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好きなことを仕事にするな、とは大人の言い訳

小説をまともに読めなくなってしまった。

小学生の頃は小説を読むことが趣味というくらい、たくさんの小説を読んできた。一行読めば、作者の世界観に連れていかれて、どこまでも遠くに行けるような気がした。

小説家になりたいと思った今、小説を読むのが難しい。気軽にいろんなジャンルの本を読めないし、読んでいるうちに「ここの構成はどんな風になっているのだろう」とか、気が付かないうちに読み進めていっていても、「今読んだところはなぜ面白いと感じたのだろう」色んなことを考えてしまう。

本屋さんに行って、なんとなく選んだ本の最初のページを開いた右側に書いてある、筆者のプロフィールの欄が気になってしまう。

本文に入る前にどんな人が、このような立派な本屋さんに置かれる小説家になるのだろうかとライバル視する。本をめくる手が重くなっていき、ようやく読むと決めた本を棚に戻す。

小説家に対して、嫉妬心を抱いているのにもかかわらず、こんな素晴らしい本を書けるわけがないと自信をなくしてしまう。

素直に本の中に入り込む読者として本を読めなくなったのだ。

でも、こんなんだったら、小説家なんて目指さなければ良かったとは思わない。なぜなら、小説家になれるかもしれないという希望を自分自身に感じているから嫉妬もするし、真剣に考えこんでしまうと思うからだ。

同じ土俵に立って、戦おうとしている証拠だと思う。

noteを更新することすらも面倒くさいし、創作大賞に出そうとしている作品の執筆もうまく進まない。こんなので大丈夫なのかよ、と思うけど多分大丈夫。

「好きなことは仕事にできない」「趣味を仕事にするな」という人がたまにいるけど、好きなことを仕事にできるような度胸がないだけではないかと思う。

好きなことを仕事にしてしまったら義務化され、楽しくなくなるのかもしれない。だけど、好きなものの嫌なところを見てしまったときと言えば、恋人のすっぴんを見てしまったときや不細工な寝顔を見てしまったようなものではないか。

見たくないところや嫌なところまで愛してこそ、本当に好きだと言えるのだ。

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