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「誰に向けて書くか」、決まってなくても大丈夫。


車内で、ラジオを聴いていた。


コーナーの最後。
ゲストに呼ばれていたグループが、自分たちの曲を紹介をする。
春から新しい生活が始まる人に向けた、パワフルで元気な一曲だった。
前向きな曲調が、聴く人の心を弾ませる。


いい歌だ。元気が出る。
でも、わたしにはあんまり響かなかった。

それはやはり、わたしが春から新生活に向かう人ではないからだろう。
わたしは4月からも、相変わらずこのままなので。
でも、どこかで歌を聴いている、新生活を迎えるひとは、きっと元気をもらっただろう。

この歌は、その人たちに向けてつくられた。
その人たちのために、歌われたのだ。




歌を聴きながら、私が考えていたことは、「noteを誰に向けて書くか」という話だ。

noteでは、よく「記事を書くとき、誰に向けて書くのか明確にするといい」と言われている。
「読み手」を明確にし、意識して書くことで、伝えたいことがハッキリするという。

たしかにそうかもしれない。
でも、わたしはいまいちピンと来なかった。


わたしの記事の「読み手」は、いったいだれだ?
誰に向けて、書いたらいいんだ?

どんな職業、立場、年齢の人が私の記事を好み、いったい何を得ているのだろう。
そもそも、何かを得ているのだろうか。
そして、私は「読み手」を意識して、記事を書けているだろうか。



・・・いや。
申し訳ないけど、書いてない。
noteを書き続けるごとに、「読み手」を意識しなくなった。

わたしは「読み手」がつかめていない。
育児の記事を書いているとき、「同じ立場のお母さんの役に立てば」なんて露ほども思っていない。
教育者だからといって、子どもに関する有益な情報なんて一つもまとめていない。
本は好きだが、分かりやすい本の紹介記事なんて書いたこともない。


わたしの記事には、一貫したテーマがない。
ざっくばらんに、思いつくままに。
書きたいように、書いてきた。
「自分」のためだけに書いてきた。

だから、「読み手」は決まっていない。
いつも、それがすこしだけ不安だった。

これからも、わたしはこのままで、「読み手」を絞らなくていいのだろうか。


その答えが、ラジオの歌だった。

ラジオで流れた元気な歌は、「新生活を不安に思う人たち」という不特定多数に向けてつくられている。
それは、職業も年齢も立場もバラバラだけど、みんなおなじ「悩み」を持っている人たちだ。

新生活へのモヤモヤを感じたり、不安で体がこわばったり、みんな「始まり」に緊張している。
だから、元気な曲調とパワフルなメッセージが心に響く。

わたしの記事も、おんなじだ。

心の中で、悶々とした気持ちを抱えている人。
言いたいことがある気がするけど、時間もないし、言葉も出ない。
うまく思いを出せなくて、やきもきしている人。

悩みを抱える人たちは、年齢も職業も立場もバラバラだ。
悩みの内容だって、育児かもしれないし、恋愛かもしれないし、仕事かもしれない。

そういう人たちが、わたしの「読み手」だ。
明確な「だれか」には絞れないけど、こんな人たちが読んでくれたら、わたしは嬉しい。

悩みの方向性が同じ人に、たまたま記事が届いて、「あ、わかる~」とスッキリしてもらえたり、逆に「ここは私とちょっと違うなぁ」と自分の考えを整理するきっかけにしてもらったり。


そういう人たちを意識して書けばいいのかもしれない。

いや、意識はしない。
結果として、そういう人が読んでくださって、小さなきっかけが生まれれば、万々歳だ。


ずっと悩んできた「読み手が分からない」問題。
「読み手」を絞れないことはよくないんだと思ってたけど、こんなふうに考えてみたら、これからもnoteを書き続けられそうだ。

ちょっと、スッキリした気分。
わたしがやることは、これからもずっと、変わらない。


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