いじめ防止対策推進法の機能不全

 というより長崎の海星高校の問題だと考える。
 このニュースを見ると、もう正直高等学校の存在理由がわからない。
 高校野球をするための組織なのかなぁとも思う。
 大学の予備校であるならいっそ廃止したほうが清々しい。
 公立高校が存在する害悪は実はさまざまな場面でいろんな方面に迷惑を撒き散らしている。
 費用的なメリットをいう人間がいるが、これは早晩授業料無償化と今起こっている通信制高校の授業料のディスカウントによって無力化することは目に見えている。
 義務教育じゃないだから良いじゃんというかもしれないが、どの世の中に在籍率90%を越える「自由」というものはあるのだろうか?
 こうした明確に学力によって区分された学校がきちんと存在することは、社会にとっても子どもにとっても非常によろしくない。
 そして小学校教員にとって最大の害悪はこうした「教育」に対して能力と情熱のかけらもない人間たちが都道府県教育委員会の政策を立案していることである。都道府県教育委員会の指導主事は基本的に都道府県立学校である高等学校の教職員をもってあてられることが一般的になっているからである。実はこの一般性をきちんと説明できる人間を私は見たことがない。しかもこやつらの評価ポイントというのが笑えることに進学実績なのである。プロにもなれないような程度のスポーツ進学や世界ランキングで30位にも入れないような大学への進学者数なのだから意味がわからない。しかもドラマ3年A組が暴露したように非常にブラックなことが日常茶飯事の世界である。
 市町村教育委員会の指導主事たち、もちろん学校の管理職たちは、組織人である以上自分たちの上長である文科省の人間、都道府県教育委員会の人間の意に沿うようにしか動けない。つまり非良心的で何の専門性もないかつ子どもに対して非道なことをして実績を上げた高校教員経験者が市町村の公教育の動きを監視コントロールしていると言ってもあながち間違いではないはずだ。
 こんな過激な発言をしなくてもN・S高の出現でオンライン系のいわゆる通信制高校を取り巻く環境は劇的に変化してきている。

 この流れはおそらく中学校と大学に広がっていくハズだ。
 大学の独法化や大綱化がN・S高の成立に力を与えた側面はあるはずだ。そしてその動きはZEN大学に繋がった。慌てた公教育側は中学校の公立を守るために学びの多様化学校を持ち出してきた。この4月からだけでも相当数の不登校特例校が開校した。私の知りうる計画だけでも相当数にのぼる。
 しかし多分学びの多様化学校は形骸化するだろう。
 学びをコーディネートできる人材を公立中学校教員であまり見たことがないからである。
 何度もいうように中学校と高校の教育現場はムラ社会である。突出した専門家でムラの中での学びに目新しさを作ることができている人間は時々見かけるが、それは所詮一部分だけの話である。そんな形で実現したところで、すでに学びから逃避した子どもに深いアプローチできるとは到底思えないからである。
 学びの多様化という看板を掲げながら、やることは人間同士の信頼関係のつむぎ直しである。

実際単位制通信制高校がやっているのは、子どもにやりたいことを丸投げにすることによって生まれる事象に対するサポートでしかない。教育ではなく支援に特化することで主体的の皮を被せているだけである。うまくいけばこれほど達成感の幻想を抱かせることにこれほど都合のいい方法はない。
 これは成立するのはある程度の人間的な基本が出来上がっている前提があってこそである。人間は教育されてこそ人間たりうる。カントの言葉だが教育現場では定言命法による自立化を目指す実践が今もなお行えているのは小学校だけ、それもごく一部のウデのある教師だけになってきていることを少なくとも教育行政は自覚する必要があると思います。

法律の問題ということではなく、本質的な教育をもっと問いただす必要があると思います。
特給法はもういいから日本の教育をどうするかを真面目に考えたらどうなのだろう?
さしあたって学習指導要領をヘンなヤツに決めさせないでほしい。

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