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寂聴碑 水辺のヒア・カムズ・ザ・サン

 さてnote瀬戸内寂聴記念会の第1回目は、昨年2022年徳島にて建立された瀬戸内寂聴の記念碑を紹介したいと思う。

新町川橋、通りの最終は眉山の麓 

 今回のこの記事を書くために記念碑を訪れたのは、3月も終わりのことだ。暖かな日差しの午後、徳島市内にある水際公園に向かった。
 JR徳島駅から徒歩5分ほど、駅前から眉山へ続く通りの途中にある新町川橋の袂に位置する。道路を挟んで東側は夏の阿波踊りの会場になる藍場浜公園、その反対側が水際公園。公園は新町川に沿う形をしており、川は市内の中心を通り、下流域の徳島港へと至る。

新町川沿いにある水際公園

 園内には立派なソメイヨシノの桜の木々があり、ちょうど満開の花を咲かせている。この淡いピンクの花々と空の青さのコントラストがとても爽やかで美しい。公園には家族連れや、ビジネスマン、鳩に餌をあげている人などが見受けられる。
 歩いていると、川岸に向かってアコースティックギターを弾き、歌う初老の男がいた。思わず、弾き奏でられるイントロに耳を澄ます。

“ヒア・カム・ザ・サン
ヒア・カム・ザ・サン…
イッツ・オーライ“

それはビートルズの曲「ヒア・カムズ・ザ・サン」だった。

“愛しい人よ 長く寒く心細い冬だったね
愛しい人よ
まるで何年もここにいた感じだ
太陽が昇る
太陽が昇る、だからぼくは言う
もう大丈夫“
 
 この場にとてもふさわしい良い歌だった。見かけによらず男の声は清らかで、歌声が青空に向かって放たれていく。暖かな季節の到来を歌ったジョージ・ハリスンの名曲だ。

クルーズ船の回遊や、SUPなどのマリンスポーツ等。川辺は市民の憩いの場

 そんな光景を尻目に、脇の階段を下り川辺の遊歩道に出る。いくつもの橋が架かった川は街中を悠々と流れている。SUPに乗った若者が、川岸からやって来てオール状のパドルを漕ぎながら、緩やかに水面を進んでいく。その水辺を行くSUPは、小都市のゆったりとした速度に合っている。
 道路際に立つ樟が時折吹く風で葉を揺らす。街中の公園でありながら、不思議と公園は静か。

瀬戸内寂聴記念碑 角柱は10層構造、10年ごとの寂聴さんの人生をイメージ
瀬戸内寂聴記念会も協賛

 寂聴記念碑は公園のちょうど真ん中あたりにある。高さは大人の男性ほどで、土を固めて層にして、段々に積み上げて作られている。寂聴さんらしいチャーミングな顕彰碑だ。地元の実業家団体、徳島南ロータリークラブが寂聴生誕100周年記念として建立。資金はクラウドファンディングで募った。記念碑には寂聴さんの肖像画プレートが埋め込まれている。親交が深かった画家、横尾忠則さんが描いた肖像画を陶板にした。その絵も魅力的。
 目前に広がる水辺と明るい陽射しのなかで、記念碑の佇まいといい、ここはとても清潔な心地よい場所。
 そして碑の前には石造りの小さな池があり、その水面が日差しに反射して、寂聴さんのかんばせを照らし、ゆらゆらと揺れて光っている。
 小さな子を連れた母親らしき女性が傍にいて、子どもははしゃいでその池を飛び超えようとして、危ないよ!と母親に叱られている。二人とも寂聴碑には目もくれない。ある意味それほどこの碑は当然ここにあるものとして、この場所に溶け込んでいる。まるで瀬戸内寂聴という光が透過して、あまねくこの親子を照らしているかのよう。この世でいちばん幸福な光景にしばし目を奪われた。
 そう言えば…いまはコロナ禍だったことを思い出す。人と会えないということや、その距離感について改めて考えてしまう。高齢の寂聴さんは人とうまく会えない日々を、どう寂しく過ごしただろうか。水と戯れる親子に寂聴さんが重なる。遠いあの日、子と離別し、出奔したことなども脳裏に過る。
 そのすべてがいとおしく、哀しく、切ない。でもそれが、瀬戸内文学を読むということなのかもしれない。

 再び、寂聴碑の前に立つ。光が溢れる。それは祈りだった。
 ヒア・カムズ・ザ・サン。
 春が来た。
 振り返ると、寂聴碑から川を挟んで遠くに眉山がそこにある。瀬戸内寂聴も若い日、山桜が咲くその緩やかな稜線を見上げたか。
 風が花びらを頂へと舞い上げる。眉山を背に故人を想った。

記念碑の正面には、新町川を挟んで眉山、小説『場所』では逢引きの場所に

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