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エッセイ:イベントの聖地「海浜幕張」での思い出

 
 久しぶりに家族で海浜幕張にやってきた。東関東自動車道に乗れば、自宅からは三十分くらいの距離だ。

 目的は駅前の三井アウトレットパークであるが、来る途中、幕張メッセのそばを通ってきた。今日は何のイベントかはわからないが、メッセの外は色鮮やかなコスチュームに身を包んだコスプレイヤーやTシャツ姿のカメラマンで溢れかえり、賑やかさをみせていた。

 幕張メッセは、私にとっても無縁の場所ではない。10年前、私はイベント制作会社でイベントプロデュースの仕事をしていたので、メッセには何度も足を運んでいる。

 プライベートでも、「サマソニ」にも何度か参加している。最新の流行音楽はわからないが、TOKIOや華原朋美、MAN WITH A MISSIONのステージは爆上がりしたのを記憶している。

 イベント制作会社では、ジャンプフェスタ、次世代ホビーフェア、さまさざまなコンテンツ関連のイベントに、制作ディレクターとして参加していた。ペーペーだった時期は、先輩や客に怒られてばかりで、人知れずトイレで涙を流した日々もあった。

 客にとっての「1日」は、スタッフにとっては、半年、場合によっては1年だったり、2年かけて準備する、それはそれは長い期間だったりする。だが、それは客には関係ない。客にとっては、二度と再現できない、反復不可能な特別な「1日」なのである。

 また、次くればいいや。またどこかでやるでしょ、ではないのである。イベントの醍醐味というか、魅力の9割は、まさにその反復不可能な「出来事」性にあるといえる。

 人によっては、それは「事件」だったりするのだ。そんな特別な「1日」めがけて、イベント制作会社の人間は、文字通り、比喩ではなく、死ぬ気で準備をするのである。今でこそわからないが、イベント制作会社というのは、それはそれは大変な業界であった(笑)。

 期待と緊張の入り混じった高揚感と、持て余したエネルギーが放つ熱っぽさ、そして絢爛さと時に妖艶さも合わさって、さまざまな活気に満ち満ちていたイベント会場も、終わってしまえば「あとの祭り」である。

 無情にも、何千何億とかけて作られたステージや展示ブースは取り壊され、撤収されていく。そんな光景を目にするたびに、私は、イベントが持つ刹那的な「創造と破壊」の時間が、愛おしいとさえ思うのであった。
 そして、これまで死ぬ気で準備をしてよかったと思う瞬間こそが、この破壊と同時に訪れる「解放」の時間なのであった。

 刹那ゆえに、永遠。

 同じことは二度と再現されないが、だが、「出来事」としては、ここにいた者すべての人間に刻まれたであろう「記憶」。

 これが、イベントの魅力であり、何度でも再生可能なデジタルにはない特異性である。

 海浜幕張に来ると、ふとそんなイベントに携わっていた日々のことを思い出してしまう。

 嫁と娘がアウトレットで買い物をしている間、 私は施設の外のベンチで読書をしていた。川上未映子さんの『夏物語』を読んでいた。

 ちょうどその時、こんな文章に突き当たった。

 八月の、午後二時半。強烈な太陽の光に、目に映るものは何もかもが白く光り、ビルとビルのあいだの青空はクリックひとつで着色したパソコンの画面みたいに、少しのむらもなくぴたりと張りついている

『夏物語』川上未映子・著

 私はこの文章を目の当たりにし、もの凄い文章を書くものだなと、思わず唸ってしまった。

 唸りながら私は、ビルとビルの間の空を見上げた。

 5月なので、まだこんなにはっきりとした青空ではなく、どこか淀みのある薄水色の空であったが、私も、ビルとビルの間の空を、クリック一つで塗りつぶしてみたくなった。


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