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古代、「毛の国」と呼ばれた群馬県は、縄文ゆかりの場所だった?! ~縄文探訪・四万温泉~

・四万温泉の「シマ」は、アイヌ語で「ごつごつした岩」という意味?

ちょっと前に群馬県の四万(しま)温泉に行ってきました。四万温泉の「シマ」はアイヌ語が語源と言われています。アイヌ語は縄文直系の言語。
ほかにも日本各地に、シマという地名はあり、有名なのが、近畿地方の伊勢志摩(しま)や、高知県の四万十(しまんと)川など。

いずれの場所も、「ごつごつとした岩」を「シマ」と言い、アイヌ語で、岩石が多い場所を「シマ」というそうです。たしかに、これらの場所である、伊勢志摩も四万十川も、ごつごつした岩がたくさんある場所です。
ほかにも、四国の四万十川の名前は、文字どおり四万余りの支流をもっているという説や、アイヌ語の「シ・マムタ」(はなはだ美しい)からきたという説があります。

群馬県の四万温泉は、渓流ぞいにある秘湯です。

群馬県の四万温泉は渓流沿いの秘湯。川には、ごつごつした岩がいっぱい。確かに四万温泉の由来は、アイヌ語源の「シマ」でもおかしくないな、と感じました。

四万温泉で有名なお宿、積善館。千と千尋の神隠しのモデルになった場所だそうです。
こちらは私が宿泊した宿、つばたやです。
帰宅後調べたところ、「つばた」は津幡という漢字で、奈良時代、この「津幡」は、中臣鎌足が天智天皇より賜ったことに始まる名前だと、ネットで書かれていました。

・平安初期、田村麻呂将軍の伝説が残る、四万温泉

四万温泉を散策していて驚いたのが、「たむら」という名前のお宿が3軒ほどあったこと。実はこの四万温泉は、ヤマト王権の田村麻呂将軍の出兵伝説が残っています。この秘湯はとにかく山の中・・。渓流沿いの山道をひたすら登っていって、やっとたどりつく風情ある温泉です。
こんな人里離れた秘湯で、「たむら」という苗字の温泉宿が偶然3つもあるとは、少し考えにくい・・。
そこで思ったのが、田村将軍ゆかりの人々が、遠い昔に住み着いたのではないか、ということ。

四万温泉の近辺でも、田村将軍の伝説が残っており、これが本当だとしたら、この攻略が実際にあったことで、「たむら」と呼ばれるお宿の先祖たちは、田村将軍ゆかりかも?と思ってしまいました。
つまり、四万温泉の「シマ」はアイヌ語でゴツゴツした岩をさす言葉。実際に四万温泉は、渓流沿いの岩の多い場所。そこから察するに、古代ここには、アイヌ民族が住んでいた可能性が高い。それをヤマト王権の田村麻呂将軍が攻勢し、平安初期にこの地は、ヤマト王権の直轄地になったということが考えられます。

今回泊まったお宿、つばたやの窓からの景色です。
これはお部屋の窓からの写真ですが、川はやはり、ごつごつした岩ばかり・・。
下の傘の写真の場所に、露天風呂があるそうですが外から丸見え。かつ、寒かったので入りませんでした。

実は群馬県は、古墳大国です。日本はコンビニよりも古墳が多い国ですが、群馬のすごいところは、個人の庭にも古墳があるところ・・。
そういえば、私は幼少時、広島で育ちましたが、田舎だったせいか、近所の個人の邸宅でも、庭に古墳がありました。でも当時、子供だったため、古墳にまったく興味なく、今回のことがあるまでずっと忘れていました・・。


・縄文由来?古代、「毛の国」と呼ばれた群馬県と栃木県


古代、群馬県や栃木県のある、北関東一帯は、「毛野(けの)国」と呼ばれ栄えた国でした。
しかしこれらの王国は、奈良時代の律令制定後、滅亡し、ヤマト王権に組み込まれていく道を歩んでいったようです。

実際、奈良時代、滅亡した古代系王国は数多くあります。
中国地方にあった、吉備(きび)国は奈良時代、現在の広島県東部から岡山県全域を含む広大な領土を有した大国でしたが、この律令制によって4カ国(備前、備中、備後、美作)に分割され、滅亡します。
ほかにも、長野県の鬼無里(きなさ)王国の先住民は、奈良時代、天武天皇に「鬼」として征服され、ほかの古代系王国も次々と滅亡していきました。


現在、群馬県には上毛(じょうもう)線というJRの路線があり、これは、群馬県前橋市の中央前橋駅から同県桐生市の西桐生駅に至る上毛電気鉄道の鉄道路線です。
この「上毛」という言葉は古代、群馬県が「毛の国」と呼ばれたことが由来だそうです。

また栃木県は中世、下野(しもつけ)国と呼ばれていましたが、この「しもつけ」は、もとは、下毛野(しもつけの)という漢字。
つまり、栃木県も群馬県もどちらも「毛の国」だったらしい、ということ。

常陸風土記によると、この「毛の国」の由来は、茨城県の筑波(つくば)国が、太古の時代、「紀の国」と呼ばれていたころにさかのぼるそうです。
そのころ、茨城県と栃木県との境に「毛野河(けのがわ)」という川があり、その川が由来で、栃木県付近が「毛の国」になった可能性が高いと、wikiに書かれています。


つまり古代、群馬県と栃木県あたりに、「毛の国」と呼ばれる国があり、群馬県が「上毛(じょうもん)」の国。栃木県は、「下毛(しもつけ)」の国と呼ばれる国だったらしい。そして天武天皇以後、これらの国々は、ヤマト王権に組み込まれていったと正史に残されています。
奈良時代の各地の王国の滅亡を調べていると、必ずといっていいほど登場する天武天皇。そして、兄である天智天皇が始めた、律令制度・・。
この二つが奈良時代以前にあった、日本各地の王国の滅亡を握る鍵かもしれません。


・群馬県が「毛の国」と呼ばれた理由は、穀物がたくさん収穫されたから


ちなみに群馬県が「毛の国」と呼ばれる理由は、もう一つあります。
それは「毛の国」の「毛」とは、小麦をはじめとした穀物をさすという説があるからです。
諸説ありますが、実際に今も、群馬県は小麦が多く生産され、水沢うどんの名産地としても有名です。
私はときおり自宅でパンを焼くのですが、以前は、近所のお店でも北海道産の小麦を売っていました。しかしウクライナ侵攻後は、めっきり北海道産の小麦が手に入らなくなりましたが、変わらず群馬産の小麦は売られて、助かっています。外国産より、国産の小麦粉のほうが、やはり安全な気がするので・・。
首都圏に住んでいるので、群馬のほうが近く、その流通の関係で、群馬県産の小麦が手に入りやすいのかもしれません。

また栃木県は全国でも有数の麦の生産地で、県南部の小山市、栃木市などの二毛作地域を中心に、県内全域で栽培されています。 麦が実る6月ごろは「麦秋(ばくしゅう)」と呼ばれ、黄金色に染まった麦畑が一面に広がる景色が見れるとか?!

まとめると、群馬県の四万温泉で知った日本のシマという地名。
それは縄文の直系とされるアイヌ語の「ごつごつとした岩」を「シマ」をいさし、アイヌ語で、岩石が多い場所を「シマ」から来ていました。
そしてほかにも、日本の地名に、伊勢志摩(しま)や、四万十川という「シマ」という名前が残っている事実。それは日本各地に、縄文人と、縄文直系のアイヌ民族がはるか昔に住んでいたことをさします。

そして「毛の国」と呼ばれた群馬県や栃木県は、古代から、小麦をはじめとして穀類がたくさん収穫される豊かな国でした。
今も群馬県と栃木県は、たくさんの穀類を生産しています。

その毛の国の穀物の生産は、縄文から変わらず、紡がれる歴史。
そう考えると、縄文滅亡から約1000年以上たちましたが、縄文は今も、私たちの生活に根差し、生き続けているように感じます。
そして縄文があったから、私たちの暮らしがある。
縄文から伝わる地名、そして穀物をはじめとした豊かさ・・。それが現代の日本の豊かさの基盤なのかもしれません。


四万温泉の下流には、小さな滝がたくさん点在しています。
すみきっていて、怖いくらいの滝でした。
縄文から変わらない、渓流の風景なのかもしれません。



〈参考サイトなど〉


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