芥川を殺した盆暗へ(如是我聞 太宰治)

 他人を攻撃したってつまらない。攻撃すべきはあの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ。でも撃つにはまず、敵の神を発見しなくてはならない。

 その醜さを、自分でいわゆる「恐縮」して書いているのなら、面白い読み物にでもなるだろう。しかし、それ自身が殉教者みたいに、妙に気取って書いていて、その苦しさに襟を正す読者もいるとか聞いて、その馬鹿らしさには、あきれ果てる。

 はりきってものを言うということは無神経の証拠であって、かつ、人の神経を全く問題にしていない状態を指す。はりきって、ものをがつがつ食いちらかすのは飢餓の犬でもできない。口にする元気もない。よくできた犬というのは、飢餓の時に隣にまた飢餓の犬が来たら、奪い合わない犬である。それがあの犬種ときたら遠くの道に他の犬種が通りかかるだけで、他の犬種を飯泥棒呼ばわりして殺してしまう。ごんの兵十の肉まで食べてしまう。
 そうでなくても、やつらは少しでも他の犬種の神経を逆撫でしようと気を配る。飯は配らない。常に配られる一方だ。
 デリカシーのない人ほど、自分で気がつかないところで、どれだけ他人を深く傷つけているか理解できない。
 自分ひとりが絶対偉くて、あれはダメ、これはダメ、何もかも気に入らないという文豪は、恥ずかしいけれど、私たちの日本にばかりいて、海を渡ったところでは聞いたことも読んだこともない。

 あの人達は大戦中でも、私達の何の頼りにもならなかった。私は、あの時、あの人達の正体を見た、と思った。ボンヤリのことだ。
 謝ればいいのに、すみませんと謝ればいいのに。肩がうっかりぶつかれば「すみません」だ。あの犬種はわざとぶつけては黙るだけ。わざとだろうけどわざとかどうかと一応聞く前に、「わざとという証拠があるのか」だ。ああして教え通りに他人や他国の神経を逆撫でしては、他人や他国の問題とする。あのまま、何の努力も学問も美も不足した元の姿のままで、死ぬまで同じところに堂々と犯人は居座ろうとしている。

 君達が、世の中から少しでも信頼を得ている最後の一つのものは何か。ヨゴレだ。それを心に認めつつ、それを我が身の「地位」を保つだけのために、なんとなく利用しているのなら、みっともない。もうとっくに脱ぎ捨てて上手くやってる人の足をもひっぱる。仲間だろ! とんでもない! 一緒にされて気の毒だ。もうそんなもの、自分の盆栽群に片っ端から突撃したくもなる。しかしそれをしては人間失格だと? なんだこれは。
 教養! それにも自信がないだろう。どれの味が善くて、どれの味が不味いのか、香りと臭いの区別すらできない。他人が良いと言う外国の「文豪」や「天災」を、百年もたってから、ただ、「美味しい」というだけなんだから。殺人鬼が一番良い殺人方法を思いついた時の、ヒヒヒヒという笑い方だ。

 それなのに君達は何やら「啓蒙家」みたいな口調で、すまして民衆に説いている。

 何も苦しんで、ぶち壊しの嫌がらせを言う必要はないだろう。自ら努力して出世すればいいだけだ。世の学者たちは、この頃、妙に私の作品についてとやかく言うようになった。
 
 しかし、私はその不潔な馬鹿ども(悪人と言ってもよい)の言うことを笑って聞き入れるほどの太っ腹でもない。

 あの作品の読者が、例えば五千人いたとしても、ヒヒヒヒなどという卑穢(ひわい)な言葉を感じたものはおそらく、その「高尚」な教授一人をのぞいては、まず無いだろうと私は考える。巧妙なる者達よ。お前達は五千人中の一人だ。少しは恥ずかしく思え。

 聖書の言葉にもあったとおり、禍害、わざわいなるかな、偽善なる学者、お前は予言者の墓を立て、石碑を飾って言う、「我らもし先祖といたら、予言の者だぞ!」と。脅されてたまるか。

 またあのヒヒヒヒの先生も、あまり語学の勉強をしていないらしい。語学の勉強を怠ったら、君たちは自滅だぜ。
 自分を知ることだよ。繰り返して言うが、君たちは、語学の教師に過ぎない。いわゆる「思想家」にさえなれない。啓蒙家? プッ! ヴォルテール、ルソーの受難を知ったことがあるのか。せいぜい親孝行するといい。

 民主主義の本質は、それは人によっていろいろに言えるだろうが、私は、「人間は人間に服従しない」あるいは、「人間は人間を征服できない、つまり、家来にすることができない」それが民主主義の発祥の思想だと考えている。
 先輩たちは、もう少し、弱いもの虐めを、やめたらどうか。

 若いものの言い分も聞いてくれ! そして考えてくれ! 私が、こんな如是我聞
など書いているのは気が狂っているからでもなく、思い上がりでもなく、人におだてられたからでもない。人気取りでもない。本気だ。
 どこに「暗夜」があるのか。自身が人を、許す許さないで、てんてこ舞いしているだけだ。許す許さないを言う、そんなご権利が、ご自身にあると思って勘違いしていらっしゃる。

 その人を尊敬し、かばい、その人の悪口を言う人を、口汚く罵ったり汚い手で殴ることによって、自身の、世の中における地位とかいうものを、危うく保とうと汗を流して懸命になっている。あの連中の物の言い方よ。最も下劣なものだ。それを、男らしい「正義」だと思って自己満足しているのが大半だ。

 お前達の持っている道徳は、すべてお前達自身の、あるいはお前達の家族を守るためだけ、それ以外に一歩も外に出ない。しかしやはり自身の洗脳のうちからも出ないだろう。道徳のために、子どもの足をつねって大泣きさせて、誰かを驚かすのが道徳なんだから。そんなもの道楽未満である。これらボンヤリが逮捕されないんだから。日本はどうかしてる。
 重ねて聞く。世から追い出されても良い。でも命がけで事を行うのは罪だ。
 私は自分の利益のために書いてはいない。信じられないだろうな。

 つまり解る努力をしろ。どうしても解らないなら、ひとまず黙ってろ。くちびるの皮だけで座談会に出て己の恥をさらすでない。無学のくせに、勘だの何だの頼りにならないものだけに頼って、十年一日の如く、人の陰口を聞いて、笑って、いい気になっているようなやつらは、私のほうでも「閉口」である。おしゃべりごめん。勝つためだけに、本当に卑劣な手段を用いる。そしてこの世では、「あれはいい人だ、潔癖な立派な人だ」など言われることに成功している。悪人による悪国のための悪国としか言いようがない。
 これぞまさに暗黒論。

 命懸けで書く作家に自殺教唆の悪口を言い、それこそ、首くくりの足を引くような自殺幇助をやらかす。いつでもそうだ。私達を無意味に苦しめているのは、君達だけだ。
 君について、うんざりしていることは、もう一つある。それは芥川の苦悩が全然解っていないのに、彼を未だ仲間としていることだ。

 日陰の苦悶。
 弱さ。
 聖書。
 人生の恐怖。
 敗者の祈り。

 君たちには何も解らず、それの解らない自分を我が儘に、自慢にまでしている。

 あの文学は、伝統を打ち破ったとも思われず、つまり、子どもの読物を、いい歳をして大得意で書いて、調子に乗って来たひとのようにさえ思われる。しかし、アンデルセンの「あひるの子」ほどの「天才の作品」も、一つもないようだ。そうして、ただ、得意そうにしている。腕力の強いガキ大将、お山の大将。
 貴族がどうのこうの言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが鬱陶しい)ある新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金や心の貧しい人間の知るところではない。ヤキモチ。いい歳して、恥ずかしいね。太宰などお殺せなさいますの?
 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり。


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