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箱根駅伝100周年から始めた一歩。

48歳になって「ランニング」を始めた。2024年は何かしらの市民マラソンに出場しようと思う。これが私の今年学びたい事だ。

2024年1月2日と3日に箱根駅伝が開催された。100周年ということで、関東に留まらず、全国から47校の学校がエントリーした。予選会の結果、10校のシード校に加えて13校が加わり、歴代最高の23校が闘うことになった。

こんな事を書くと、陸上スポーツ大好き人間に思われるかもしれないが、実際は駅伝を最初から最後まで見るのは人生初。ニューイヤー駅伝と箱根駅伝の違いすら分かっていなかった。お正月にTVをつけると、「まだ、走ってるなー」と思いながら、お正月特番のバラエティ番組に切り替えていたぐらいだった。

そんな私が今年は往路の1月2日は横浜→茅ヶ崎→箱根湯本まで見にいき、復路は横浜→品川→ゴールまで追いかけた。東京生まれの東京育ちだったので、初詣の途中に走っている選手を見かけることもあったが、「わー、実物はこんなに早いんだ〜。」と思う程度だった。この一瞬のために、熱心に観戦している人の気持ちを全く理解していなかった。まさか移動して追いかけて応援いるとも知らず…。

なぜ、今まで興味のなかった箱根駅伝を観戦したのかというと、TVの影響が大きいと思う。100周年記念ということで、日テレは局をあげて宣伝していた。朝、必ず4chをつけるのが習慣で必然と駅伝情報が入ってきた。しかも、上手に過去の泣けるシーンや失敗談などドラマチックに仕上げてくれていた。

気になりだすと、調べたくたる性格の私はネットや雑誌、箱根駅伝100周年記念誌など買い漁った。NHKの大河ドラマ「いだてん」を見なかった事を後悔した。「いだてん」の物語のモデルとなったのは金栗四三。1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックでマラソン選手として出場したが、レース途中、意識を失って倒れ、帰国後、悔しさをバネにマラソンや箱根駅伝の創設に携わった人物だ。今でも、箱根駅伝の「MVP」に相当する最優秀選手には『金栗四三杯』を授与している。

100周年箱根駅伝で「金栗四三杯」は城西大学・山本唯翔選手(4年)が授与した。いだてん情報を知らなかった私は「なんだ?金栗杯って?」と思った。学校では習わないが、素晴らしい功績のある人が世の中には沢山いる。情報化社会になればなるほど、無関心の事柄が増える。『走る』ことに興味のない私には全てが真新しい情報だった。

TVでなんとなく観戦していた人はなぜ「城西大学?」と思ったかもしてない。なぜなら、今年の箱根駅伝は、2区まで駒澤大学の独走で3区で、駒沢大学と青山学院大学が競り合いがあり、その後は1位が青山学院大学、2位が駒沢大学、往路も復路も順位の交代や接戦はなかった。その為「金栗四三杯」は青山学院大学の誰かが授与されると思っていた。原監督の「山本唯翔選手だけではなく、3区の太田蒼生(3年)にも差し上げてほしいと」という気持ちは痛いほどわかる。戸塚中継所で首位の駒沢大と22秒差でたすきを受け取った太田蒼生は、8キロ手前で駒沢大・佐藤圭汰(2年)に追いつくと、その後は抜きつ抜かれつを繰り返しながら、最後は区間賞を手にした。佐藤圭汰は八王子ロングディスタンスで10,000m27分28秒50というU20の日本記録保持者だった。まさかこんなデッドヒートになると誰も予想していなかったからだ。

とはいえ、山本唯翔の走りは素晴らしかった。2005年の箱根駅伝で初代「山の神」と呼ばれた今井正人さんはの記録は史上最多の11人抜きを達成し、区間記録を2分17秒も更新する1時間9分12秒で走破した。その今井正人の記録には及ばなかったものの、急な雨と寒さの中、4人を抜き1時間9分14秒で山本唯翔は区間賞を勝ち取った。あと2秒。雨がなかったら、新記録が出ていたに違いない。「4代目山の神」にはなれなかったが「山の妖精」の異名は刻まれただろう。

大学駅伝の選手にとって、箱根駅伝は特に特別な大会なのは間違いない。今年は100周年ということもあり全国の大学から選ばれた23校だったが、通常なら関東のシード校10校に予選を勝ち抜いた10校と関東学生連合を含めた21校しか出場できない。しかも各学校10名のみだ。全国の高校から箱根駅伝に憧れて関東の大学に入学したものの、大学自体が出場できなかったり、学校内の10名の選手に選ばれなかったり、悔しい思いをしている選手は数知れない。

やっとの思いで箱根に出場できても、脱水や急な痙攣、悪天候など、襷を渡せず走る事を辞めてしまうしまう選手も多い。でも思い出してほしい、この箱根駅伝を創設した「金栗四三」の事を。1912年(明治45年)のストックホルムオリンピックから54年。金栗四三は1967年のストックホルムオリンピック開催された55周年を記念する式典で場内に用意されたゴールテープを切った。「タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」史上最長の記録としてギネス認定されたのだ。

3区で太田蒼生と激闘し、悔し涙を流した佐藤圭汰もその悔しさをバネに2024年1月26日にジョン・トーマス・テリア・クラシックで日本新 室内5000mで13分09秒45 従来記録を18秒以上更新した。

人生は何度でもやり直せる。人生最悪な出来事も、諦めず、それを糧に、その時の悔しさを忘れず、いつか見返してやる。そんな気持ちを忘れず、前に進めばいいのだ。

箱根駅伝に出場した選手、監督、コーチ、出場できなかった選手、それに関わった全ての人、放送してくれたTV局、宣伝したスポーツ誌、スポンサーの皆様、母校や自分の息子を応援しているご家族の方々、感動をありがとう‼︎

この感動を忘れず走ろう。『限界』は自分の心の持ちようなのだから。今日も一歩。

#今年学びたいこと
#箱根駅伝
#一歩

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