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小説|青い目と月の湖 24

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 村長の自宅の居間に通されたクロードは、出されたハーブティーを飲みながら彼を待っていた。
 村長は町の学校で勉強をし、教員資格を取得して戻ってきた男だ。
 村長に担ぎ出されて二十年になるが、その前は子供達に勉強を教えることだけを生業にしていた。
 クロードが川から家に戻ると、この村長からの直筆の手紙を持った伝書鳩が待っていた。
 直接自宅に来て欲しいという内容だった。
 訪ねてみると、子供たちが授業を受けに数人来ているということで、ここにこうやって待たされている。

 三十分ほども経つと、村長は現れた。
 杖をついて、右脚を軽く引きずっていた。
 クロードは席を立って挨拶をした。
「お久し振りです。どうされました?」
 脚についての質問だった。
 杖をついている彼を見るのは初めてだ。
 六七歳という年齢で、頭髪の半分くらいは白かったが、体は丈夫だという印象をクロードは持っていた。
 服の上からでも、年齢の割りに締まった体の線を感じさせる。
「怪我でもされましたか」
 クロードのセリフに、村長は残念そうに微笑んだ。
「少し期待してたんだけどな。まあ、お座りなさい」
 クロードは訳が判らぬままソファーに座り直した。
 向かいに座った村長は、杖をテーブルに立てかけてから口を開いた。
「痛風でね。医者にそう言われたんだが、もしかしたら違うかも知れないと思って、君に確かめてもらいたかったんだ。まあ、魔物が取り付いてるのを望む者も珍しいだろうが、それなら君に任せれば治るんだからね。でも、どうやら本当に痛風らしいね」
 クロードは肩をすくめた。
「そういうことでしたか。すみません」
「いやいや。君が悪いんじゃないから。そうだ、ハンスは今日は来ていないが、最近はよく来るようになったよ。多分、配達のない日は大抵来てるんじゃないかな」
「そうですか」
「うん。なかなか感心だ」
「それは良かったです。それで、私に用というのは、その脚の確認だけでしょうか?」
「ああ、まあそれがメインではあるが」
 村長は膝の上で両手の指を交差させた。
「実は、この脚の痛みが酷くなってきて、最近は馬に乗れなくなってしまってね。ちょっと困ってるんだ」
「ああ」
 クロードは思い出すような声を出して、そして続けた。
「遠乗りは村長の唯一の趣味だと、誰かに聞いたことがあります。それは残念でしょう」
 村長は苦笑いを浮かべた。

 クロードは首を傾げた。
 趣味の乗馬が出来ないことと自分とに、何の関連性も思いつけなかった。
 村長は首を捻って部屋の入口を窺うと、クロードに顔を戻した。
 戻ってきたそれには、緊張感が伴っているように感じた。
「君に頼みたいことがあるんだ」
 この家には村長夫婦と住み込みの手伝いの女性が一人いる。
 そして毎日、入れ替わり立ち代りでも、必ずどこかの子供の姿があった。
 家族は少ないが昼間は割合賑やかな家ではある。
 今は夫人の下で真面目に授業を受けているようで、村長が来るまでの間に少し聞こえていた子供の笑い声も治まり、奥は静まり返っていた。
 村長はその静けさが返って居心地が悪いとでも言うように落ち着かない様子で、歪めた口から抑えた声を出す。
「折り入ってね」
「何でしょうか」
「話せば長くなるんだが」
「構いません」
「うん。まず、息子の話をしないといけないだろう。もう、いなくなって二十年にもなる。聞いたことがあるかい?この話しは」
 初耳だった。
「いいえ。息子さんがいらしたんですか」
「ああ。まあ、自慢の息子だったんだよ。この学校を継いでくれる約束をして、町の学校も出ていた。それが、ある時、ふっといなくなってしまった。いなくなったというか、帰ってこなかったんだ。ルークは、ああ、これは息子の名だが、あいつは町に行っている間に乗馬を覚えてね。勉強の合間の息抜きだったんだろうな。村に戻ってくると牧場から馬を買って、よく遠乗りに出かけていた。私もそれくらいの楽しみはいいと思っていた。別に悪くはない、健全な遊びだ。だが」
 村長はいったん口を結び、再び入口を見やった。
「これは、私以外は知らないことだが、ルークは北の森にも出かけるようになっていたんだ」
「北へ」

 クロードは思わず呟いていた。
 そして今、村長が話そうとしている事の内容に、心が重くなった。
 嫌な予感がそこに、まとわりつこうと手を伸ばしてくる。
「北の森へは入らないようにというのは、昔からの言い伝えのようなものでね。この村の者は小さい頃からそう言われて育つんだ。私もよく親に注意された。注意されれば興味がわくのは子供の悪い癖さ。きっと一歩も北の森に入っていない者など、この村にはいないだろう。私もその例に漏れず、子供の頃には何度か冒険を試みたものだ。しかしね、子供は好奇心旺盛と共に大抵は怖がりなものだよ。だから、森の奥の方までは行かないんだ。ほんの触り程度で満足して、あるいは諦めて戻ってくる。それでいい。大人になれば、今度は分別が森に入る事を拒否する。だからきっと、奥に入り込む人間は希だろう。残念ながら、ルークはどうも、その希少な方に属していたようだ」
「北の森へ出かけて、帰ってこなかったと言うのですか」
「様子が変だと感じてね。何かを隠しているような。初めは恋人でも出来たのかと期待していたんだが、問い詰めるとそうではなかった。ルークは最後まで否定していたが、あの様子ではもしかしたら、北の森どころか、月の湖まで行っていたのではないかと思っている」
「月の湖。あの魔女の城があるという、湖ですね」
 
 クロードは白々しくそう言ったが、もちろん村長には不審に思う素振りはなかった。
「そうだ。君も知ってるだろうが、時に噂が流れることはある。村に来る行商人などが運んでくることもあれば、村人で実際にあの場まで行く者もあるのだろう。柵や壁がある訳じゃないからね」
「行く勇気はなくても、作り話を吹聴することはできます」
「そうだ。そんなこんなで、噂だけはずっと昔から流れている。内容はどれも同じようなものだ。魔女が住んでいる。濃紺の髪と瞳を持った魔女」
「千年の昔から生きているという魔女。私も、こちらに来る途中で噂を聞きました。月の湖に近付くな。魔女に魂を奪われると」
「そう。私はね、クロード」
「はい」
「ルークはまさに、その魔女に魂を奪われたのではないかと思っているんだ」
「それで戻ってこなかったと?でもどうして、そう考えられるのですか」
「あいつは、北の森に度々足を運んでいたのは白状した。湖まで行っていたというのは、私の単なる勘だよ。根拠があるとすれば、恋人が出来たんじゃないかという雰囲気を感じたという、それだけかな。それはそれで大変なことだが、まあ、これは無責任な噂と同じ程度の話しさ。もう、それはいいんだ。私が君に頼みたいのは、魔女の存在を確かめてくれとか、そんな大それたことじゃないから安心して欲しい」
 そう言われ、クロードは自分が思っていた以上に深刻な表情をしていたのだと気付いた。
 一息つくために、ハーブティーを一口飲んだ。
 
 まさか、マリエルの父親は、村長の息子だというのか。
 
「実はね、そのバカな息子が、姿を消す前に言っていたことがあるんだ。もし自分が怪我や病気等で外出できなくなったら、北の森の小川の近くにある岩の上に、玉子とミルクとジャガイモを置きに行ってくれとね」
 クロードの頭に、マリエルに案内された沢が思い出された。
 そこには大きな岩があった。
 その後にマリエルが食糧のある場所として説明したのは、おそらくそこなのだろう。
「話を聞けば、月に一度、満月の翌日にルークはそうしていると言うんだ。遠乗りの最中に出会った旅人に、森の精霊を鎮めるための供え物をしないといけないという話を聞いたそうだ。いかにも疑わしい話だが、ルークはそう言って、自分が行けない時は代わりに私に行ってほしいと頼んできた。簡単な地図も描いてよこした。ルークは体が丈夫だったから、結局あいつがいる間に、私が代わりに行くというような事にはならなかった。だが、あいつは帰ってこなくなった。家出をする理由は思いつかず、遠乗りに出て事故にあったのだろうということになった。崖から落ちたか、川に落ちたか。南の森の捜索は行ったが、もちろん発見できなかった。私はルークが北の森をうろつきまわっていたとは誰にも言わず、一人でそこを探したが、やはり見つからなかった。北の森は確かに少し様子がおかしいね。すぐに道に迷ってしまうんだ。気付くと同じ場所を歩いているという感じだ。でも、あいつが言っていた小川の岩を見つけることはできた。岩の上には何もなかった。もしかしたら、ルークが言った旅人というのが本当に存在するとしたら、その者が実は自分の食糧を確保するために吐いた戯言かもしれない。それでも、私は一応ルークが言った通りに満月の翌日に食糧を持って行ったんだ。二、三日後に、それがどうなっているかと見に行った。すると、そこに置いていたものは無くなっていたよ。私は何となく、ルークがそれを受け取ったような気がして、結局それから今までの間、毎月食糧を北の森に運んでいる。玉子とミルクとジャガイモを、この二十年間。今ではもちろん、ルークが生きているとは思っていない。もう諦めている。諦めるには充分な年月が経ってしまった。でも、食糧を持っていくことをやめる気にはなれないんだ。これはあいつの、遺言のようなものだから」

「村長は馬で、北の森へ行っていたのですね」
「ああ、そうだ。それが、ここに来てこの足が言うことを聞かなくなってしまった。それで、君に頼みたいんだ」
「北の森へ、食糧を持っていけと」
「迷惑だろうとは思っている。魔術師の君だから余計に、北の森を出入りしている姿を人に見つかれば、思いもよらない噂となって話は流れるだろう。しかし、君以外にこんなことは頼めない。判ってもらえるかな」
「ええ」
「もし村人に気付かれた場合は、私が釈明をする。何らかの口実を付けて、私が頼んだことだと話をする。だから、頼まれてくれないだろうか」
 クロードは少し間を置いて答えた。
 湖の正体を知ったクロードに、それは難しい事ではなかった。
「承知しました。要は、北の森のその場所に、玉子等を持っていくだけの事でしょう。容易い御用です」
「ありがとう。君なら引き受けてくれると思っていたよ」
「しかし、運ぶその物はどうされますか」
「うん。君は馬を飼う気はないかい?」
「馬ですか。まあ、あれば便利なのでしょうが、世話をするのに手間がかかることを思うと……」
「そうか。そうだな。村に住んでいるならまだしも、あの場所じゃ村人が世話をしに行くと言っても簡単には行けないしね。それなら、ハンスに頑張ってもらうしかないな」
 村長は今までの生真面目な表情を少し崩して微笑んだ。
「なに、その日だけ少しかさばるだろうが、ハンスも馬に乗ることだし、月に一回だけだから」
「そうですね。それでは、ハンスが持ってきたものの中から、その分だけ私が北の森に運べばいいのですね」
「そういうことだ。すまないが、頼むよ」
「承知しました」
 帰り際、村長は村に越してくる気はないのかと尋ねた。
 クロードは静かに首を振った。
 おそらくは、遠からず、この村を去ることになるのだろうと思いながら、村長に別れの挨拶をした。


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