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教育における主体性の正体 #4 主体性可視化のための権力
だいぶこの話が長くなりそうなので、前段に結論への意図を書いておきます。自分が行き先を見失いそうですから。
現時点の学校教育で明確に評価の対象となっている主体性は現状の「やる気」という見方でよいのか?
そして主体性を高めることが学習効果と成員平等に連動するためにはどうなる必要があるのか?という2つの視点から突き詰めてみようということです。というわけで、
教育における権力とは何なのか
教
教育における主体性の正体 #3 主体性の観点としての権力の弱まり
だいぶこの話が長くなりそうなので、前段に結論への意図を書いておきます。自分が行き先を見失いそうですから。
現時点の学校教育で明確に評価の対象となっている主体性は現状の「やる気」という見方でよいのか?そして主体性を高めることが学習効果と成員平等に連動するためにはどうなる必要があるのか?という2つの視点から突き詰めてみようということです。
というわけで、
教育における主体性の強まりを場の権力の弱
教育実践のイノベーション
イノベーションとは凡事徹底。・・・って誰かが言ってた。
ごもっとも。
イノベーションとは目新しさが先立ちがちだけれども、教育におけるイノベーションも新しければいいというイメージではなさそう。
そここそが凡事徹底そして覿面注意。松下幸之助さんの言葉はまさしくイノベーションそのものだったわけで、なんなら今の日本社会の方が昔の比べてイノベーションが進まなくなってしまう要因が揃い始めたのではないか
こうあるべき。自由な発想の教育を阻害する人間たち〜校内研修の話
決める会議と決めないカンファレンス
物事を決めるとはそういうこと。
それについては否定しない。
組織である以上決まり事は必要。
綺麗事だけでは済まされない側面だって必要でしょうよ。
しかし、少なくとも対話には決めると決めないを分けてから話し始めないといくら話しても意味がない。
べき論の取説
しかしです。
であるならその前に組織論についての理解がしっかり進まなければならないハズ。
クラス独自の学習集団づくり
「子どもは学びの方法については教えたことしかできない」ということはあまり理解されない。ほとんど当たり前のことなのだが。なぜかやり方を教えてないのにできると思っちゃう。
似たようなことに「教えたからこれはできる。」
それはない。少なくとも全員ができることはない。学校教育はできる子がいるでよいものと全員ができないといけないものに明確に分けられる。この辺のことが分けて考えられない人がいるのは困りも
ふりかえりとは文書作成能力なのか?
ふりかえり論者というのがいます。
めあて−ふりかえりという授業構造を正当化して広めそこから多角化経営していくことで他のロジックや方法論と結び付いていく増殖していくという理解で間違っていないと思います。
まず納得がいかないのは、こやつらはなぜかこの方法が優れているので他人に広めたいと思っているんですね。他人に強要するのはいかに優れていようとも害悪でしかありません。
ましてより優れていることが他
子どものペースを尊重する教育
個別最適化がよく言われるように
不登校特例校としての高等学校や中学校で
1993年ごろから始まった単位制高校という枠組みで
一斉授業の中で
一斉授業の外で
子ども個々のペースを尊重する学習が取り入れられています。
私が教育や保育にたずさったこの30年ほどの間に
紆余曲折がありました。
奈良教育大学附属小学校のような問題
高等学校の未履修問題
中学校にも未履修問題は起こっています。
何をどう
富裕層はセグメントとしてはあり得ない
こないだビジネスニュースを見てたら星野リゾートの社長さんが言ってた。
そうだよね。富裕層がみんなおんなじモンを求めてるわけがない。
なんか当たり前のこと。でもみんなが気づいていないこと。
富裕層がみんなお金を撒き散らすことしか考えない人ばかりではない。
低学力というセグメントはない
学校教育現場においてもターゲットゾーンについて無茶苦茶な分け方をしている人がいる。
その思いつきを批判すると
授業で ワークシート! やめませんか
ワークシートいらないよね。という話。
私は他人に押し付けはしない。よくわからないのは使用を薦める人。使用が前提の教科書会社。ICTとワークシートと板書計画があれば働き方改革になってると思う教員。
再現性が高い授業は質の高い授業とイコールではない。再現性の高い学習成果と質の高い授業はイコールだけど。
それでもなぜ皆さんがワークシートを使い続けるのかの意味がよくわからない。
紙の無駄だよ。
授業における活動量という発想
授業づくりにはさまざまな味付けがある。
いくつあっても良い。
どんな種類があっても良い。
ある程度の方向性があればなお良いし。
その場における全ての子どもが学びに向かうルール、ルーティン、レギュレーションがあればなお良いのではないだろうか?
必須ではないけれど
教師の仕事
センセーとして結果を問われる仕事ではあるが、必ずしも結果が伴うことはない。いつでも勝てるわけではない。
ここを勘違いし
さあ誰かに押し付けよう。言語化の危険性
基本、人は繋がりを嫌う
カンファレンスが組織を強くする発想は間違っていないと思う。私も目指しているから。しかし3人以上がある集まるといつもの思うのは時間が無駄なんじゃないのと思うこと。話してない人間と聞いてない人間の集まりというのは主体的な人間にとっては至極退屈なものでしかない。
もちろん、そこの人間関係構築力高めの人がいれば、力を発揮できるのかもしれないが、個人的にここが強い人は得意じゃな
読書ノート 中高生のための 「探究学習」入門 光文社新書
読了。うーん。
もひとつ納得がいかない。
この本はこれでいいのかもしれないけれど。
まず「中高生のための」がよくわからない。
筆者の能力上そうなっているのなら、仕方ないのだろうけども基本的に教育は年齢によって出来に違いはあれど、学びの本質や効能は変わらないと思っている。
今の中学校や高校、もちろん大学は言うに及ばず、は教科指導に偏りすぎている。
教育の本質は人格の完成であって知識
「見る」ことの重要性
コナンドイルがシャーロックホームズをして語らせた言葉に
「見ているだけではダメだ。観察しないとね」という趣旨のものがあります。小学校の理科の教科書にも使われている有名な言葉です。
観察の重要性を指す言葉として使われます。
小学生にもいつも聞きます。毎日毎日上り下りしている階段の段数を知っているかい?
たまに知っている子がいてそのことに驚きます。そして踊り場を知らないことにさらに驚くんです
教育におけるデカップリングとは
デカップリング、流行ってますね。教員はあんまり話題にしないんですが・・・
これまでの社会では、経済成長に比例してエネルギー消費も増えるとされて、より企業活動が活発になれば、生活が豊かで便利になります。こうしたカップリングは教育現場でも教師の労働時間が増えれば教育の質が上がるみたいな都市伝説として、しかし教員同士の相互監視作用として静かに静かに教育現場に染み込んできました。
頑張ってると思って