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神戸の山々のトレッキング。京都の寺社巡り。 近場の歴史を学び、心を奪われる絶景との出逢…

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神戸の山々のトレッキング。京都の寺社巡り。 近場の歴史を学び、心を奪われる絶景との出逢いをnoteする。日本の戦国時代、中国の三国史、古代ローマ史と学んでまとめたものの覚書にも使います。2022.4から開始。

最近の記事

戦国武将・信長包囲網の大ボス【本願寺顕如】

本願寺顕如は、京に上洛した織田信長と敵対し、反信長包囲網の一角として、信長と攻防を繰り広げた浄土真宗の宗主。 同盟勢力が次々と滅ぼされるが、十年の長期に渡り大坂に籠城し、ときに局地の門徒を扇動して一向一揆を発動し飛び道具を使って織田軍を苦しめた。 本能寺で討死する信長だが、本願寺を降伏させた後は、地方制圧には分隊を派遣することで平定が進むほど国力が充実していた。 武田、上杉、毛利ら地方の雄に対しても織田分隊が互角または互角以上の戦績をあげた。 富国強兵が進み西洋技術を

    • 戦国武将・黒衣の宰相【太原雪斎】

      今川家譜代の家臣の家系で明応五年(1496)に誕生。若くして出家し京都五山の建仁寺で修行した臨済宗の僧侶。 天文十二年(1543)に、建仁寺派を離れて妙心寺派に転じ、法名を太原崇孚(すうふ、そうふ)と改めた。 雪斎は今川義元の全盛期を築いた重鎮で、雪斎が生きていれば桶狭間の敗戦はなかっただろうと言われる。 大永三年(1523)ごろに、太原雪斎は義元の父、今川氏親に五男の方菊丸(後の今川義元)の養育を頼まれた。雪斎と義元はこの運命的な出会いによって乱世へと踏み出すことにな

      • 戦国武将・信長古参の四宿老【池田恒興】

        信長の二歳年下。恒興の母が信長の乳母に選ばれていた。信長と恒興は幼少の頃からの幼馴染。信長が家督を継ぐ前から一緒に活動をしていた。 桶狭間、美濃攻略戦の信長の旗上げに貢献して、元亀元年(1570)の姉川の戦いでは、恒興は丹羽長秀と徳川家康の軍に加勢して朝倉の大軍を打ち破った。信長の躍進とともに恒興も武功を重ねる。 畿内を拠点とする信長の本隊から離れて、尾張犬山城主となり、美濃を拠点とする嫡男の信忠の与力として補佐する役を与えられる。 東美濃の防衛が主な役割。各方面軍が快

        • 神戸・森のダンジョン【ひよどりごえ森林公園】

          訪れる人の多くが、人が少なくて淋しいところだと言う。実際、ひとりでこの森林を散歩すると怖いかも。 でも、その淋しい森がミステリアスで魅力的に感じたりもする。想像力を掻き立てる。 バイパス沿いのひよどりキャニオン。迷路のような森のダンジョン、RPGの迷いの森のイメージ。 入口近くは明るくて周遊路になっていて、散歩にちょうど良い。しかし、奥へと進んでいくとポイントがわかりにくくなってくる。 海を臨む眺望、シダ植物のプチジャングル、粘土質の土、森からバイパスへ飛び移れそうな

        戦国武将・信長包囲網の大ボス【本願寺顕如】

          戦国武将・軍師官兵衛の子【黒田長政】

          天才軍師の黒田官兵衛の息子。幼少期に荒木村重の謀反で使者の官兵衛が幽閉され、官兵衛の寝返りを疑われ、人質だった長政は殺されかけたが、竹中半兵衛に匿われ命を救われる。 官兵衛に早々に家督を譲られる。秀吉の朝鮮出兵に主力で参戦。関ヶ原の戦では家康の東軍について勝利に貢献すると筑前福岡藩主となった。 永禄十一年(1568)、信長が斎藤家を滅ぼして美濃を獲得した頃で、三好長慶は亡くなっていたが三好衆が畿内を制圧していた時期に、播磨で誕生する。 官兵衛の有岡城幽閉の一件で、幼名の

          戦国武将・軍師官兵衛の子【黒田長政】

          神戸・遣唐使・空海出発前の修行地・再度山【大龍寺】

          空海 = 弘法大師ゆかりの再度山。六甲ハイキングではよく近くを通過するポイント。 市街地から大龍寺、再度公園、森林公園、六甲山へ繋がる再度山ドライブウェイが整備されていてバスもある。 神戸元町方面へは大師道と呼ばれる紅葉がきれいで整備された林道が南へ伸びる。 東は布引から新神戸。西へは鍋蓋山、菊水山を越えて兵庫区や長田区。北は森林植物園に繋がり、北西に鈴蘭台への山道が繋がる。 768年の奈良時代末期に和気清麻呂が開基とされ、東寺真言宗の別格本山とされる。 和気清麻呂

          神戸・遣唐使・空海出発前の修行地・再度山【大龍寺】

          戦国武将・信長の信頼厚き織田家四宿老【丹羽長秀】

          天文四年(1534)生まれで、信長のひとつ年下。丹羽家は尾張守護の斯波氏の家臣。守護代の織田家に鞍替えした家系。 信長にとっては初期からの家臣で、猛将や参謀といった尖ったところは無いものの文武両道のユーティリティープレイヤーとして重宝された。 元亀元年(1570)に信長は浅井、朝倉の両氏と激突。長秀は姉川の戦いや浅井家臣の磯野員昌の佐和山城攻めに参戦。員昌が降伏した後は佐和山城主に任命される。 天正元年(1573)には長秀は信長より若狭の国主を任された。織田家の家臣で最

          戦国武将・信長の信頼厚き織田家四宿老【丹羽長秀】

          神戸・日本最古のコンクリートダム【布引貯水池】

          ダム湖百選に選ばれている布引貯水池。天気が良ければ絶景。 布引貯水池は、新神戸から市ヶ原方面へのハイキングの通過点。 また、六甲全山縦走路では菊水山、鍋蓋山、再度山のルートで西から東へと進む通過点となる。 京都や大阪は琵琶湖の水に頼っていたが、神戸は六甲山系の水脈が使われる。 神戸の水は布引貯水池と烏原貯水池でまかなっているので、京都や大阪と比べて水の品質は高いんかな。 布引貯水池・布引ダムは1900年に完成した日本最古の重力式コンクリートダムで、建設当時は日本で最

          神戸・日本最古のコンクリートダム【布引貯水池】

          戦国武将・信長軍の鉄砲隊指揮官【滝川一益】

          柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀とともに織田四天王に数えられる。 大永五年(1525)に近江で誕生。 永禄十年(1567)に美濃を平定した信長は伊勢への侵攻を開始する。一益はその先鋒を任命され、伊勢の攻略に活躍した。 鉄砲の扱いに長けていたため新兵器への関心が強い信長のもとで重用されていく。 元亀元年(1570)に石山本願寺と信長が対立すると本願寺顕如は伊勢長島で一向一揆を扇動した。 信長包囲網が敷かれ一益は織田本隊が各地を転戦する間、伊勢の守備を任された。 天正二年

          戦国武将・信長軍の鉄砲隊指揮官【滝川一益】

          神戸・鵯越大仏と義経馬つなぎの松【鵯越墓園】

          山が丸ごと墓園になっている、ばかでかい敷地を持つ鵯越墓園。墓園の中を専用バスが走っている。 鵯越駅から約10分で展望台があり、10m級の鵯越大仏が鎮座する。 大仏ができたのは戦前の昭和7年(1932)で、墓園のために山が開拓されていく初期に作られている。なかなか愉快な顔をしたコンクリート製の大仏。 大仏前の展望台からは海まで見渡せる眺望が広がってる。 山を登っていくと、駐車場脇に蛙岩の案内板がある。鵯越墓園の案内図にも蛙岩は記載されている立ち寄りポイント。 鵯越大仏

          神戸・鵯越大仏と義経馬つなぎの松【鵯越墓園】

          戦国武将・十文字槍「人間無骨」の鬼武蔵【森長可】

          森可成の二男として永禄元年(1558)に誕生。 元亀元年(1570)に父の可成が討死。十三歳で家督を継いだ。信長から長の字を与えられ、父の可成の後釜に美濃金山城主となり、信長の家臣に列した。 東美濃で信長の嫡子信忠の与力となる。 天正十年(1582)の甲州征伐では先鋒を務めて活躍し、鬼武蔵の異名をとり、甲州制圧の恩賞に信濃川中島二十万石を与えられた。旧領の美濃金山城は弟の森蘭丸に与えられる。 本能寺の変で、主君の信長と蘭丸らが横死。そのとき柴田勝家の援軍のため長可は越

          戦国武将・十文字槍「人間無骨」の鬼武蔵【森長可】

          神戸・長谷池の紅葉と紫陽花の名所【市立森林植物園】

          季節を変えて何度か訪れて見たけど、11月後半の紅葉の季節がベスト。 長谷池と紅葉が映える。写真を撮る人が多いけど写生する人も見かける。 うん、やっぱりここの紅葉はレベル高い。タイミング命だけど、神戸では1、2を争う。 紫陽花にも力を入れているため、6月後半を目指して満開の紫陽花を観に行くのもおすすめ。 森林植物園の正門の近くでは、6月中旬頃はモリアオガエルが楓の木の枝に産みつけた泡状の卵塊を見ることが出来る。 人が誘導してるので、自然界で観察できるポイントに比べると

          神戸・長谷池の紅葉と紫陽花の名所【市立森林植物園】

          戦国武将・信長古参の家臣「槍の三左」【森可成】

          大永三年(1522)に誕生した。美濃の斎藤家に仕えていたが織田軍に転任。 信長の古参の家臣。柴田勝家と同年代で信長のひと回り上の世代。 信長と信行との家督争いが勃発すると信長は信行側の名代の柴田勝家と戦った。このときに信長を支えた古参の将に、佐久間盛重、佐々成政、河尻秀隆らとともに、可成も名を連ねている。 美濃斎藤氏との戦では永禄八年(1565)に烏峰城を攻略すると可成は烏峰城の守将となり、城持ちの武将へと出世。烏峰城はのちの金山城で、可成の討死後は森長可、森蘭丸と森家

          戦国武将・信長古参の家臣「槍の三左」【森可成】

          神戸・絶滅危惧種のモリアオガエルの産卵地【猩々池】

          薄暗い大師道の道中に開けた自然豊かな陽当たりの良いオアシス。 6月はモリアオガルが木の枝に泡状の卵塊を作っているのが見られる。渡鳥のシマアジがいたのも印象的。 蛙は水中に産卵するのが殆どだけど、モリアオガエルは水面上の木の枝に泡状の卵塊を作る。6月頃に産卵して1週間ほどでおたまじゃくしが下の水面に落ちていくらしい。 環境条件が揃っていて時期も合わないと見られない。兵庫県では絶滅危惧2類の指定。 孵化したオタマジャクシが落ちて来るのを待機しているアカハライモリもたくさん

          神戸・絶滅危惧種のモリアオガエルの産卵地【猩々池】

          戦国武将・秀吉に天下を取らせた天才軍師【黒田官兵衛】

          姫路城代の出身で姫路城で誕生。赤松家の陪臣の家系で、赤松家の重臣である小寺家の家老だった。 秀吉の中国遠征で秀吉に仕えた。姫路城を秀吉に譲って、官兵衛は参謀の一人として軍団長となった秀吉の戦略を担当した。 荒木村重の謀反では使者として村重の居城の有岡城へ入城して幽閉されてしまう。 戻って来ない官兵衛も謀反に加担していると誤解され、人質であった子の黒田長政を殺されそうになったが、盟友の竹中半兵衛の機転で救われた。 官兵衛の帰還の前に半兵衛は若くして病死してしまっていたが

          戦国武将・秀吉に天下を取らせた天才軍師【黒田官兵衛】

          神戸・鏡面絶景が美しい神戸のオアシス【再度公園】

          修法ヶ原池の水鏡が映し出す鏡面絶景は素晴らしい。美しく染まった紅葉の季節は抜群の景観。 カワウ、カルガモ、ハクセキレイと近くで遊んでいたので撮影。日当たりもよく、池があって野鳥の楽園でもある。 再度公園は神戸のオアシスであり、東西は菊水山〜鍋蓋山〜再度公園〜布引〜摩耶山へと繫っていく六甲全山縦走路。 南は大師道から元町へと繋がっている。 ビーナスブリッジー再度公園ー森林植物園へと繋がる再度ドライブウェイで車でも訪れることが可能。 鈴蘭台からは山道で牛の背という林道を

          神戸・鏡面絶景が美しい神戸のオアシス【再度公園】