見出し画像

私の役割とは?日本へ一時帰国して思ったこと

こんにちは。台湾で駐在妻をしているぽんです。
日本へ1か月間一時帰国していて、とても久しぶりにnoteを書きます。

今回の一時帰国の目的は、家族と過ごすこと。
私の両親は80代後半です。
持病をかかえつつですが、元気で二人仲良く自立して生活しています。
普段なかなか会えない距離なので、元気なうちに一緒に旅行へ行ったり、美味しいものを食べたり、思い出を沢山作りたいという思いで帰国しました。
今回の帰国は夫は仕事があるため一人です。
昨年の一時帰国は友人との約束を詰め込み過ぎたので、今回はその反省を踏まえて、本当に親しい友人としか会わずになるべく家族と過ごしました。

台湾に来てから3回目の一時国で、感じたことや変化を書きたいと思います。

1.元同僚の友人達との関係性が変わってきた

今回は長いこと苦楽を共にした前職の同僚にも会いました。
3人で会い、2人はまだ前職の会社でバリバリと働いています。
そのうち一人は子供が3歳で、管理職にも就いていて、40代前半の働き盛りです。集まると自然に仕事や会社の話が主になります。
会社を2年も離れると、話の登場人物の半分以上が知らない人になりました。
16年も働いていた会社だけど、1,000人を超える従業員がいるので異動も多く、最近合併もしたので一気に知らない人ばかりになりました。
私の台湾での生活の話はそんなに話すことは多くないので、聞くことが主です。
なんとなく、話をしていて疎外感を感じるようになりました。
私の発言は、現役から離れてずれている考えだと聞こえるのではないか?などと考えてしまうこともあったし、なんだか置いてきぼりになったような気持ちになりました。
前職の同僚は、多分人生において今の時期は、仕事に生きてるんだなと思います。

私には、以前の会社が同じで仕事を離れてからも気が合って、続いている友達が何人かいます。
その友達たちは、以前一緒に働いていた会社からは離れて違う仕事についていたり、専業主婦になっていたりで様々。
それでも仲良くできているのは、お互いの性格をわかりつつも共通の趣味があったり、分かり合える何かがあるからではないかと思っています。
友人と同僚の違い。難しいです。

2.前職に復帰する気持ちがうすれた

元同僚の友人に数人会って話を聞いていると、今働いている心境は、仕事や会社の不満が多くてもその不満を飲み込んで割り切って仕事をしているか、その不満を抱えて会社を辞めたいといいながら、ギリギリでなんとか働いているかの2パターンでした。
仕事の不満の内容は、フォローに入ってくれる役割のはずの人が全くサポートをしてくれなく、それを上司が何もできないとか、仕事量が少ないのに自分が忙しいことを声を大にして主張し新しい仕事を拒む人とか、自己中心的に仕事していた人が突然なぜか心を病んで休んでしまって周りの人が困っているとか。。。
あぁ、そこは何も変わってないんだ、むしろ私がいた頃より酷くなっていると感じる話を多く聞きました。

そして驚いたことに、30代後半から40代中盤の新卒から働いていた男性総合職が、何人も退職していたこと。
お給料もそれなりに良く、とてもホワイトな会社。
よっぽどのことがあったんだと思いませんか?

また、同い年の同僚の多くがこの4月で昇進していました。
年功序列な色が濃い会社だけど、あのまま働いていたら自分もきっと昇進できたのかもしれない。。。そうと思うと複雑な気持ちになりました。

前職の会社には、退職してからも本人が希望して会社がOKをすれば細かい決まりはありますが同じ役職、給料で正社員として会社に戻れるという制度があります。
もし辞めてからまた戻りたいと思ったら、その制度を利用しようと考えていました。
でも戻ったらきっと不満が出ることは目に見えてる。
それでもまたあの会社で働きたいのか?
そして同僚だと思っていた人が自分の先輩になる。それを納得できるのか?
私はキャリアが寸断したんだ。。。と改めて身に沁みました。

3.屈辱的だと感じたこと

今回、日本に帰ったらランニングシューズをもう1足買い足そうと思っていました。
調べてみたら、走り方によってシューズを使い分けると良いと書かれた記事もあったので、シューズが変わったら走りも変わるのかな?という好奇心もあったので。
お店で何足か試させてもらい、HOKAというメーカーのシューズが一番足にあったので、それに決めました。
夫にその旨報告すると、「HOKAは他のシューズに比べて高いって知ってるよね?どうして事前に相談してくれなかったの?」と言われました。
日本でランニングシューズを買うことは伝えていたし、昼間は電話が通じない仕事をしている夫にはその場で相談できないので、「相談するためにまた別日に買いに行けと。。。?効率悪くない?」と言いました。
夫も「そっか。。」と納得してくれたけど、「ルールを作ろう!贅沢品は要相談!」言われました。
贅沢品の定義って人によって違うと思うけど。。。?
今まで自分で稼いだお金を好きなように使ってきた私が、ほしいものを買うのに夫の了解を得てから買わなくてはならなくなったこと。
それはとても屈辱的に感じました。
なにもブランドものや高額なものを買うなら、もちろん相談するけど、大体の相場として買おうとしていたシューズより約5千円多くなっただけ。
それでも事前に相談が必要なの?

それを長い間専業主婦の友達にその話をしたら、「事前に相談することが当たり前だと思っていてそんなこと考えたこともなかった」と言われました。
なるほど、そういうものか。。。
でも私はどうしても納得いかないのです。
確かに今は働けないので夫のお給料で生活させてもらっている。
でも、元はといえば台湾に来なければ私は仕事を続けていたのに。
台湾でもらっている少なくない家族手当は、夫の給料として夫の口座に入金されています。それは私が使っても良いお金ではないのか?と。
自分で稼げないことが、こんなに悔しいなんて知りませんでした。

4.役割とは?

日本にいると、当たり前だけど言葉は通じるし、行きたいところに行ける。
病院にも気兼ねなくかかれるし、美容院に行くにも何も考えなくて良い。
当たり前のことが、とても楽だと感じました。
でも暇な時間ができると、自分には台湾でも日本でも役割がないんだなと思いました。
仕事をしていたり、地域に根付いて何かをしていたり。
社会と繋がる事。
それが台湾と日本の両方で私はできていない。
もちろん、台湾では夫の妻として一応生活を支えています。
でも、何かを生み出しているかというと、何もしていません。
自分をなんとか楽しませることに精一杯です。
約一年後には本帰国の予定なので、今後の自分の役割をどうしようか?ということをそろそろ真面目に考えないと。

思っていることをつらつらと書いてしまいましたが、ちょっと暗くなり過ぎました。
楽しいことも沢山あったので、それはまた別の機会に書きたいと思います。
日本は外国人観光客が本当に多くて驚きました!
円安の影響をダイレクトに感じられました。
長くなりましたのでこの辺で。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?