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間違いさがし言葉

大人になると、いろんな決まり文句が増えていく。
よく聞くやつで言えば、「自分の機嫌は自分で取る」だ。

あと、「本音と建前」ってやつ。

まさか大人たちって本音の前に建前という壁を使ってうまく生きていたのか!そんな!本音が言えないようになるのなら私は大人になんかならなくていい!

と年齢的には、もうそろそろ大人にならないといけないけど、こんなこと言ってゴネている。

いつも言葉の裏に隠された本当の意味を探ってしまう。

どこにでもありふれた言葉は使い古されていると、間違っていると疑うことがなくなるのでは?

みんなが言ってるからそれは正解なんだなと、みんなが同じように使うようになった言葉は、もはや言葉ではなく、共感して欲しい呪文のように感じる。

「私こう思っているんだけど、どうかな…?」
「それ、その言葉いいね!」
「だよね!」
(SNSで広がっていき、流行り言葉となって定着していく)

みたいな。(TikTokとかに多い印象)

共感というものは人を安心させる一方で、考える力を退化させるのでは?

よく若者が使っている「やばい」「えぐい」「エモい」とかもそうだ。
長年気になっていることは、「〜という形で」だ。

「そうですね。こちらの商品は、こういう時に使うという形になります。」

そう説明されて、音で聞くと違和感がなくても、意味を考えてみるとすごい違和感を感じる。意味があってこそ、言葉の役割が成立するのに、もはや意味すらをスルーした、音と化している。

形ってそれ、形のないものに対して言ってない?
きっと大人たちが大人になる前の段階で、周りの大人たちが使っていた言葉の意味を考えずに、日常的に使ってしまうようになったんだろうな。

とこんなつまらないことを言っても、しょうがないからずっと自分の中にとどめていた。

さて、「自分の機嫌は自分で取る」について私が思うことを聞いて欲しい。

幼い頃は、自分の機嫌なんて自分で取ることはできない。嫌なことや気に入らないことがあったら、泣いてわがままを言って、親や周りの人の助けをもらっていた。

大人になると、泣きたいことがあっても嫌なことがあっても、我慢しなければならない。
それはそうと、みんな日頃からいろんなストレスと闘っているのに、自分の機嫌は自分で取るという重大な課題を押し付けられるのか!?
(私の考えすぎか!?)

私はその言葉がだんだんとプレッシャーになってくる。自分の機嫌は自分で取れて当たり前だと言われている気がして。

もちろん、自分の人生を楽しく生きていくには、自分の機嫌は自分で取って楽しんでこうね!ということを言っているという事は分かっている。

しかし、自分の機嫌は自分で取るって言っている人は本当に機嫌とれてるのかな。自分の好きなものを買って、自分の食べたいものを買って。いろんな方法で日頃のストレスを発散しているのだろう。

それって、自分の機嫌を取るというより、欲望を満たしているのでは?
だからそんな大人ぶって「自分の機嫌は自分で取る」なんて言ってないで、もっと人に頼って楽して生きていったほうがいいんじゃないかな。

幼少期ってなぜ周りの人に機嫌を取って欲しいと思うのか考えてみると、理由は、構って欲しいからとか、寂しいからとかもっと自己中な考えであって、大人になっても身内にくらいはそのわがままは言ってもいいと思う。

ちなみに、私は自分の機嫌は自分で取れないので、人に愚痴や自分の感じたことを話してストレスを発散している。それでも無理だったら、実家に帰ったり兄弟の家に泊まりに行ったりする。

そんな感じで、私は「自分の機嫌は人の助けで取っている」。


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