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warikiri


しょっちゅう言葉について話している私だが、数ある中の嫌いな言葉の中で、最近気になる言葉を紹介したい。

「仕事は仕事として割り切る」
「お金のために割り切って考える」

本当はやりたくないと思っているけど、そうは言ってられないからあまりよく考えずに、割り切って考える。

割り切った方が楽だし、余計な事考えずに済むし、ストレスもたまらないし。自分を守るための言葉なのだろう。

私は未だに何事も割り切って考えられないおこちゃまだが、それが本当に子供なのだろうか。

生きててどうにもならないようなことが何度もあるけど、割り切って考えられることなんてあるのだろうか。

仕事や私生活、自分が属すコミュニティ。色々あるけど、全て自分とは切り離せないものだし、未来に繋がっている。

割り切れるのであればそれはもう自分じゃないのでは?割り切れずにその余りを友達に愚痴ったり悔しくなったりして、それこそが人生なんじゃないかと思う。

それと関連したことなのだが、今年の7月ごろにキャリアセンターで、県庁で働いているという人に就活の相談をしたとき、

「仕事は割り切って考えるしかないでしょう。私も音楽をやっていたけど、家族のためにサラリーマンになった。」

と誇らしげに言っていた。さらに、「やりたいことをやるなんて、親のすねかじりでしょう。」とにこやかに言われた。

正直全く、その大人の言うことを信用できなかったし、こんな大人にはなりたくないなともうすでに大人に差し掛かっているのに、思った。

あたかも家族のためにお金のために夢を諦めましたってかっこよく言っているのかもしれないけど、それって自分の夢から逃げてるだけじゃん。

お金はなくても、自分のやりたいことから目を逸らさずに正直に人生を歩んでいる方がかっこいい。

と反抗的なことを思いながら、なんだか言いくるめられてしまったとトボトボ帰った、そんな日があった。

じゃあもう私はいつまでも「割り切って考えるなんてできないよ」と嘆いていられないのか、と寂しくなったまま図書館に行くと、こんな本を見つけた。

夫婦でカフェやレストランを営んでいる本だった。そこに載っている人は、ただひたすらに自分の夢中になれるものに向き合っていた。

こんな言い方したらキャリアセンターの人と比べている感じがするけど、そうじゃなくて、私はその人の考え方では生きていけないと思った。

本の中の夫婦は、好きなことがいつの間にか仕事になっているような人たちで、休んでいる暇なんてないようだった。

好きなもの(仕事)と共に生きているから。

「結局仕事とは離れられない」
心底かっこよくて羨ましいと思った。

この世の中で仕事とプライベートは割り切って考える人がほとんどなのに、仕事と一緒に生きていくなんてかっこいい。

仕事を仕事だと思えないほどに、自分の人生とマッチしているからだろう。

いつか私も生きるように働けるだろうか。

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