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SNSに怯える若者

「飲み会」や「みんなで集まってご飯」の単語を聞くと、胸騒ぎがする。

集まる人の中に、本音で話せる人が一人もいないと、「あれ私ここで何してるんだろう」現象が起きる。

ここに私いなくてもいいじゃん。帰ろう。

誘われた時点でその日が来るのが怖くてしょうがない。もう帰りたい。行ってもないのに。

自分から心を開こうとしないことに問題があるのだろうけど、心を開きたい人にしか開かない性分は変えられない。

飲み会や集まりに行くことで、本音で話せる関係が作れるのかもしれないが、そのきっかけ飲み会じゃなくてよくない?と思う。

それまで仕事や授業で長らく関わっていて、長い年月を共に過ごしている人と、今更仲良くなれる気がしない。

だって、仲良くなれればとっくの昔に仲良くなっているはずだもの。

仲良くなっていないから飲み会をしているまでもあるんじゃないか?

大して仲良くない人たちと集まるために使うお金と時間がもったいない。

大人数じゃなくて、一対一で話したい。

そう思っていたが、なぜ大人数での集まりが嫌いなのか、理由が他にもあることに気づいた。

それは、自分の意見を気軽に話せない雰囲気が嫌いなのである。

そして、自分の話を大人数の中でできない人が聞き役に回り、自分の話ばかりする人が話の中心になっている感じがとてつもなくつまらない。

酒のツマミになる話では、ボトルを回してみんな隔たりなく話せるようにしているのに。


話は変わるのだが、つくづく思うことがある。

男子とある程度仲良くなるのは簡単だ。

一方、同じ年の同性の子と仲良くなるのは難しい。

特にSNSを利用するようになってからは、同性の付き合いがもっと難しくなったように感じる。

というのも、LINEは返さないのに、インスタのストーリーは更新されているのを見て、何度もイライラした経験があるからだ。

あと、親しい友達とかいう仲間外れ機能的なものができてから、もっと複雑になっていった。


Instagramの「親しい友達」機能は、あらかじめリストに追加したアカウントに対して、ストーリーズの投稿を限定公開できる

親しい友達に認定されたことは嬉しいけど、関わりが薄くなっていくうちに親しい友達から外されたらどうしよう。

と、黄緑色のストーリーが更新されるのを見る度に、インスタを辞めたくなる。

そもそも、「親しい友達」ってなんだ?一方的に決めていいものなのか?

ここまで親しい友達の機能に神経質になっている奴はいないと思うので、ここまでにしたいと思う。

同性の友達を作るのは本当に難しい。中高までと違って、毎日会う機会がない。

だから、わざわざ会う口実を作るためにLINEして、店や日にちを決めて…。

そんな面倒くさいこと置いといて、会いたいときに会いたい気持ちのまま、そのテンションのままで会いたいのだ。

お金をかけないと会えなくなっていくのか。

小学生の頃なんて、無料でできる泥団子やプールでとち狂ったように遊んでいたのに。

そんなことを考えていると、本当に心を開ける同性の友達を見つけることは、福袋で当たりの商品を見つけるほど難しいことだと感じる。

福袋を買ったときのワクワク感とは裏腹に、中身を空けると、全く似合わない服がほとんどだった時の絶望感。

今日はこの子と仲良くなれたとルンルンで帰宅したその日のうちに、その子が「今日は親友とアフタヌーンティー♪」とキラキラストーリーをあげてたときの絶望感。

なんとも似ている。

人は変わっていくものだ。

幼い頃の記憶にしがみついている私でも、小学生だった頃の素直さはもうない。

それでも変わらずに仲良くしてくれる友達を、一生の友達だと思って大切にしようと心に刻むのだった。

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