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「HSP」「繊細さん」の言葉が嫌いな理由


SNSを見たり本屋さんに行ったりすると、よく「HSP」「繊細さん」という言葉を聞く。

「HSP」とは、NHK健康チャンネルで確かな医療・健康情報によると、

HSP(Highly Sensitive Person)は、日本語に訳すと、「とても繊細な人」。人口の5人に1人いるといわれている。90年代後半に、アメリカの心理学者 エレイン・アーロン博士が提唱されたものである。

  1. 一度にたくさんのことを頼まれるとイライラする

  2. 大きな音で不快になる

  3. 明るい光や強い匂い、サイレンの音などに圧倒される

  4. 忙しい日々が続くと、刺激の少ない場所に逃げ込みたくなる

  5. 生活に変化があると混乱する

  6. 競争場面や見られていると、いつもの力を発揮できなくなる

  7. 美術や音楽に深く感動する

  8. 豊かな内面生活を送っている

HSPの人はこれらの項目が当てはまるそうだ。

私もこの項目のほとんどが当てはまるので、HSPなのだろう。しかし、それを認めたくないし、いちいち自分がHSPだなんて自覚したくない。

本屋さんにある「繊細さん」の本を見かけてはうんざりする。HSPの人にしかないような長所があったり、その特性のことを知ることで心が軽くなったりする人もいるだろうが、私はなぜこんなにも「HSP」に嫌悪感を感じているのだろう。

その理由をよく考えてみると、繊細=弱いのイメージがあることに気づいた。HSPの人が弱いと言いたいわけではなく、私の言葉のイメージはそうなのだ。

弱いということは、強い人に負けている気がしてなんだか嫌なのである。さらに、弱いと舐められていると感じるので、「負けたくない。自分は弱くないんだ」と変に気が張ってしまう。

舐められると言えば、今までの過去を振り返ってみると「女だから」「若いから」という理由で、理不尽なことを言われたことがあった。

親戚の集まりに行くと、女は料理や準備を手伝うことが当たり前とされていて、それができると気が利く女と言われる風潮がとても嫌いだった。

「それ女とか男とか関係ないから。家事ができるだけが女じゃないから。」と反発心を抱えながら、余計に気を利かせる母親や姉を見ながら準備を手伝わなかった。

話を戻すと、HSPにも良い所はある。

しかし、デメリットを感じることの方が圧倒的に多いし、音楽ができることも文章が書くこととが好きなこともHSPだからこその特性なんだ、なんて言われると、「いやいや、私だからできることだし!」と言い張りたくなる。

こんなに考え詰めることでもないのかもしれないが、「HSP」なんて言葉にこだわる必要はないと思う。

自分は自分でしかないし、何かに当てはまる必要もない。すべて自分らしさなのである。

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