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【老いの入舞】超短編小説

須賀広志は訃報ハガキを受け取り、大きく肩を落とした。
今年はこれで何人目だろう。

「(館内放送が鳴る)皆さま、新しい入居者をご紹介しますので談話室へ起こし下さい」

悲しみに打ちひしがれる中、ため息をつきながら、重い足取りで食堂ルームへと向かった。

「竹内茅野(かやの)です。生まれは徳島、育ちは大阪で…どうぞ宜しく」

色白で小柄な女性。身丈に合わせた薄ピンク色の着物が、肌に馴染んで上品さを醸し出す。

『老人ホームしあわせ壮』に住む老男女たちが、のそりのそりと円陣を組み拍手で迎えた。

では自己紹介をどうぞ、施設長が促したたので、隣にいた私が先手を務めることになった。

「えぇと…須賀広志。今年八十一歳。いつまで生きるのか…悩ましい日々です…宜しく」
罪深く小さなお辞儀をすると、まぁ、と施設長がなだめるように肩を抱いて、拍手をした。

「なんや、辛気臭いな」
ドスのきいた声がした。驚いて顔をあげると、目の前に座っている竹内茅野が、なぜかこちらへ睨みをきかせている。一瞬で様変わりした形相に気圧されたまま、うまく言葉が出ない。しーんと静まる空気を作り出した女は、はぁ~あ、とわざとらしい溜息を吐き捨てた。

「うちは今年九十歳。目指すは世界最高齢!見とれ、必ず成し遂げたる!」
茅野の叫びはフロア中に響いた。呆気にとられる周りを置き去りにしたまま、ポーチから携帯を取り出し、慣れた手つきでタッチパネルを操っては、大音量で曲をかけ始める。

ツンツテンテ、ツンツテンテ…軽快な金属打楽器、笛や太鼓、お囃子にリズムをとりながら、バサッと着物の裾を足でさばき、天を仰ぐかのように両手を高く挙げる。もしや、これは…

「ほれ、湿り腐った顔しとらんと、あんたらも踊りなはれ」
初めは驚いていた周囲も、踊れ踊れと、しなやかな指の動きではやし立てられては、思わず両手を挙げる。ノリの良い施設長が手拍子を始めると、茅野は一気にリズムに合わせて身体を揺らし、独特のステップを踏み始めた。興奮する年寄りたち。スタッフたちは口笛を鳴らしたりして、盛り立てる。息も切らさず踊る茅野の顔には、ほどよい赤みが射し始め、額には滲んだ汗がきらりと光った。

「美しい…」
幼い頃、親の肩車越しに阿波踊りを初めて見た。凛としながら艶やかに動く指先、軽やかに蹴り上げる足。汗だくになる姿を見て、子ども心に初めて女の色気というものを感じた。当時を彷彿とさせるエネルギッシュな茅野の踊りは、年齢など感じさせぬ活力が溢れている。気づくと私の頬には、とっくに枯れ果てたはずの涙がつたっていた。

“踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々”

いつの間にか、腹からエネルギーが沸き上がり、皆と一斉に合唱している。我こそと大きな声を張り上げている自分がいた。
自由乱舞に踊り狂う年寄りたち。

そうだ!踊らにゃ損々。

踏ん張って、踏ん張って。生きたい。生きたい。

この身一滴残らず、絞りきるまで生き続けたい。気づくと、舞にかきたてられた者たちが、うおぉーっと声をあげ、人だかりが出来ていた。
それぞれに泣きながら、叫びながら、こぞって集められた老いの塊たちは、
みるみるうちに壮大な熱を帯びて、輝かしい明日を連れこようとしている。


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