書くことが義務にならないように
「文章を書くことのどういう部分が面白いの?」
「文章書くことって私にとっては苦手だから、何が楽しいのか分からない。」
書くことを始めてからというもの、そういうことを聞かれることが何度かあった。
私は文章を書くことのどの部分が好きなのだろう。
自分の気持ちを言語化して、ひとつのモノにするという所にワクワクを感じていたが、それだけじゃない気がしてきたのだ。
みなさんは、これをやっていてアドレナリンめちゃくちゃ出るわ!痺れる!という感覚を持ったことがあるだろうか。
私は間違いなくこれだという瞬間が過去にあり、それはステージに立っている自分だった。
中高吹奏楽部で打楽器をしていたのだが、誰よりも多くの練習量を確保することに命をかけていた。
その目的は、コンクールで金賞を取りたいからという理由ではなく、「かっこいいと思われたい」「目立ちたい」からだった。
青春真っ盛りの高校生だったし、部室にこもって練習していないで、マックとかで友達と話していたかった。
それでも遊びに行かずに練習をしていたのは、ステージに立った時の自分を想像して、そこでかませたらどれだけ観客を圧倒できるだろう、という妄想で自分を奮い立たせていたからだった。
何ヶ月も先の本番当日のことまで妄想して、このソロのときめっちゃかっこいいと思われるだろうな。(ニヤニヤ)
それが私にとっての1番のガソリンだったように感じる。
文章を書くことにおいても、同じことが言えるのかもしれない。
私のアカウントに固定されている「就活しないは逃げだって、それ逆じゃない?」の記事が、私が書いた記事の中で最も反響が大きかった。
ただの一般人が書いた記事が、何百人という人に読まれた時は「生まれてきてよかった!」と心から思った。
これからもそういう記事を書いて、世の中をあっと驚かせたい。
それから、ライターとして有名になった時に備えて、妄想している。
だからペンネームを本名に変えたほどだ。なんという承認欲求。
自分でもそう思うが、それで頑張れるのなら理由はなんだっていいのだ。
むしろ、お金でプレッシャーをかけて頑張るというやり方よりも、コスパいいじゃん。と思ってしまう。
何か目標を達成する時に、ずっと自分だけと戦い続けることはしんどい。だからこそ、好き勝手に妄想してみるのがいいと思う。
書き続けるガソリンは、日常生活でどういうときに嬉しいと思ったりニヤニヤしたりするかに気づくことから、見つけていくのがいいのかもしれない。
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