで、砂山から摘んで来た小さい草の花などを見る。顕微鏡もある。海の雫の中の、小さい動物を見る。望遠鏡もあるから、晴れた夜空の星を見る。これは翁が、自然科学の記憶を呼び戻す、自然儀式かもしれない。
 主人の翁は小家に来てからも、幻影を追うような昔の心はもったまま。思い出してこう言う。日々、自分の役目を自分の反省や能力から知っていて、自分を動かすのに自分に権利を持つものは、恐らく天才ばかりだろう。自然科学で大発明するとか、哲学や芸術で大きい思想、大きい作品を生み出すとかいう境地に立ったら、自分も満足したのではないか。自分にはそれが出来なかった。それでこういう夢がつきまとうと思う。
 少年時代に心の田んぼに撒いた種子は、簡単に根を断つことが出来ない。哲学や、文学の上の動揺ばかり見ている主人の翁は、同時に重い石を縦に一つ一つ積み重ねて行くような科学者の労作には、目を背ける。
 科学の破産を説いてから、どれだけの歳月が経っても、科学はなかなか破産しない。無常の中で、最も大きい未来があるのは、やはり真の科学だろう。
 主人の翁は、こんな事も思う。人間の大問題になっている病気は、科学の力で予防も治療もできるようになってきた。種痘で疱瘡を防ぐ。人工培養した細菌や、それをうえた動物の血清で、チフスを防ぎ、ジフテリアを治す。ペストのような猛烈な病気も、予防の見当はついている。らい病も病原菌だけは知られている。結核も防ぐ手掛りが無いこともない。癌のような悪性腫瘍も動物に移してみると手掛りがあるかも知れない。梅毒がサルバルサンで治るようになった。
 人間の命をのばすことも、まだ可能かもしれない。
 こうして残りの生涯の、見果てぬ夢の心で、死を怖れず、死に憧れず、主人の翁は糸に引っ詰められて生きている。
 その翁の過去の記憶を、稀に長い鎖のように見渡すことがある。そういう時、翁の目は、遠い遠い海と空に流れ込んでいる。
 これは、そんな時、ふと書き捨てた、法具だった。