特別支援教育の現在地 教員同士の関係

 今の特別支援教育が小学校現場の教員を分断し始めているという話。
 前回の続きから言えば、分断を乗り越えてつながりなおそうという話。
 そういう意味で言えば、そもそも中学校と高等学校、大学というのは教員が教科領域によって分断されている学校である。専門領域の話として横断的総合的に教育を行える技能を持ち合わせている教員がいるのは日本では唯一小学校(加えて幼稚園、保育所、こども園もだが厳密に言えば教育ではない)のみということになっている。もちろん良し悪し故の教科担任制導入であろうが、このことが特別支援教育と深く関わっていることはあまり知られていない。
 
 中学校 高校では、特別支援教育はほぼほぼ機能していない。一つの教科しかわからない人間の集まりで専門性が高いと言えば聞こえが良いが塾とほとんど変わらないシステム上、部活も含めた学習指導以外機能のしようがないからである。そして部活は学校では機能しなくなってしまった。
 初等教育以外のシステムとしては妥当なのかもしれないが、実は今、単位制の高校やN高などによく見られる新しい高校はマイコーチやチューターという小学校で揶揄される学級王国を使った手法に逆戻りして顧客を獲得し始めている。
 教師は、別になんでもできる必要はなく、なんでも教えられればいいのである。
 子どもはなんでもできる必要がなく、なんでも学べればいいのである。
教えるを伝達だけと勘違いしさえしなければ、そう難しいことではないはずである。

 この視点が作文された特別支援教育の実践には重要である。子どもの学びを教科領域ごとに分割してしまう人間に特別支援教育はできない。これがインクルーシブアンドダイバシティが学習指導要領と圧倒的に親和性が悪い根本的な理由なのだ。

 その発想に基づいても実際は、小学校で特別支援やいわゆる発達の境界上にある子どものサポートに関わる人間と担任の間には様々な溝ができてしまう。

対象が違う

 担任は一人の子どもだけを見ることはしない。
 しかし支援教育担当者は基本的に対象児童しか見ない。もしくは興味のある児童しか見ない。基本的に学級集団の発想がないのと「普通」の子への眼差しに熱量がない。ここに視点の差ができてしまう。いやできた場合には幸運なのだが、できなければ支援対象者中心のクラスづくりを余儀なくされてしまう。
 この場合一番迷惑を被るのは、特別支援教育担当者のおメガネに敵わない普通の子どもである。
 非常に皮肉な話だが、中学校・高校では特別支援教育がなされてないが故の普通の子どもへの眼差しがある。多少なりとも。年齢が上がれば上がるほど、人間的評価は教科に分断されたペーパーテストのみになってしまいがちなので必然薄れてしまうが、それでも今小学校が陥りがちなこうした病理とは無縁でいられる。

事情が違う

 今の日本の労働市場の視点に子育て世代への眼差しがある。というかそこにしか目が向いていない。若手独身者に非常に冷たい社会である。
 故に職場において子育て世代が非常に優遇されている。
 特別支援担当教員は例外なく子育て世代が多数を占めている。
 時間の融通が効く、授業準備がいらない、保護者対応がほぼない、宿泊などの超勤4項目を避けやすいなどの理由からであることは容易に想像がつく。
 100歩譲ってここまでは良いとしても、実際はこれ以上に現場において自分たちの事情を押し込んでくることがしばしばである。
 子育て中だから・・・と言えば対象児童が放っておかれることすら正当化されてしまうのである。もちろんその皺寄せは若手独身者にしかいかない。
 クラス経営においても子育て世代の特別支援担当教員の知見が良きように作用することなど非常に稀で、担当者の個人的な事情がクラス全体を巻き込んで悪影響を及ぼすことのほうが多いのが実情である。

 このように特別支援担当教員は自分が仕事しているように見せかけることが重要であるため、非常に多くの小細工を弄する。
 たくさんの場所に現れてチラッと助けたり、複雑怪奇な時間割を作ってアピールしたり、作品を対象児童の代わりに作成したり、宿題をできあがるように工夫したり、保護者へのアピール作文をしたり、可愛い掲示物を作ったり・・・といった具合である。
 全てが見栄えのための行動であり、対象児童に力をつけようとする行動ではない。
 故に実際のところ自分たちの支援がどのような効果をあげたかやクラス内でのその子のポジションの変化についてはお茶を濁す程度の報告しかしない。実践はありきたりになり、実践とも呼べないような取り組みで自分の労働時間を潰すことに終始するようになる。

 これで教員同士の関係が風通しが良くなるわけがない。
 ダブルスタンダードが取り組みの質を落とすように、学校に教員の人数は余るほどいるのに仕事をする人間は少ないという不思議な状態を特別支援教育は作り出してしまうのである。
 非常勤が学校の中心を担い、子育て世代が評論家を気取って既得権の甘い汁を吸い続けたことも若い世代の離職者が増え、教職希望者が減ることに非常に貢献したと思う。 

 それくらい実際の特別支援教育は、子どもを分断し教職員を分断し教育現場を無茶苦茶にすることになってしまったのだが、ここから学べることもあるはずである。という話に続けたい。

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