Josephus Kayou

30代中盤戦。おばさんと、まだ、呼ばれたくないお年頃。長かった闘病生活に光が見えつつあ…

Josephus Kayou

30代中盤戦。おばさんと、まだ、呼ばれたくないお年頃。長かった闘病生活に光が見えつつある。なるべくこころもからだもかおもすっぴん主義。化けるときは化ける予定です。 早稲田大学商学部卒業 武蔵野美術大学大学院修了

最近の記事

「異化崩壊(catabolic collapse)」を防ぐために②

最近の戦争や難民危機、飢餓、感染爆発の原因の分析は、 ほぼ常に 政治的・経済的・個人的原因のみに注目が置かれ、人口爆発の切実な根本的原因にはほとんど触れられることはない。 2世紀も前に、人口学に関する深い洞察を持ったトマス・マルサスは 「人口の力は、人間が生存するための糧を生産する地球の力よりも限りなく大きい」 ということ、つまり、 人口は幾何学級数的に急速に増加する傾向がある一方、 食糧は、算術数的にゆっくりとしか増加しないと論じた。 資源は限られているのに

    • 「異化崩壊(catabolic collapse)」を防ぐために。

      目には目を という考え方では、 世界中を盲目にしてしまうことになる」 というのは、マハトマ・ガンジーの名言だ、と、私は思う。 ペトリ皿にたっぷりの餌で培養されている数個のバクテリアの運命は間違いなく予測できるであろう。ペトリ皿のなかは、持続可能ではないからだ。 ダニエル・カーネマンは、ノーベル賞を受賞した研究をまとめた『ファスト&スロー』を発表した。 これは、層構造を持った人間の脳が日常的におこなう認知と、それがもたらす結果について論じている。 カーネマンは、フ

      • ナポレオンを拒んだピネルの勇気

        パリのサルペリエール病院で、いまも使われている精神科病棟の構内には古い建物があり、その壁には、鎖の留めてあった跡が残っている。 フィリップ・ピネルは、これらの鎖から、精神障がい者を解放したことであまりに有名だ。 ピネルが活動するころ、精神障がい者の生活環境は悲惨になる一方だった。 産業革命、人口の増加、都市化により、 家族と村と聖職者が、大部分の責任を担っていた古い社会管理体制は崩壊した。 それに伴い、新たな重圧にさらされた労働者階級の家々は以前ほど寛容ではなくなり

        • 「戦争で最初に犠牲になるものは真実である」(アイスキュロス)

          「狂気は個人にあっては希有なことである。 しかし集団・党派・民族・時代にあっては通例である。」 と、フリードリヒ・ニーチェはあらわした。 眼の前に(テレビやスマホの画面越しでも)起こっていることたち(争いであれ犯罪であれ)を、 悲惨だとか、非人道的で狂気じみているから理解不能だ、と考え、逃避することは、気休めには、なる。 しかし、それらは 私たちの精神やそんなことを可能にした社会(世界) をある意味映し出したものであるように、私は、思う。 過ちは人の常である。

        「異化崩壊(catabolic collapse)」を防ぐために②

          『ガリバー旅行記』は政治入門書だ。

          アインシュタインは、狂気を 「同じことを繰り返し行い、違う結果を予期すること」 である、と定義した。 さすがである。 かなしいことに、過去の文明をみても、 それらは、急速な成長を遂げては、突如として崩壊する 、という、同じサイクルを偶然ではなく、辿ってきた。 過去に彼ら/彼女らが犯した悲劇的な過ちは、 今、私たちが犯している過ちそのものである 、といっても、過言ではないであろう。 私たちは、今、無限とすら思われていたさまざまな資源が枯渇した世界の中で、

          『ガリバー旅行記』は政治入門書だ。

          分断の時代に考える-ヨーロッパ-

          15世紀に出版された 「魔女への鉄槌」は、 特に、精神障がい者への異端審問に、合理的・法的な効力を与えた。 ヨーロッパにおける精神病の治療は、 ローマ帝国の滅亡(5世紀)からフィリップ・ピネルの登場(18世紀末)まで、暗黒時代に入るといっても過言ではない。 精神障がい者の人間性を認め、体内の科学的不均衡に原因を求めようとしたギリシャの生物学理論に拠って診断しようとする医師は、 非化学的に悪魔憑きを診断する教会の医師にとってかわられ、 医学に則った治療は、 悪魔

          分断の時代に考える-ヨーロッパ-

          こんなときだからこそ-敬意と思いやりに満ちたコーラン-

          コーランには 精神障がい者に対して 「衣食を与え、懇切にことばやさしく話しかけなさい」 と在る。 8世紀頃から15世紀頃にかけて、アラブ人たちは、 学問としての精神医学と、 独立した専門職としての精神科医を生み出し、 ヨーロッパでは、19世紀まで見られなかった水準にまで、診断と治療の理論を洗練させた。 なぜそのようなことが可能だったのか? それは、コーランが、精神病に対して進んだ見方を持っており、 ユダヤ-キリスト教や、ギリシャ-ローマの伝統に在った悪魔学

          こんなときだからこそ-敬意と思いやりに満ちたコーラン-

          三島由紀夫「天人五衰」

          ノーベル賞の週だ。 LTCMの破綻は、 背景や心理などのブレを考察せず にブラック-ショールズの式(とノーベル経済学賞という権威)を盲信し続けたと結果ではないかと、私は思う。 よく、十分な知識がある人生のプレイヤーたちが、 雑音の無い式に基づきまくった構想や 隙間の無いコンクリート壁の建築を信用しているが、 現実は、雑音を適宜勘案し軌道修正することの大切さや、 隙間のある城の石垣が長らく崩れていないことの素晴らしさにも目をむけるべきだろう。 思うより人は理性

          三島由紀夫「天人五衰」

          フロイトの功罪

          先日、恩師から、こんな忠告をいただいた。 「(古典など文学作品は、)時代が変わっても通用します。(あなたが好き、だけど描くことに対して悩んでいる)ミシェル・フーコーなども文学作品を論じながら、理論展開しています。時事ネタから入っても、文学作品で本質論を展開すべきです。」(→メールからの一部抜粋。前後関係を補助するための括弧以外、メールの原文のまま) というものである。 ……いろいろ考えた、そして、明日から数日間、不定期更新になる、ということで?今回は ジークムント・フ

          フロイトの功罪

          レッテル貼りの二次被害

          スティグマ(stigma) は日本語において、 「偏見、烙印、汚点、差別」と訳されたり、そのような意味だと社会的に認識されており、 「精神疾患のスティグマ」≒「精神疾患の偏見という」 文脈で用いられているものも散見される。 「正常」(→折に触れて描いているが、「正常」は定義されていないし、出来ない曖昧なことばである)で在り続け、集団に適合することは、 遺伝子(geneであ、れ、memeであれ)レベルで考えるとき 生き残る術のひとつである。 だから、人間の本質に

          レッテル貼りの二次被害

          ADHDの診断インフレがもたらしたもの

          かつての 注意欠陥・多動性障害(以下ADHD)は、 明確な問題をかかえた、ほんのひと握りの子どもたち に限られて診断が下されていた。 本来ADHD周辺の問題は、 ごく幼いうちにはじまり、多くの状況下で、 見まがいようのない困難を引き起こすものであった。 ところが突然、 学級崩壊が教育ではなく、医療の対象となり、 だれかれかまわずADHDの診断が下され、 米国では2013年時点ですでに10%もの(→わが国でも2023年現在、それに近い数値になりつつある)子ど

          ADHDの診断インフレがもたらしたもの

          リンネがもたらした秩序から-現代の内科学と精神医学の分類体系はどこへ?-

          ギリシャ人たちは、物事を 4つ に分けた。 季節も4つ、 人生の段階も4つ、 惑星も4つ、 そして、元素も4つ(空気、火、土、水)。 これらが、さまざまに組み合わり、世界の物理現象と心身の様態を定めているとした。 また、4つの体液(血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液) をそれぞれ元素と対応させ、これらの不均衡が、病気をもたらすと、ヒポクラテスも書き留めている。 さらにパーソナリティー理論の父、ガレノス(130?~200?年)が、 体液の不均衡(ex.快活、短気、

          リンネがもたらした秩序から-現代の内科学と精神医学の分類体系はどこへ?-

          『若きウェルテルの悩み』に悩んだゲーテ

          私たちは物事をありのままに見ない。 自分のみたいように見る。」 タルムード (Talmud)にこのようなことばが在るが、その通りだと、私もよく思う。 『若きウェルテルの悩み』は1774年に発表された、 失恋とロマンチックな自殺を書いたゲーテの半自伝的小説であるが、 この小説ほど、ある意味文学の影響力とそれに付随する流行の危険性を、 データに残るかたちでまで証明している作品はあまり無いであろう。 『若きウェルテルの悩み』は、ゲーテをセレブにし、ファッションガイドに

          『若きウェルテルの悩み』に悩んだゲーテ

          シェークスピアの訳たち

          少し前に ハムレットに行動療法を受けさせたいか? リア王に抗精神病薬を飲ませたりしたいのか? などと描いたとき(精神科医療における診断インフレと私たちのQOL、そして人間の尊厳についての数回) から、 やたらとシェークスピアの作品とその関連について考えてしまう。 特に、黒澤明監督の映画「蜘蛛巣城」の 「マクベス」との置き換え部分のうまさや、 夫人の能面にヒントを得たメイク、 そして、三船敏郎さんの演技をゆっくり思い出していた。 (→今度、機会をみて久々に観

          シェークスピアの訳たち

          トマス・シデナム(Thomas Sydenham)の先見性

          「病人の枕元に行きなさい。 そこでしか病気は学べない」 トマス・シデナム(Thomas Sydenham、以下、シデナム)は、そう言い、 理論より経験によって知識を習得するアプローチを発達させ、 17世紀、クロムウェル治下の英国が、 啓蒙時代の夜明けを迎えつつあるころを生きた。 シデナムは、迷信や悪魔や教義、そして、残酷な荒療治から、患者たちを解放し、 友人で哲学者のジョン・ロックとともに、 病気を学ぶのは患者からであり、 理論、哲学、宗教の教えからではない

          トマス・シデナム(Thomas Sydenham)の先見性

          皮相上滑りの政策たちが「正常」に影響を与える

          子どもと高齢者は 精神障がいにおいて 正確な診断が 最も難しい人口集団であり、 薬の(有害な)副作用に 最も弱い。 それにもかかわらず、 欧米では、 最も多くの薬を飲んでいるのが、立場の弱い子どもたちであり、高齢者たちである。 欧米(→特に米国)のように 老人ホームで抗精神病薬を多用すれば死亡率は高くなってしまうのに、 製薬企業はそのような事実に無関心である。 最近の日本の政策(→今回は子どもと高齢者に対する政策だが、現実はそれにとどまらない。ex:マ

          皮相上滑りの政策たちが「正常」に影響を与える