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映画「蛇にピアス」感想:飛んで行った龍と麒麟

今週の映画は「蛇にピアス」

未見を損なわない程度のネタバレあり。

主人公の少女ルイと
スプリットタンのチャラ男アマ
タトゥ彫り師のシバ

この3名の遅い思春期というか、10代最後のあやまちの話。

ルイとアマは完全な相思相愛、共依存。
シバさんはルイとアマが大好きすぎるサディスト異常者でバイセクシャルとかいう、てんこ盛りお兄さん。

アマを愛していながらも、シバさんの好意に応えるルイ
でも、それはちょっとした裏切りや、自分の性癖に応えてくれるから
みたいな理由の、性の奔放さと背伸びした悪さの延長。

うまく嘘をついて、少しずつ闇の世界に近づいて行く。
今まで素直な女の子として生きてきたルイの、火遊びのお話。

あまりに、生々しい、ずるずるとしてて、ドロドロとした
アクの強い三角関係を語るだけ語っておいて
「ああ、そうか、こんなくだらないことやめよう」と
一人の女の子が大人になるだけのお話。

内容としては、スプリットタンに憧れて?
憧れてたというより、違う自分になれるかもしれないから?
みたいなフワ~っとした理由で、スプリットタンにしようと
舌に穴を開けたり、体にタトゥを彫ったりする。

その過程で、サディストの彫り師シバさんと関係を持ち
一方でアマを愛しているというごっこをやめられず。
アマを象徴する龍と、シバを象徴する麒麟のタトゥを体に彫り。

そんな日々を続けて、徐々に崩壊していく自意識と
求められている優越感。
そして、シバさんと会う口実であるタトゥを彫り終えてから
自暴自棄になり、本気で心の底から心配してくれている
アマすら目に入らなくなって。
また理由をつけて、シバさんに会いに行って、火遊びを楽しんで
夢中になっていたら、そばに居てくれたアマを失って。

アマが居なくなった理由にシバさんが関わってると気づいていても
アマが居なくなってしまったから、シバさんから離れられず。
ごっこじゃなく、アマが大事だったことに気づいて。

ああ、こんなくだらないことそろそろやめよう。
なんか取り返しがつかないことがたくさん起きた気がするし
舌に開いた穴も塞がらないし、タトゥも消せないけど。

そろそろ大人になろう、独り立ちしよう。
龍と麒麟はどこかに飛んで行ってしまっていい。

そんな、ゴチャゴチャとした
少女の精神状態をずっと見せられる映画でした。

序盤は、おばかな若者のヘラヘラした態度と

殴られる小栗旬と
歯を折られる藤原竜也を見て

中盤は、どろどろとした人間の感情を見せられる。
このへんまでは「なんだ、この映画、なんだろう」と思うも

終盤、になってきて「あー、面白くなってきたな」と思える。
面白くなってきたところで、ああなるほどなって終わる。

分類としては、何か得るものがあって清々しい映画ではなく
何を見せられていたんだろう、なんだか意味が無かったような
意味がすごくあったような気がする。
でも考えるほどの意味はない気がする。
そんなタイプの映画でした。

見どころポイントとしては
「あー、いたいいたいいたいいたいうわあああ……」ってなる
生々しくて濃厚な、舌に穴開けたり、タトゥを彫ったりするシーン。

最初から最後までずっと可愛い、頭が悪すぎるガキのアマ。
犯罪者だし、ヤバいやつなので、理性では許してはおけないんだけど
可愛いやつなので、フィクションなら良いかと思えるキャラ。

バイなので、アマと濃厚なホモも見せてくれるシバさん。
妙に人間的で、社会性があって、でも全部一歩ずつ踏み外してるような
絶妙に気持ち悪くて、絶妙に共感できる変なキャラ。

殴られる小栗旬と
歯を折られる藤原竜也

最後に、感想らしい感想としては

シバさんの目的は一体どこだったんだろう。
ルイが欲しかったのか、アマが欲しかったのか
アマを独占したルイをいじめたかったのか
ルイを独占してるアマをいじめたかったのか
いじめてる自分が好きだったのか。
それでも殺すほどだったのか、事故だったのか故意だったのか。
アマは人を殺したことに気づいていたのか?

いろいろな疑問を残しつつも、やはり正解はルイと同じく

何も見なかった、ちょっとした人生の寄り道だった。

そう考えて見なかったことにするのも、ひとつの選択なんだろうな。

そんなふうに思いした。

万人見たほうが良いとは決して言わないけれど
「あーあ、人生何かハプニングが起きてハチャメチャにならないかな」
「あいつ、あの時何を考えてたんだろう、俺が悪かったのかな」
とか一度は考えたことがある人は、見ると
「まぁ、どうでもいいしやっぱいいかな。」と
今の生き方が楽しくなる映画かなと思います。

おわり。

蛇にピアス


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