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演練と誉

もう大学生活も残り一年を切ったという所で、まだまだやり残したが沢山あるなとしみじみと感じている。その中でも特に1番心残りなのが、弊会の演練指導についてであろう。

これを読まれている他大学弁論部諸兄は、弊会の弁論をいくつも聴いた事があるだろうが、その度にこう感じなかっただろうか『毎回小さい話で論筋は通ってるけど面白みに欠けるな』と。

にも、かかわらず何でか(ここでは争いを避ける為言及は避ける)入賞はしてしまい、何となく煮え切らない思いがふつふつとしている方もおられるだろう。

しかし同じように『なんでこれが入賞しちゃうかな』と煮え切らない思いなのは、実は我々も一緒なのである。今回は弊会の弁論、そして演練指導体制の問題点について記したいと思う。

我々がそのような弁論を世の中にばら撒いている背景には大きく分けて二つの要因が存在する。


1.論を通すことの絶対化、至上命題化
2.弁士理念の不可侵、神聖化

順に説明していこう。

1.論を通すことの絶対化、至上命題化

弊会では基本的にロジックを通すことが何よりも大切にされる…が、こんなのはどこの会でも一緒だろう。問題はロジックを通すのが手段ではなく、目的になっている事なのである。

第一考えて欲しいのだが、ロジックを通す、言い換えると因果関係・政策効果を確定させることなど、普通に勉強してきた大学生なら誰にでもできる筈である。しかしなぜか、うちの会の人間はこのロジックを通す事を最上位に配置し、これさえ出来れば後は良いくらいの考えをしてる事が多い。
こうなると何が起きるかというと、例えば、『睡眠前の運動は深い睡眠を40秒伸ばすと論文にあるから、政府は睡眠前の運動を積極的に奨励するべきだ』といったような、問題自体の重大性、政策効果が極めて薄い言説が出来上がるのである。

2.弁士理念の不可侵、神聖化

次にこれと関連して弁士理念の不可侵、神聖化であるが、これも皆さん聞き覚えのあるフレーズがあるだろう。『この現状は私の理念からかけ離れている為、弁論にしました。』『たしかにこの政策効果は薄いかもしれませんが、私の理念である〇〇を実現する為にはやらないよりはやった方がいい』

これらのフレーズの根底には、弁士の理念とは絶対不可侵のもので肯定はされど否定は認められない、という思想が根付いている。なぜこのような神聖化が起きるかと言えば、そうした方が「論」が組み立て易いからである。例え効果が薄くても、例えそんなに大きな問題ではなくっても、弁士の素朴な疑問から生まれた理念は誰にも否定できない。と、それっぽく反論できない感じに空気を持って行けて、非常にこの手法は有用である。もっと分かりやすく言えばポリコレ棒を振りかざしているようなもの。

まぁしかし既にご承知のとおり、この理念の神聖化と論を通すことの至上命題化により、弊会の弁論は『酷く退屈』なものになっているわけである。

ここまでで何となく弊会の弁論の問題点を理解して頂けたと思うが、言及しなければならない事はもう1つある。それは知的誠実性である。

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この一年弱、私は後輩の色んな演練に頭を突っ込んできたが、その度に後輩たちからこう言われた『前日にそこを突っ込まないで下さい』『もう前日なので論旨は変えられません』…
しかし待てと言いたい。大抵の場合、私は大会前日までに何らかのコメントを残しており、それが改善されていないから聞いてるだけなのだ、と。

弊会で繰り返されるのは以下の流れ
1.弁士&演練勢が弁論を作る
2.途中で割と大きめな穴が見つかる
3.テーマの変更を試みる
4.やっぱり無理なので前のでいく(穴は変わらず)
5.大会近くになってまた穴を指摘される
6.大会が近いと言う理由で変更を放棄
7.大会に出場

いつになったら『前日なので変えられません』から卒業するのだろうか。このように弊会の弁論には大抵、大会前にそれなりに大きめな穴が見つかっており、本番でも実は埋まっていなかったりする。正直な話、そんな弁論を大会には出したくないのが多くの会員の本音だが、『大会前日』には弁士変更は出来ないのでそのままで行くと…はっきり言って知的誠実性に欠け、誉なき行為だと私は認識している。

そしてこれこそが、我々も感じていると言った、『なんでこの弁論が入賞しちゃうかな』という部分にモロに繋がってくる。

弊会の弁論、演練指導の体制にはこのように問題だらけ、そんな中でも勝ってしまうから、現状が肯定され、奢り昂り、保守的になる。

目を覚させるには、敗北の味が1番適しているだろう。どうか他大の皆さん、皆さんの素晴らしき弁論でこの腑抜け共を打ち砕いて、目を覚させてほしい。

弊会に『』を取り戻させてほしい。

以上





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