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宗教や信仰についての雑記 #23

◯善と正義 その2

前回、諸宗教は善を語ることが多く、宗教多元主義は正義の観点から考えることが多いように思えます、とか書きましたが、言うまでもなく、それらの概念を扱うのは不完全な人間でありますから、常に現実に完璧に反映されるわけではありません。

正義は社会的な公正を実現することであり、その中には様々な価値観や文化を尊重して公平に扱うことも含まれます。しかし、もし仮に人種差別主義者が、これも我々の文化なのだからその価値観も尊重しろ、と主張しても大多数の人々は受け入れないでしょう。
そういう意味では、社会的な公正という正義の中にも、現実には道徳的な善の要素が入り込んできて、その影響を受けるようです。

一方善は、道徳的な価値で普遍性があり、誰もが同意するものであり、また、個人の心の中にあるもなので、自発的に行うもので強制力はないとされています。
ですが、ときにそれが暴走して少数派を抑圧したり、極端な場合はテロ行為を引き起こして無実の人々を巻き込んだりしてしまいます。

また、正義は社会の状況や時代によって変わるものですが、善は道徳的な価値であって、社会や時代に関係なく普遍性があるものとされていますが、個人的にはそれも現実には変化してゆくように感じられます。
犬食や闘牛の禁止も、動物に関する善の内容が変わってきたことの現れのように思います。

結局、善も正議も社会や時と共に、ゆっくりではあっても流動的に変わってゆくものなのかもしれません。
ですから我々は、何かの宗教を信じるとき、あるいは宗教多元主義の立場をとるとき、自分が持っている善や正義の感覚が、社会や時代からずれていないか、取り残されていないかを常に点検しなければならないのでしょう。
そのためには周囲に目を配ること、よく考えることを続けてゆかなければならないのでしょう。
そうしなければ人を救うはずの宗教が、人を傷つけ苦しめるものになるおそれがありますから。

捕鯨をめぐる問題が、そのことを伝えてきているような気がしました。

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