F.マイケル

宗教とはほぼ無縁の生活をしていながら、宗教多元主義に惹かれている者です。

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宗教とはほぼ無縁の生活をしていながら、宗教多元主義に惹かれている者です。

最近の記事

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宗教や信仰についての雑記 #0

◯はじめに この投稿は宗教や信仰に関して、私が個人的に感じたり疑問に思ったりしたことを記すものです。 これはこのような話題について話し合う人がいないので、この場を借りて記しておきたいという個人的な理由で投稿するものです。 他の方々は宗教や信仰についてどのように考え、感じているかを知りたいと思いますので、そのような問いかけに対してコメントをいただければ嬉しいです。 私と同じように、このような話題について話し合いたいのに、そのような人が自分の周りにはいないという方はいらっ

    • 宗教や信仰についての雑記 #118

      ◯減価償却 職場で設備や備品の修理や買い替えが必要になったとき、予算が足りない云々の話を聞くことがしばしばあります。 そんなとき、「財務・経理部門は減価償却費を留保しておかなかったのかな?」なんて思うこともあります。 また家庭でも、家電などが壊れて買い替えなければならなくなったとき、予想外の出費に悩まされることがあります。でも、それを予想外としていたことに見通しの甘さがあったのかもしれません。 そんなことを思い出してきたとき、このようなことはモノだけでなく我々の心にも言

      • 宗教や信仰についての雑記 #117

        「言霊」について 前回、最後に言霊について触れました。 言霊とは、言葉を発することで実現すると信じられた、言葉に宿る霊力のことだそうです。 言葉を発しただけでそこに宿る不思議な霊力によって現実の世界が影響を受けるとは、現在ではほとんどの人が本気では信じてはいないでしょう。 でも心の奥底、潜在意識のレベルとでも言うのでしょうか、その辺にはまだ言霊信仰の残渣のようなものが残っているのかもしれません。何か悪いことが起こるようなことを言うと、「縁起でもないことを言うな」と言われる

        • 宗教や信仰についての雑記 #116

          ◯星野富弘氏の言葉 先月の28日、詩人で画家でもある星野富弘氏が亡くなられました。そこでその著書の「愛、深き淵より。」(学研プラス)を読んでみました。 その本の目次の次のページに、題名のない一篇の詩が記されていました。  二番目に言いたいことしか  人には言えない  一番言いたいことが  言えないもどかしさに耐えられないから  絵を描くのかもしれない  うたをうたうのかもしれない  それが言えるような気がして  人が恋しいのかもしれない 個人的な感想としては、この詩

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        宗教や信仰についての雑記 #0

          宗教や信仰についての雑記 #115

          ◯無我について だいぶ前のことですが、「人間とは結節点である」ということを、何か仏教に関する本で読んだことがあります。 一人ひとりの人間は各々が、様々な因や縁によって織りなされた広大な網の結び目であるというのです。 でもそのことを言葉で表すと、「網」や「結び目」や、あるいは「糸」といった概念に分かたれてしまいます。 しかし現実はそんなふうに分かたれたものではないのでしょう。 また私は、人はみな大いなるものから「願い」をかけられている存在で、さらにその「願い」を担って誰か

          宗教や信仰についての雑記 #115

          宗教や信仰についての雑記 #114

          ◯アポミクシス 先日、道端に咲くたんぽぽを見て、昔、たんぽぽはアポミクシスで繁殖する植物だと学んだことを思い出しました。 アポミクシス(Apomixis)とは、無融合生殖と訳されるもので、植物における所謂無性生殖のことを指します。 球根やむかごなどによる繁殖もアポミクシスの一例だそうです。 あの綿毛の付いたたんぽぽの種は、受粉を伴わずに形成されたもので、みな遺伝的には母植物と同一のクローンです。 アポミクシスは有性生殖よりも少ないエネルギーで短期間に繁殖できるため、特定

          宗教や信仰についての雑記 #114

          宗教や信仰についての雑記 #113

          ◯祈りの効果 数日前より毎朝、バランスよく「願い」の担い手になれますように、と祈りの言葉を唱えるようにしました。 この「願い」とは以前の投稿で何度か書いている、大いなるもののから我々に向けられた「救ってあげたい」という願いのことです。 またバランスよくとは、心と身体のバランスやワーク・ライフ・バランスなど様々な意味でのバランスのことで、言い換えれば「無理をしない」のようなことです。 そして担い手とは、これも以前の投稿で何度か書いたのですが、我々の存在に織り込まれた「願

          宗教や信仰についての雑記 #113

          宗教や信仰についての雑記 #112

          ◯変性意識状態? 先日久しぶりに、若い頃に瞑想の真似事をしているときに感じた、妙な感覚に陥ることがありました。耳鳴りが頭全体に広がり、体の感覚が薄くなって、意識がふわふわと宙に浮いているような感じです。若い頃はそのような感覚になることが時々ありました。幽体離脱というほどのものではなかったのですが、それも変性意識状態の一種だったのかもしれません。 今ではそのような状態になることは滅多にありません。その頃も、そのような状態になるのは休日の午前中だけでした。それは身体の状態に依

          宗教や信仰についての雑記 #112

          宗教や信仰についての雑記 #111

          ◯試しに考えてみたこと 先日、瞑想の真似事をしているときに、「全然合理的でなくてもいいから、直感的に感じたことを言葉にしたほうがうまくいくのではないか」と思い、以下のようなことを考えました。 この身体は孵卵器である それもシングルユースの 使い捨ての孵卵器である 孵卵器は必要で 大切なものであるが 主役ではない 主役は卵である しかし卵は卵であるが故に 殻に包まれ 受信しかできない この孵卵器が役目を終えて 朽ち果てたとき 卵は孵化して 無限の大空へと飛び立つ だ

          宗教や信仰についての雑記 #111

          宗教や信仰についての雑記 #110

          ◯ツツジの毒 先日、ツツジの花の蜜には毒があるという話を聞きました。 ツツジは漢字で「躑躅」と書きますが、この字は「てきちょく」とも読み、足踏みすること、ためらうこと、という意味があるそうです。 ツツジにこの字が当てられた理由は、一説には、羊が誤って食べると毒で動けなくなってしまうから、とのことです。 生物には体内に毒を持っているものが少なくありません。それらは我々にとってはありがたくないものですが、その生物にとっては厳しい生存競争を生き抜くための手段のひとつなのでしょう

          宗教や信仰についての雑記 #110

          宗教や信仰についての雑記 #109

          ◯調和について⑥ 先日、障害者の方が映画館への来場やネコバスへの乗車を拒否される、というニュースを見ました。 そのことについて、祈りや調和といった観点から考えてみました。 障害者の方の様子を見たり、話を聞いたりして気の毒に思うことは、人として当然のことだと思います。 でもそのような気の毒な思いをそのままで済ましておいては、調和へは近づくことはできないでしょう。 以前の投稿(#25,26)で、遺伝的な病気や障害は、我々が存在することの代償であり、先天的な障害や遺伝的な疾患

          宗教や信仰についての雑記 #109

          宗教や信仰についての雑記 #108

          ◯調和について⑤ 先日、調和についていろいろと調べていたところ、「調和は静的なものではなく、動的なプロセスである」という文章に出逢いました。 我々を取り巻く常に環境は変化していて、世界を構成する物や人もまた常に変化しているためだそうです。 おそらく調和とは一度達成すればそれで良い、というものではなく、常にそれを求め続けなければならないものなのでしょう。 もし調和ということが、大いなるのから我々にかけられた願いのひとつの形であるならば、その願いも変化してゆくものなのでしょ

          宗教や信仰についての雑記 #108

          宗教や信仰についての雑記 #107

          ◯調和について④ 以前の投稿(#74)で「罪の自覚」ということを書きましたが、調和のという点から観た罪とは何か、ということを考えてみました。 まず思い浮かんだのは、この場合の罪とは調和への道を妨げること、ということです。 調和への志向を乱し、阻み、後戻りさせるような思いや言動のことだと思いました。 でも事はそう単純でもなさそうで、「調和を乱すな」という言葉のもとに個人の自由が奪われるといったこともありがちなようです。所謂「出る杭は打たれる」みたいなことですね。 言うま

          宗教や信仰についての雑記 #107

          宗教や信仰についての雑記 #106

          ◯調和について③ 前回、生命とは残酷なものであるから、我々は努力して調和を実現させなければ生き残れない、と書きました。 また以前の投稿で(#100)、生きるとは祈ること、祈るとは生きること、とも書きました。 そう考えると、調和の実現とは祈りの目指すものであると同時に、調和への志向は祈ることの条件でもあるような気がします。 また前回、我々が「調和」という概念を獲得したのは、やがて訪れる限界の予兆だったような気すると書きました。 それは見方を変えれば、「調和」という概念の獲得

          宗教や信仰についての雑記 #106

          宗教や信仰についての雑記 #105

          ◯調和について② 前回、生命とは素晴らしいものであると同時に、残酷なものなのだとも言えると書きました。 そんな生命の進化の果に我々が生まれ、生命は知性を持つに至りました。 知性を持つということは、自己を認識するということでもあります。 自分を取り巻く環境と、自分自身の中にも、収奪と闘争をもたらす残酷さがあることを、人間は認識しました。 そして知性を持った人間は言葉を獲得しました。 その言葉により、世界にある様々な物を利用するために名前をつけ、さらにそれらの物から共通する

          宗教や信仰についての雑記 #105

          宗教や信仰についての雑記 #104

          ◯調和について① 先頃、「調和」ということについて考える機会がありました。 「調和」ということは、東西の様々な宗教で大切なもの、目指すべきものとされているようです。 調和が大切であることは当然のことで、言うまでもないことのように思われています。 でもなぜ、様々な文化や宗教で「調和」がこれほど重要視されているのでしょう。 調和の対義語を調べてみたら、一つではなくいくつも出てきました。 ・不調和 ・混乱、混沌 ・対立、衝突、不和 ・葛藤 ・不均衡 いろいろとあるようですが、ど

          宗教や信仰についての雑記 #104