自分のことを大切にしろと言ったり、自分のことばかり考えるなと言ったり
私は昔から自分について考える時間が多い。
自分の健康に気を遣ったり、自分の将来について考えたり。こうしてnoteに書いていることも、ほとんどが自分に関することだ。
そうやって生きていると、どんどんプライドが大きくなっていることに気づいた。
自分のことを考えれば考えるほど、自分の得意なことに気づき、嫌いなことに気づく。
嫌いな物を自覚することで、嫌いな出来事が起きると過剰に反応してしまい、自己防衛をしようとする。
譲れないと分かっているから、絶対に譲るまいと執着してしまうのだ。
だから、嫌な物は嫌と言わないと気が済まないし、できるだけ好きなものとだけ関わっておきたい。
こんなこと言っていると、生きづらくなるだろう。でも、譲れないものは譲れないからどうしようもない。
とんでもなく雑な客に対しては、こちらもそれ相応の接客態度をしないと気が済まない。ヨーグルトはブルガリアよりメグミルクがいい。
「嫌い」を手放せたらどれだけ楽になるだろう。年々嫌いなものが増える私は、今まで嫌いだった物に対する執着から離れられた人生を想像した。
「自分のことを考える時間が多い人は、精神が病みやすい」という記事をどこかで見たことがある。
そりゃあそうなのかもしれないけど、自分のこと考えないで、自分の人生を生きていると言えるのだろうか。
かと思えば、自分の大切にすることが良いこととされるブームもやってきた。
本屋に行くと、「自分自身を大切にすること」がテーマの本がずらっと並んでいる。それほどたくさんの人が、自分自身を大切にできていないということか。
それを言われずともやっていた私は、自分を大切に生きすぎていたのかもしれない。
自分のことについて考えていると病む。でも、自分のことを大切にもしないといけないから、結局自分のことについて考えないといけない。
どっちかにしてくれよ。
はたまた、自分のことを考えすぎるとわがままと言われる。
一体正解はどこに。
そんなことをここ数年考えていて、なかなか答えが出なかった。今も答えが出ているわけではないが、1つ気づいたことがあった。
それは、自分のことばかり考えていてもいいということ。
これは、規則を破って、他人に迷惑をかけるほど自分勝手に行動していいというわけではなく、自分がピンときたものを優先していいということだ。
私たちはこの世界に生まれ落ちて、親からの遺伝や周りの環境に影響されて、人格が形成されている。
その中で、「学校は行くべきだ」「ちゃんと勉強しないとロクな大人になれない」などの考えがすり込まれていく。
そうすると、自分が思った通りに行動することが、今までのレールを外れた選択だと誤解するようになる。
それでも自分がやりたいからと、殻を破ってから自分の人生が始まる。
好きなものは尖らせて、嫌いなものは思う存分嫌おう。
そう心に決め、今日もメグミルクを買った。
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