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宗教や信仰についての雑記 #106

◯調和について③

前回、生命とは残酷なものであるから、我々は努力して調和を実現させなければ生き残れない、と書きました。
また以前の投稿で(#100)、生きるとは祈ること、祈るとは生きること、とも書きました。
そう考えると、調和の実現とは祈りの目指すものであると同時に、調和への志向は祈ることの条件でもあるような気がします。

また前回、我々が「調和」という概念を獲得したのは、やがて訪れる限界の予兆だったような気すると書きました。
それは見方を変えれば、「調和」という概念の獲得は、大いなるもの(神仏あるいは偏在する実在)からの恩寵であり、また願いでもあるとも考えられます。

我々は皆誰もが大いなるものから救いたいという願いをかけられていて、その願いが存在に織り込まれてこの世に生まれてきたものだと思います。
そして、他者の喜びや苦しみに共感して憐れみや慈しみを持てることや、不完全な人間でも愛することができることは、織り込まれた願いの現れであるとも思います。

そんな我々が持つ共感能力は調和への志向の源泉なのではないではないでしょうか。
そう考えると、我々が「調和」という概念を獲得したことは、我々を貫く願いの延長線上の出来事だったともみなせます。

つまるところ調和とは、共感能力を元に、祈りによって勇気や力を得た我々の行為によって実現されるべきもので、そのことが大いなるものの願いの成就であるように、私には思えるのです。

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