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恋愛の終わりについての現象学的記述

いろんなものには形のないカタチというものがある。例えばアメリカであればアメリカらしさがあるが、それはカタチとしては見えない。しかしアメリカのすべての事象の根底にある「らしさ」は、ある。それはあなたらしさかもしれないし、男らしさなのかもしれないが、物事の基盤にある何かがある。

哲学の一分野である現象学では、それを「基底」という言葉で呼ぶ。今回取り上げる論文は、結婚生活における愛の終焉について現象学的立場から記述し論じたもの。

明日読む論文:
ロマンチックな愛からの脱落に関する現象学的研究
Sailor, J. L. (2013). A phenomenological study of falling out of romantic love. Qualitative Report, 18, 37.

この研究では、結婚における愛が終わったとする8人のインタビューをもとに、結婚生活における愛の終わりがどのようなものなのかについて現象学的方法を用いて読み解いている。

核心となるのは以下の記述。愛の終焉の基底を示すもの。いずれのケースにしても、明確に終わりと感じられる1点があるという。

「配偶者との恋愛的な愛情が失われるのはどのような経験なのだろうか?配偶者との恋愛的な愛情が失われるのは、落下する感覚のようなものだ。配偶者がその落下の原因だと責められる。信頼の喪失によって、少しずつ縁から押しやられる。愛されていないと感じることで、ぎりぎりの所まで追いやられる。親密さの欠如によって、足場は完全に崩れ去ろうとする。否定的な自己感覚と恋愛的な愛情の段階的な衰退が組み合わさり、配偶者から突き落とされ、バランスを失い、下の深淵に落ちていく。落ちている間、コントロールを失い、つかまるものもなく、止める術もない。落下を食い止めようとしても、木の枝は折れ、体は壊れ、落下は続く。呼吸は困難になる。胃は締め付けられ、むかつく。心臓は張り裂けんばかりだ。落ちるのを見ないよう、目をきつく閉じる。スローモーションのように感じる。上下の感覚、遠近の感覚はない。ただ、周りは広大な空間があるだけだ。自由落下は吐き気を催し、その事実に気づくとさらに恐ろしくなる。決定的な瞬間は、地面に激突した時の突然の衝撃である。胸から空気が抜け、心臓が飛び出しそうになる。混乱が晴れると、落下が終わり、かつて知っていた恋愛的な愛情も終わったことに気づく。残るのは痛みだけだ。それはすべてを包み込む。全てが傷つく。以前にはなかった不安と警戒心がある。空っぽで、虚ろで、粉々に砕けた感覚だ。自尊心、自己イメージ、アイデンティティを含む自己感覚は永久に変わり、傷つく。萎縮した自己感覚は、恋愛的な愛情の栄養を失い、落下後の谷底に横たわる。愛情の欠如は、うつ、孤独、孤立を内面で引き起こす。自己との関係は劇的に変化し、長期的な影響が残る。「私は永遠に変わってしまった…恋愛的な愛情を二度と信じられなくなった」。傷ついた自己の癒しは可能かもしれないが、恋愛的な愛情を失った経験は、何らかの印、あるいは傷跡を残すだろう。」

配偶者の不倫は精神の殺人というような話も聞くが、感覚としては上記のようなものなのだろうか。

明日読む論文:

失恋と骨折:社会的痛みと身体的痛みの類似点に関する神経的観点Eisenberger, N. I. (2012). Broken hearts and broken bones: A neural perspective on the similarities between social and physical pain. Current Directions in Psychological Science, 21(1), 42-47.

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