AIと一緒に絵を見る 見えない世界のワンダーランド(7)

先日、ちょっとおもしろい美術鑑賞のワークショップに参加しました。
これは複数の見える人と見えない人、見えにくい人が美術作品の前でその作品について語り合いながら美術鑑賞の体験を共有する「ソーシャル・ビュー」と呼ばれる美術鑑賞のスタイルで行なわれたものです。

これまでにも私はこの「ソーシャル・ビュー」のスタイルの美術鑑賞のワークショップに何回か参加したことはありましたが、今回はそこに新たにAIが初参加する、というユニークな試みでした。

今回使われたAIのアプリは「ビー・マイ・アイズ」というスマホのアプリです。
元々はボランティアの晴眼者とビデオ通話でつながって視覚障碍者の目の代わりをしてもらうアプリでしたが、最近そこに「ビー・マイ・AI」という機能が追加されました。
これは、スマホのカメラで撮影した写真をAIが説明してくれるというものです。
これまでも写真をAIが説明してくれるアプリはありましたが、「ビー・マイ・AI」には最近話題のAI「チャットGPT」が使われているらしく、これまでのアプリに比べて説明が正確で細かいのが特徴です。 

旅行に行った時などは、風景を撮影すると、目の見える人に説明してもらうのと同じくらい細かく説明してくれますし、止まったホテルの部屋の中の備品の位置やデザイン、置いてあるリモコンに表示された室温などの数字も説明してくれてけっこう便利です。
また、カメラで撮影するだけでなく、メールやラインに添付された画像も分析して説明してくれるので、以前のように送られた画像を目の見える人に見てもらわなくても内容がわかるようになりました。

ワークショップでは、一枚の絵の前に参加者が集まり、まず「ビー・マイ・AI」が絵の説明をするのを聞き、それから目の見える人、見えない人、見えにくい人がその絵について話し合う、という形で行なわれました。

私は絵を全く見ることができないので、最初はAIによる説明や見えている参加者がどんなものが見えているかを話すのを聞きます。聞いた情報から私の頭の中に徐々にその絵のイメージができあがっていきます。
それから頭の中の絵のイメージをふくらませるのに必要な質問をしてゆきます。
以前だったら絵に描かれている人の表情や服装、色使いなどについて足りない情報を聞いていくのですが、今回は「ビー・マイAI」がかなり細かく情報を伝えてくれたので、見えている人の印象、例えば
「これは全体的にどんな雰囲気の絵ですか?」「この絵の中で音がしているとしたらどんな音や音楽が鳴っているイメージ?」「もし匂いがしてくるとしたらどんな感じ?」
などと聞いてみたり、見えている人のこれまでの話に出ていない絵の情報を追加で伝えてもらったりしました。

私の頭の中のイメージは、新たに伝えられる情報によって次々に変化してゆきます。
このイメージは、情報が加わるごとにジグソーパズルのようにすこしずつイメージができあがってゆくのではなく、新しい情報が加わるたびにイメージがリセットされる感じです。

この、イメージが次々にリセットされて変化してゆく感じが楽しい、というのが私がこのワークショップが好きな理由です。

かつては、目の見えない人が美術鑑賞をするなら、目の見える人にその絵について説明してもらう、というのが一般的な方法でした。
私は目が見えなくなってから、この方法で美術鑑賞ができることは知っていましたが、それをあまり楽しいとは思えませんでした。
そのやり方では、目の見えている人から「こういう絵なんですよ」という情報が一方通行で与えられるだけなので、見えない私は、
「そんな絵なんですか。ありがとうございます。」
と返すだけで、お互いの関係も「教える人と教えてもらう人」という一方的な関係のままです。

私が「ソーシャルビュー」を体験してとても新鮮に感じたのは、同じ美術鑑賞でも見える人と見えない人の関係がほぼ対等で一方的なものではないことでした。

もちろん最初は見えない私はきっかけとしての絵の情報を見える人からもらうしかありません。
でも、私の頭の中に絵のイメージが大体できあがってくるとその関係が一方的なものではなくなります。
例えば、私が自分のイメージをもとに
「今、私にはこんなイメージに見えているけれど、こんな感じの絵ですか?」
と聞くと、
「えっ?そんな見方もあったのか」
と見えている人が驚き、それがきっかけでその人のその絵の見え方が代わってしまう、ということがしばしば起こります。
つまり見える人と見えない人の間で言葉のキャッチボールが行なわれ、それによって見える人の頭の中の絵も見えない人の頭の中の絵と同じように変化してゆくのです。
障害を持つと、その障害があるために誰かに助けてもらうことが多くなります。
美術館で見える人に絵を説明してもらう、というのも、見えない人が見える人に助けてもらう、ということの一例です。
それはもちろん感謝すべきとてもありがたいことです。
でもそれは一方で、どこか申し訳ないような、心苦しいような気持ちも感じるものです。
それは、誰かに一方的に贈り物をもらい続けるような感じに似ています。
ありがたいけれど、それが続くとちょっと心苦しくなってきます

「ソーシャルビュー」では、お互いのコミュニケーションがあり、それによってお互いがそのことを楽しめる関係が生まれます。

私はこれは「異文化交流」だと思いました。
つまり「視覚を使う文化」と「視覚を使わない文化」という異なる文化を持つ人の交流です。
そこでは一方的に助けられるだけではない、お互いが同じ高さで交流できる楽しさがあるのでした。
贈り物をただもらい続けるだけでなく、こちらからもお返しできる、ということ。
これも私が「ソーシャルビュー」を楽しいと感じるもう一つの理由です。

今回AIが参加者として加わったことで、AIのおもしろい面にも気づきました。
AIが風景や部屋の中の様子を説明するのとはちがって、絵の説明は人間の見え方とずれることがけっこうあったからです。
たいていの人が同じ絵で必ず注目するようなポイントには全然言及しなかったり、見えている人から「えっ?そんな風には見えないよ」とツッコミを入れられることがけっこうありました。
私はこれまでAIはいつでも撮影した画像を性格に細かく説明してくれるもの、と思っていたのでこれはけっこう意外でした。
私たち人間にとっては、実際の風景も絵で描かれた風景もほぼ同じものとして見えたり、絵の一部に自然に目が惹きつけられたりするけれど、おそらくAIは画像の情報を人間のようには解釈しないのだな、と思いました。

でも、AIが参加したことで会話が盛り上がり、楽しいワークショップとなりました。
見えている人がAIのことを、
「なんだか気合が入ってがんばっているけれど、言うことがどこかずれている新入社員みたい」
と評したのがおもしろかったです(笑)。

それでも、今後このような美術鑑賞の場などでも、AIに内容を説明してもらうことが増えていくだろう、と私は思います。

そのうち、視覚障碍者が単独でイヤホンマイクでAIと会話しながら美術鑑賞をする、という姿も見られるようになるのかもしれません。

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