特別支援教育の現在地 子どもを分ける

 実はここが非常に難題だと考えています。根本の話なのにです。
 発達観がズレるということ以前に特別支援教育では子どもが分けられています。この根拠が非常に薄弱なんです。これについては国連からも是正勧告を受けていますが文科大臣は突っぱねた経緯があります。

 分けるという言葉自体にもいくつかの段階が生じます。
 まずは特別支援教育を受けるかどうかを分ける段階です。基本お医者さんの判定が必要なんですが、これはあまり有効に機能していないと思っています。お医者さんによってバラバラな上に(DSMの4、5やWISC、ICDなどをそこそこ理解した前提で話しています)職業上利益を優先する方もおられるからです。また子どもの未来を考えて診断領域を広めに判断した方が良いとしたり、子どもを診断すること自体を理解できていなかったりする場合も往々に見受けられます。
 子どもにはいくつかの一般的特徴があります。慣れない場所では普段と違う反応を見せるとか、平然と昨日と違う事を言うとか、力の限りふざけるとか、全能感丸出しにするとか、積み重なりが全くないように見せかけるとかです。あげれればキリがないですが、「子どもらしさ」ということだと思います。これはいわゆる「しょうがい」と非常に近い行動様式なんですよね。有名な方々に余計な説明を加えずに「しょうがいと子どもらしさは見分けられますか」「しょうがいと子どもらしさの違いは何ですか」とアホを装って聞いてみたことがあるのですが断定的なイエス、ノーを言うだけで科学的な根拠を示しながら説明してくれた方は1人としていらっしゃいませんでした。めんどくさいと思われたんでしょうけど。
 実際、特別支援教育を受ける場合、今の分け方はカオスです。医者の決定以外にも公的機関や福祉職の要請、教員の見立て、保護者の要求、外部の圧力など様々で互いの関係性や意見交流もほぼないからです。
 
 これらバラバラな状況にマンパワーが対応しきれなくなった教育委員会は、対応内容の変更を画策します。これが次の分けるです。白とも黒とも言えないグレーな子どもを決めるという非常手段に出てどの子にも対応すると強弁してダブルスタンダードのよる引き下げを狙ったわけです。これは官僚が得意ななしくずしという技です。広く市民の要求に応えニーズに対応する「子どものため」という宣伝文句ですが、これがカオスをさらに助長することになったんです。しかもこれらの分け方はその区分によりかけられる手間ひまをもきれいに分けてしまいました。かなり低い割り当て時間で。一体どのへんが公立として個々の子どもにとって許される差なのかは全く議論の遡上にのぼることはありませんでした。それが特別の特別たる所以と言われれば返す言葉もありません。しかしこれは致命的でした。学校においては1人あたり対応時間が多くて対応人数が少ない総時間数と1人あたり対応時間が少なくて対応人数が多い総時間数ではその教育的価値は全く違うからです。同じ総時間なら議会的には後者のほうが見栄えが良い。時間や教育的価値は目にはみえないから、意図的に観点から削除できます。行政が宣伝するなんとかプランとかなんとか日本一を高評価する人があまりよくわかりません。とにかく一校あたりにおいて対象児童が増えてしまったんです。大人の事情で。

 そして最後の仕上げとして、その対象児童自身が自分の置かれた立場の感覚を分けてしまうんです。特別支援教育の対象児童は多面的に同時に自分を見ることができません。子どもは一般的にそういう力が弱い。ただただ一面的に自分は特別の一員であることを身体に染み込ませていきます。実際、不登校児童にもこの傾向は現れますが、不登校の場合は自分の特性や家庭状況が大きな位置を占めるので学校にできることはそう多くないです。もちろん学校のせいであることもありますが。しかし特別支援教育がもたらしたものは、確実に学校(学校の名誉のために言えばつくったのは大人の事情です。)が作り出したモノによって対象児童がはみ出したり、周りの児童が大きな迷惑を被ったり、クラスが壊れたりしていくことに貢献してしまいました。学級崩壊の構図の分類の一つとしてよいのではないでしょうか? 
 特別支援教育が学校に浸透していく中で子どもたちがしっかりと分けられていく様は、さながらアパルトヘイトやカースト制度のような身分制度を想起させます。そういう制度的な差別の生成過程を実際見たことがないけれど。1つの学校の中で静かに強く、分断された子どもたちの様子を教育委員会や教員や保護者や医者の都合で作っていく可能性があることに少し注意と関心を払っていく必要があるのではないかと思います。

 書きながらだいぶ暗澹たる気持ちになってきました。特別支援教育の実際の運用とインクルーシブアンドダイバーシティの概念は日本の教育・学習指導要領という一面において非常に親和性が良くないということを実感してしまったからです。
 まだまだ書いておくべきことがあるので続きます。

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