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0039.破壊神ゴジラ

note を、2月3日に初投稿したので、今日で1か月である。所属しているパソコン教室のブログサービスに行き詰まりを感じていて、他に書く場所があったらいいなと漠然と思っていたら、2月2日に、note を知ってしまった。利用した感想としては、「書きやすい」ということである。ノートを渡されて、「書いてみな」と言われて書いた感じ。クリエイター呼ばわりされているけど、「そんなもん知るか」で、好きに書くことができた。

この先、シン・ウルトラマン、シン・ゴジラの物語に言及しています。

シン・ウルトラマン        
2022年公開の映画「シン・ウルトラマン」を、アマゾンプライムビデオで視聴した。子どもの頃、テレビドラマの「ウルトラマン」が好きだった。1966年の本放送は観ていないはずだが、「ウルトラセブン」とともに繰り返し再放送され、それを観ていて好きになった。

だから、おととし「シン・ウルトラマン」をアマゾンプライムビデオで観た。そして、「シン・ウルトラマン」は、深く俺の身に入った。俺は、テレビドラマの「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」で言えば、「ウルトラマン」のほうが好きである。ストーリーや舞台装置は、「ウルトラセブン」のほうが上だと思う。しかし、それでも「ウルトラマン」が好きなのだ。

その理由が「シン・ウルトラマン」を観てわかった。「ウルトラセブン」でウルトラセブンは人間大になることが多かった。ひととコミュニケーションをとるのだ。しかし、ウルトラマンは超然としている。ひとと相いれない超越者だ。それが映画「シン・ウルトラマン」で、極めて描かれていた。ウルトラマンを下から見上げる場面が多く、長澤まさみ演ずる禍特隊かとくたいの浅見弘子がウルトラマンを見上げて言った言葉「きれい」が、よくそれを表している。巨大でそばに寄れない存在、ひとを超越した存在、そして美しい、それがウルトラマンなのだ。

「シン・ウルトラマン」のラスト近くのゾーフィの言葉で、なぜ地球は異星人に狙われるのかが明かされる。1967年のテレビドラマ「ウルトラセブン」において、ウルトラセブンがなぜ地球に降り立ったのかも、それで説明がつく。本来、「ウルトラマン」と「ウルトラセブン」は別の物語である。なのに、ウルトラマン、ウルトラセブンに夢中になったかつての少年たちが、「シン・ウルトラマン」でふたつの物語を繋げてくれた。その奇蹟に、俺は感動を覚える。「シン・ウルトラマン」を作ったひとたち、ありがとう。

シン・ゴジラ        
その「シン・ウルトラマン」視聴後、「シン・ウルトラマン音楽集/宮内國郎みやうちくにお鷺巣詩郎さぎすしろう」をネットでダウンロードした。「ウルトラマン」で流れていた宮内國郎の伴奏曲を鷺巣詩郎がロンドンオーケストラでリミックスした曲、「シン・ウルトラマン」のために鷺巣詩郎が作った曲。それらの曲たちに、俺は歓喜した。

その後、順番は逆になったが、2016年公開の映画「シン・ゴジラ」を、こちらもアマゾンプライムビデオで視聴した。そのゴジラも、「シン・ウルトラマン」のウルトラマンと同じく、圧倒的に超越した存在である。そして、ウルトラマンとは違い、ゴジラは破壊者である。その破壊者ゴジラが美しい。その真骨頂と言えるのが、タバ作戦終了後、夜の都心での破壊シーン。

ゴジラが都心に迫り、政府首脳が首相官邸を捨てる。ゴジラは米軍の爆撃を受けて怒りの咆哮をあげる。ゴジラの吐いた劫火が街を焼き尽くす。放射熱戦が、爆撃機を、ビルを、紙のように切断する。東京都心はすべてがオレンジ色に染まる。ひとはなす術がない。破壊神ゴジラの圧倒的な力に天を仰ぐしかない。そこに「Who will know」が流れている。「Who will know」は鷲巣詩郎の作った物悲しい曲だ。

この「Who will know」が流れているあいだがこの映画の華だと思う。やがて、ゴジラは活動を停止し、「Who will know」も終了する。そして、俺が涙を流す。このシーン、何度観てもいい。その後、ひとたちの社会を守る物語が始まる。そこでも俺の熱きものが流れてしまう。

こんなふうに、好きに書けるから、note がありがたい。

柳 秀三


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