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宗教や信仰についての雑記 #105

◯調和について②

前回、生命とは素晴らしいものであると同時に、残酷なものなのだとも言えると書きました。
そんな生命の進化の果に我々が生まれ、生命は知性を持つに至りました。

知性を持つということは、自己を認識するということでもあります。
自分を取り巻く環境と、自分自身の中にも、収奪と闘争をもたらす残酷さがあることを、人間は認識しました。

そして知性を持った人間は言葉を獲得しました。
その言葉により、世界にある様々な物を利用するために名前をつけ、さらにそれらの物から共通する性質を抽出した、抽象的な概念をも得ました。
それら抽象的な概念の中に、収奪や闘争があり、それらがもたらす混乱や衝突や苦悩があり、その苦悩をなくすための概念として、調和が重視されたのでしょう。

我々が「調和」という概念を獲得したのは、やがて訪れる限界の予兆だったような気がします。
知性を持った人類は様々な技術を発達させました。その結果、収奪や闘争の規模が大きくなったため、それらを進化や進歩の原動力として用いることのメリットよりもデメリットのほうが大きくなり、ついには人類全体の生存を脅かすほどにまでなってしまったのではないでしょうか。

今我々は収奪や闘争を生存の原動力とすることの限界に達していて、その古い枠組みから抜け出し、物心両面において「調和」を真剣に求めなければならない段階に来ているように思えます。

生命とは残酷なものであり、そうであるからこそ、知性を持った我々は努力して調和を実現させなければ生き残れない、そういうことなのかもしれません。

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