学校現場の前年踏襲 癖

 学校現場はなぜか前年踏襲の癖がある。
 何が良かったから、前年のままにするのだろう。
 疑問に思うことも多い。
 若手の頃はよく年嵩の教員に質問をぶつけた。
 それらしい答えの理由があって、結論「このまま」ばかり。
 食い下がった時の一番笑った答えは「辞書をひけ」載ってるか。「イルカも泳ぐわい」出版より前の話です。
 学校現場は様々な行事や取り組みの反省さえ、形にこだわります。
 意見ー反論みたいな感じです。
 結論は決まっています。そのまま。新規勢には理解不能な理由。
 トラディションだから。そこが問題。
 話し合う時間を取る意味がない。 
 反省すらしなければ良いのに、、となってしまう。
 うまく反省できない「教える」人たちが「教えられる」子どもに反省を求める振り返り。意味がないよね。なんであんなもんを広めているんだろう。不思議です。

 失敗できない組織が陥る過程は理解できる部分もある。
 校務分掌という形態が阻害している部分もある。
 教育は惰性が強いことも理解できる。

 しかし前年踏襲では対応できない問題が増えてきているのも事実。
 どうにかしていかなければ立ち行かない状況になってきている。
 倒れるのは真面目に仕事をしている人から順番にだからです。
 まずは、前年踏襲を脱却するための理解を深め、啓蒙していく必要があると言えます。

 教員の入れ替わりが激しくなっている

 これから先、1校あたりの勤務年限がどんどん短くなっていくものと考えている。以前は平然と1校10数年という主がいたことがあった。学校というのは不思議なもので一番権力を持つのは管理職でも、年齢でも、経験年数でもなく、在校年数なのである。地域を知っている、学校を知っている、歴史や経緯を知っている、保護者を知っている、が幅を利かせます。そこが信頼のモノサシになるんです。よく言われるのは、長くいる人がガッサリ抜けた年に保護者や地域の人間が新年度の不安をモロに新規者にぶつけてくるんですよね。その状況に慣れすぎてて返答もせずににっこり笑うだけです。「大変ですよね」と言いながら、腹の中は煮えくりかえっています。少なくともウデで負けるわけないやん。と。(自己肯定感高過ぎ)
 こうしたことが原因で神戸の教員いじめが生み出されたことを保護者や地域の人間は知らない。長くいる理由は、既得権を活かした自分に都合の良い状況下でサボりの高みを目指すためだけのことです。このことが神戸いじめや奈良教育大附属の件で外にもれ始めたのと不正会計や不正業務を勤務年数の長さでうやむやにする奴が出てきて教育委員会が困っただけのことが勤務年限縮小化の流れを作り始めたのです。
 これにより人事は結構めんどくさい仕事になってしまう。
 人事権は既得権の最も大きな部分を占めていること。
 人事は全員の第一希望とは重なり得ないこと。 
 ゆえに妬みや嫉み、仲違いにつながること。
 さらに出世や給料などのキャリアに関わること。
 これらの理由から結局何も考えずガラガラポンするのが一番楽で公平になると考えるが、結果誰一人納得しないという奇妙な人事配置で新年度のドタバタがなし崩しでスタートして失敗する悪循環。それを取り繕う1年間。おー韻を踏んだ。
 
 これからは構成員の性質上、前年踏襲を減らしていかなければ仕事がフレキシブルには回っていかなくなってしまうに違いないということです。

 教員の質が低下していく

 ブラックな職場イメージ以上に離職の現実はダメージを与え続けています。
 確実に新任者の実力が見合わなくなっている。
 後述する教員の仕事自体の多様化と養成機関のチープ化も相まっている。養成される人の学校教育経験や弱者道徳の社会情勢もある種の頑迷なまでの真面目さを要求する教育という仕事に対して無理しないでこなす方向性を後押しをしている。そうした部分の皺寄せは、とある一点を目指して進み更なる困難を生み出していく悪循環。
 ここに重ねてトドメを刺していくのが定年延長の流れである。あまり知られていないが、教員は50前後から官僚に倣って昇給が停止していく。官僚と違って元々給料が安く天下り先がないにも関わらずである。この制度のまま定年延長後の給料は決められていくから笑える。民間同様延長後は7割ほどの支給になる。年金の代わりだからいいだろうという不思議な理屈であるがこれが教育現場の崩壊をより助長することになる予想をして公言している人間を私以外知らない。(私を含めた)仕事しないことを正当化した老害が教育現場で1割以上をこれから静かに占めていき、最終的には学校内の4割程度まで増えてしまう計算はすでに立っている。10割もらっても仕事をしない老害や子育て世代で溢れかえっている教育現場において、そいつらは昇給の止まった7割程度の給料では今やってる仕事の半分程度もやらないことを主張し静かに正当化するに決まっている。教職員定数が変わらぬままそういう状況になると今よりひどい形で、学校の屋台骨を支えているミドル世代に皺寄せがいくことは想像に難くない。
 前年踏襲で仕事をしていくことは徐々に難しくなる要因として大きすぎる弊害である。

 教員の仕事が多岐に渡っていく

 令和の日本型学校教育というキャッチフレーズは実に多くの教育改革を要求している。元号と教育の間にある関係性は意味がわからないが、今までの歴史通り「子どものため」の教育改革が行われることは確実である。端的に言っても全ての方向に向かって相当深い知識と専門性を発揮しなければ実現が難しい作文が揃っている。
 全ての教員が職について数年以内にただ授業ができて子どもと関係をつくる以上のことを求められていくのである。
 すごく正直に言えば、これまでは子どもに合わせず自分の型を貫いている授業をしているだけで定年までたどり着くことができた。事実そういう人間を何人か見てきたし。しかしこれからは厳しい。そういう教員の多い学校は確実に疲弊していくからである。しかもそういう人間は自分ができていないことに気づいていないままにさまざまな問題のタネを溜め込んで先送りして他人に手渡してしまいます。
 こうした状況下ですごくたくさんの新しい仕事が令和の日本型学校教育として降ってくることに対して前年踏襲のスタイルで臨めば全く対応できずに立ちすくむか、対応するためにすごく真面目にマニュアル化を進めて中身のない混乱を引き起こすかのどちらかでしょう。前年踏襲では、担当者は自分で仕事をせずに責任を回避するために他人に振ってみんなで分けがちです。このやり方もやはり実体が進まぬままどこか一点に問題を集中させてしまいます。弱者と真面目が疲弊する構図です。
 管理職がマネジメントという形で全てうまく案分すればいいのですが、無理なのは前に述べた通り。端的にその能力がない。知らないことを全く恥じないし隠さない。全共闘一個下の世代はこの辺が極端に弱いです。

 前年踏襲のマニュアル化が業務の安定性を生み出すというあり得ないロジックからの学校崩壊を引き起こすという言語化をするうちに非常に長くなってしまいました。これは予言ではなく、すでに現実になりかかっていることです。マニュアルを信奉することは古典的な教育理論や哲学に向き合い批判的検討をくぐっていない、教育法則化運動やマクドナルド方式のメリットデメリットをきちんと把握していない人間の特徴です。
 前年踏襲とはそういうもんです。

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