唯一無二感を求めない
誤解のないように最初に言っておくと、人はどんな人であっても唯一無二の存在だと思います。
そのままで唯一無二のはずなんだけれど、唯一無二を求めてもがき苦しむ人は大量にいる。
唯一無二であることと、容姿端麗であるとか人気者であるとか突出した才能があることはイコールではない。
人から崇められるような何かがないと唯一無二にはなれないと思いこんでいるだけ。
例えば有名な詩人でなくても、有名な詩人と見分けがつかないくらいの作品を残している人はたくさんいると思う。
noteをざっと見回してみるだけでも詩の投稿の多さにびっくりする。
ほとんどは日本語で詩を書いているのだから、今までに見たことのないようなすごい詩を生み出そうとしたってそれは至難の業。
正直、これは私でも書けそうだぞ…と思う、シンプルな作品が高評価されていると、芸術や文学の世界の評価基準はよくわからないな…と拗ねた気持ちになる時もある。
きっとそのシンプルな言葉に行きつくまでに色んなドラマがあって最終的にそのシンプルな言葉にたどり着いたのかもしれない。
だとしたらすごい深い詩だ、ということになる。
でも背景がわからなければそこまで考えが至らないかもしれない。
逆になんにも考えずに、それっぽい言葉を並べて偶然に同じような詩を書くことも可能。
言葉だけをみてもわからないことがたくさんある。
そう考えると、作品に触れる時は作者の人となりがわかっていたほうがより作品の良さを理解できるように思う。
でも詩というのは、言葉そのものや音の響きを楽しむものでもあるように思うから、必要以上に内容を理解できなくてもいいのかもしれないけれど。
詩の作者と詩そのものは切り離して考えたほうがいいのかもしれない。
脱線したので唯一無二の話に戻る。
外部からのお墨付きがあると箔が付くし、世の中でその分野の実力者として認められるからお墨付きにもちゃんと意義があると思う。
でも唯一無二を求めてお墨付きに執着しているならば、表現者としてとても苦しい人生を送ることになってしまうと思う。
自分の感覚や感性を一番理解し評価してあげられるのは自分しかいないはず。
なんのために創作しているの?
なんで表現せずにいられないの?
お墨付きがもらえたら満足して創作やめるの?
あなたの表現欲の正体は承認欲求なの?
拗ねた気持ちになってしまう時にはこんな風に自分に語りかけている。
外から植え付けられた価値観の呪縛はそう簡単に解けるものではない。
丁寧に丁寧に向き合っていこう。
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