ホワイトなものが全ていいとは限らない
マイナスなことを書くのはよくない。人を引き付けるにはポジティブなことを書かないといけない。
今でもそう思うが、マイナスな感情になっているときの方が、執筆が捗る。
マイナスな感情にも、悲しみや怒り、憎しみなど色々ある。その中でも怒りの感情が、執筆活動の着火剤だ。
怒りの感情を書きなぐったものは、文章とは言えないただのマイナスな言葉。
それを読めるような文章にすることで、すっきりした気持ちになるのだ。
自分の感情を管理するやり方に、モヤモヤを言語化し、解決策を考えるようなやり方がある。
私はそれについて言いたいのではなく、マイナスな感情は悪いものではないし、それを人に見せてはいけないとも思わなくていいということを言いたい。
人はマイナスなところで繋がっていた方が、絆を感じるのは私だけだろうか。
学校にいたウザい先生やクラスの嫌いな子。
その人にバレるような発言や行動をとったらダメだけど、愚痴ぐらいはこぼしてもいいだろうと、登下校中に悪口大会を開催していた。
それも何人かが集まると、いかにもいじめ感がすごいので、必ず誰にも言わない契約を交わして、信頼できる人に愚痴をこぼしていた。
「あの子すごくいい子だよね。」
「うんうん、そうだよね。」
なんて会話で盛り上がることもないし、深まる絆も深まらない。
「あいつ先生に媚びうるために、今日めっちゃ手伝い頑張ってたよ。内申点稼ぎでしかないのにね。」
みたいなマイナスなことを話した方が、仲が深まる。
少し毒気づいている方が人間らしくて好きだ。
あと、怒りのエネルギーはすごく強い。強いからこそ言語として昇華することで、気持ちの入った「人間味のある」文章を書けるのだと思う。
いいということがよしとされ、プラスなこと、地球にも人にも優しいことがいいとされる。
こればかりじゃ疲れる。人間じゃなくなる。
人は誰しもずば抜けた分野があれば、不足しているものがある。
だから、これからも怒りエネルギーを文章に昇華して生きていきたい。
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