クリエイティブまでも型にはめられてたまるか
「創造する」ことを始めたのは、小学生の頃からだった。
何か物を使って遊ぶよりも、創り出すと言う行為自体で遊んでいたことの方が多かった。
テレビで聞いた曲をピアノで弾いてみたり、友達と振り付けを考えてそれを踊ってみたり、物語の流れを考えて絵本を作ってみたり。
そういう遊びは全て自分で決めることができるから、制限を感じないし、ストレスフリーで遊ぶことができた。
習字のように書く文字が決まっていて、お手本にできるだけ似せられるように書く、ということを面白く感じなかった。
子どもなのに静かな空間で正座をして、「文字を模写する」という奇妙な空間に耐えらなかったということもあるけど。
私が幼いときから嫌いだった習い事や遊びは、自発的な行動ではなく、誰かにさせられていると感じるものだったのだ。
私は自分である程度決めることができて、「やらされて」いる、よりも自発的に「して」いると思えるものが好きだし、向いているのだろう。
そんな私は大学生になり、文章を書くことと出会うことになる。
noteには何の制限もないし、自由に書くことができる。
自発的に楽しんで書くことができるのが、継続できている理由なのだろう。
しばらくすると、SEOライティングという言葉を知るようになり、実際に書いてみることになった。
すると、ワードプレスの使い方や検索上位にするためのキーワード選びなどのルールがたくさんあった。
これじゃクリエイティブな発想で文章を書いているというより、決められたルールの中でだけ個性を、創造性を発揮してねってことじゃないか。
クリエイティブは自由であるべきで、人が口出しするような分野ではなく、創り出す人が他人の言うことも聞こえなくなるくらい熱中した所にあるのだと思う。
こんなことを考えているうちに、自分はSEOライターやWebライターよりも、作家寄りのライターの方が向いているように感じる。
ライターと言っても色んなジャンルがある。
文章を書くことが好き=ライターになる
と思っていたけど、それが自分にしっかりハマるものとは限らない。
23歳でやりたいことが見つかってラッキーだったと思っているが、世間の需要と自分のやりたいことがぴったりハマる場所を見つけるまでは、まだまだ長い。
でも、ここを妥協して既存の職業に自分を合わせにいってしまうと、それはまた受動的なものであり自発的なものではないから、クリエイティブとはかけ離れてしまうのだ。
自由を貫き、書きたいものを書いた時にこそ、作品はいきいきし出すのだから。
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