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『しょぼい俗悪』



『しょぼい俗悪』



とろろ芋みたいなゲロを吐きそうになった。
つまんねー、と思っていた。私は今すぐに帰りたかった。大概、合コンは時間とお金の無駄である。
映画やドラマのように好みの異性が目の前に現れて、はじめましてこんにちは、なんてことは一度もない。少なくとも、私にとっては常にそうだった。
トイレに行くふりをしてそのまま消えようかしら、
なんて思っていると、鳩が餌をついばむような速度で小皿のバターコーンを貪るように食べている差し向かいに座る女が、どんよりと濁った目を鈍く光らせて、「田邊さん、わたしと連絡先の交換をしよーよ」と言った。腐りかけの草餅みたいな顔の二十九の看護師の女である。言下に断りたかった。



いやだなぁ…スマホを忘れたふりをしようかなぁ…まいったなぁ…どうしよう、などと煩悶していると、
「おっ、いい感じだね。調子どう?楽しんでる?」
と言って、この合コンの主催者だとかいうサングラスをかけたDJ気取りの鳥顔の男が、私の肩にぽんと手を置いた。初対面なのに妙に馴れ馴れしい。私は初対面から馴れ馴れしい人間を信用していない。初対面から馴れ馴れしいのが許されるのは犬と猫だけで十分だと思っている。他はうっとうしいだけだ。



私がたまにいくアパレルショップの店員の男から誘われて、今回の合コンにひとりで参加することになったのだが、こんな叫喚地獄みたいな息苦しい場所に来なければよかったと心の底から後悔している。
街中のビルの屋上にあるレンタルスペースを貸し切っての合コンであり、眺望はいいが風が些か冷たかった。初対面の男女三人ずつの六人グループがそれぞれ五つくらいのテーブルに配置され、たいしてうまくもない飯を食べながらトークをするのだが、どのテーブルもトークがさほど盛り上がっておらず、場違いのようにスピーカーから流れてくるサイケデリックな音楽が耳障りで私の苛立ちをあおった。


すると、私の斜向かいに座っている情欲の権化みたいな大きな胸の谷間を露出させた色白の女が、「みんなはクルマぁ、何乗ってんのぉ?」と鈴を転がすような声で言い、電子タバコを咥えるので、私は閉口した。なぜなら、私は車を持っていないからだ。ずっとペーパードライバーである。車を所有したことが人生で一度もない。のみならず、車に疎いので車種の名前もいまだにあまりわからないレベルだ。
色白の女は首にトランプのクイーンのタトゥーがあり、左の二の腕にはおとめ座のタトゥーがあった。美容師をしている三十三の女である。体からぶどうガムみたいな匂いがする女で、酒を何杯飲んでも顔色を変えず、スライストマトに箸をつけていた。


私の右隣に座っている製薬会社勤務の男は、ひょっとこみたいな顔をして、自分のクルマのことを得意げに話しているが、私の耳には寸毫も入ってこない。ひょっとこは色白の女のことをエロい目で熟視して、「…あ、そーいえば、一応、確認なんだけど、ここにいる人たちはみんな彼氏彼女がいないってことでいいんだよね?あとで、本当は彼氏がいますとか言うのはなしだからね。こっちは真剣に出会いを求めて参加しているんだからさ!」などと言いながら色白の女の胸ばかり見ているのだから、ばかばかしくて聞いていられなかった。ひょっとこはストライプスーツを着ており、その隣にいる会社の後輩の男は、全身が黒のア・ベイシング・エイプだった。ダイダラボッチのようなずんぐりしたさえない男である。ダイダラボッチは人見知りらしく、ほとんど喋らない。黙々と飯を食べながら、ビールを飲んでいた。そのダイダラボッチの差し向かいに座っている女は、デパ地下の洋菓子店で働いている二十四の女である。私と同じで酒が弱いのか、生桜えびみたいな顔色になっていた。歯列矯正の銀のワイヤーをした、顔のそばかすが目立つ童顔の女だった。
この女も静かであり、あまり喋らなかった。レモンサワーをちびちび飲みながらせり鍋を食べていた。


私の目の前にいる看護師が、「そういや、田邊さんは仕事、何やってんの?」と言うので、「今は探偵事務所で働いてます」と返すと、「えっ!すごい!探偵さんて浮気調査とかで尾行してるんでしょ?」と言って大げさに驚くので、曖昧に笑ってごまかした。私はただのアルバイトである。失業中の私は、知り合いが働いている探偵事務所で、一日四時間のパソコンの単純な入力作業をしているだけなのだ。
しかし、調子こきの点数稼ぎ野郎ならここですかさず、「そーなんだよぉ。昨日は都内で男を尾行してー、浮気相手の女とラブホテルに入るところを写真に収めてー、明日からは青森で調査がぁ…」などと言い、続けて半笑いで、「ターゲットの男のクルマにGPSを取りつけるのが難儀でさー」とか言ってアピールをするのだが、私はそういうのが嫌いな性質なのである。口をつぐんで周りの景色を見ていた。私たちがいる屋上から、眼下の欅並木通りが見える。


すると、色白の女も半身を乗り出して、私の仕事について根掘り葉掘り尋ねてきた。だから、「自分はただのアルバイトだから、依頼の電話を受けたり、実際に調査員として動くわけではないので面白いネタなんてありませんよ」と思っていると、私に興味を持ち始めた色白の女を狙っているひょっとこは明らかに不機嫌になっていた。急に私に冷淡になり、私たちの会話を遮るように唐突に、「なぁ、仕事の話なんていいから、お互いのラインを交換しよーぜッ!」と黄ばんだ歯を見せながらがなると、一瞬でその場が静まり返り、女性三人が押し黙った。そして、急によそよそしくなり、色白の女はスマホを握りしめて席を立ち、そそくさといなくなった。



その場が変な空気になったので、私はトイレに逃げようとしたが、ひょっとこはなぜだか私の背中をさすりながら、「みんな、オレとラインを交換したくねーってよ。なあ、みんなが交換してくれねーからさ、オレらだけでも交換しようよ!な!」などと皮肉を言って、にやにやするので、私は怖くなった。
ひょっとこの目の奥が笑っていない。気の毒になるほどの痩せ我慢である。私はなんだかかわいそうになったので、ひょっとことラインを交換した。ひょっとこのラインのアイコンが、サングラスをかけた自分自身の脂ぎった顔だったので、少し引いた。


色白の女が席に戻ってきた。化粧をなおしてきたらしい。屋上の風で乱れた前髪も整えられていた。
すると、色白の女は、「ビタミンCをとりたいから、わたしもせり鍋食べるー」と言って、さっきからデパ地下の女がつついているせり鍋を食べ始めた。
せりのシャキシャキとした歯ざわりがよほど気に入ったのか、箸が止まらない色白の女は、「これすごくおいしいよ。みんなも食べようよぉ」と言って、率先して、私たちの腕によそった。ひょっとこはいかにも嬉しそうな顔をして、「うん。こりゃあ、うめー。ぎゃははははっ!美人な女の子によそってもらったから、よけいにうめー。ぎゃははははっ!」と下品な笑い方をしながら、テーブルを手で何回か叩いてキモいことを言う。私は白い泡を吹いた。
この空間にたえられない。窒息死しそうなほど息苦しい。早くこんな飲み会は終わってくれ、と思いながら渋面でせり鍋を食べた。出汁をすすると、鶏がらの旨味が口の中に広がり、せりの食感もよくて病みつきになる。あっという間に食べてしまった。


そのとき、感無量といった表情をしているひょっとこが、突如としてアカペラで湘南乃風の「純恋歌」を濁声で歌い出すので、私は耳が腐り落ちるかと思った。私たちが口をあんぐりとあけて呆然としていると、上機嫌なひょっとこがダイダラボッチに、「おい。オマエ、さっきから誰とも会話もせずに何をやってんだ!もっとぐいっといけよ。うぶな女の子じゃないんだからさ。今日、オマエは何のためにここに来たんだ?素敵な彼女をつくるためだろう?じゃあ、何でトークしない?人見知りとか甘いことを抜かしてんじゃねーぞ。もっと積極的にいかねーとダメだぞ。あ、そうだッ!ラインを交換してもらえ。ほらァ!」と言って、ハイボールを粛々と飲んでいたダイダラボッチの横腹の贅肉を揉んだ。


口の中で弾力のある分厚い牛タンをもがもがさせているダイダラボッチは赤ら顔で狼狽していたが、会社の先輩の言うことには忠実に従う性質らしく、
「あ、あの…だれかボクとライン交換しませんかー?もしよければなんですけど、あ、しませんか?」
と言って、おしぼりで額の汗を拭うと、妙におどおどしながら、目の前にいるデパ地下にラインの画面を見せるようにスマホを持った手を突き出した。
ダイダラボッチは小粒の白い歯を光らせながら、声変わりに失敗したような甲高い声を出して笑う。
すると、ずるずると音を立てて蕎麦を食べていたデパ地下は、ぐふっとむせて白目になり、口の中の千切れた蕎麦を椀にぜんぶ吐き出して悶絶した。


まともな感覚であればそこで空気を読むのだが、ダイダラボッチは突き出した手を引っ込めなかった。
テーブルの真ん中にスマホを持った手を突き出して、弱々しい声で、「誰かボクと交換してー」と言って、真顔で体を静止させているので、私はぎょっとし、こいつ狂ってるな、と思うと同時に、誰でもいいからこの男と交換してやってくれ、と思った。
しかし、女性三人はあからさまに無視していた。
看護師は陰気な顔でスマホをいじり、色白の女は涼しい顔で泰然としてレンコンの唐揚げを口へ放り込み、カリカリという小気味よい音を立てながら、手元の小皿に取り分けられたサラダの中から、虫でも取り除けるようにアボガドだけを箸でつまむと、それをテーブルの上の紙ナプキンでくるんだ。


私はダイダラボッチの痴態を見ていられなかった。もう勘弁してくれ。今すぐに手を引っ込めてくれ。
地獄絵図だ。公開処刑だ。胃痛がする。おい、ひょっとこ、早く彼を助けてやってくれ。何で黙っているんだ。もうだめだぁ、偏頭痛もしてきたよぉ。
という私の心の断末魔の叫びが彼らには届かず、ダイダラボッチは手を引っ込めないし、ひょっとこは黒髪をハードワックスでツンツンに立たせた頭をかきむしりながらジョッキの底に残っているビールを飲み干して、鼻の穴を膨らませてタバコを吸った。


そのとき、私のスマホが光った。何かと思って確認すると、目の前の看護師からのラインだった。
「このあと、どーする?ふたりで抜けちゃう?」
という内容である。私ははっとして、看護師を見ると、看護師はすました顔でデザートのプリンを食べていた。私が看護師の顔を見ていても看護師は私のことを一切見ずに、色白の女と「ちょっと寒くなってきたね。何か羽織るものを持ってくればよかったね」などと言って、口の中の銀歯を見せて、けらけらと笑っている。私はドン引きした。ここから見る夕景の空は美しいが、それ以外はぜんぶクソだ。


しらけていた。一体、自分はここで何を見せられているのだろうと思った。ダイダラボッチもどうかしてるし、ひょっとこもどうかしてるし、看護師もどうかしている。というか、自分も含めて、どうかしている異常者の集まりだ。このくだらない空間に身を置いているだけで魂が穢れそうである。一秒でも早く解放してくれ。私は屋上から飛び降りたくなったので、着ているパーカーのフードをすっぽり被ると、首元にあるヒモをぎゅうっと引っ張って顔を隠した。そして、もう殺してくれよ、とつぶやいたとき、ひょっとこが、「じゃあ、みなさん。そろそろお時間みたいなんで、二次会はカラオケに行きますか!」と言うので、「行くかボケ!死ね!」と私は思ったが、精一杯の愛想笑いでやんわり断った。
無論、女性三人も適当な理由で断ると、ひょっとこは、むっとした顔をして、私のせいだと言わんばかりに私の右足をぎゅうっと踏みつけてきたので、なんだコイツ、と思った私は腹が立ち、飲んでいた水のグラスの底を乱暴にテーブルに叩きつけた。


デパ地下が席を立つと、看護師も席を立った。
ひょっとこも席を立ち、ダイダラボッチを連れてどこかへ消えた。私は色白の女と二人だけになった。色白の女は大きな胸を突き出して、スマホをいじっている。そのとき、私は女の胸をつい見てしまい、枯死寸前の草花のような顔をして後悔した。


私はお互いに無言になることを恐れて、自分から何か話しかけようとしたが、話す話題が見つからなかった。気まずかった。心の中で和太鼓を乱打して、「どなたか私を助けてくれませんかー!」と哀願していると、色白の女がスマホを見ながら、主催者のDJ気取りの男から差し入れされたコンビニのスイーツを食べようとするときに私をちらりと見て、
「田邊さん。全然、しょぼくないじゃん。ジュンヤから、しょぼい客がひとりで参加するからよろしくって言われてたから、どんなヤツだよって想像してたけど、案外まともじゃん。というか、わたしはけっこう好きよ。あとでジュンヤを叱っておくね」
と言って、微笑みながら電子タバコを吸い、夕方の肌寒さにたえるように腕組みをして、体をそわそわさせた。ジュンヤは私をこの合コンに誘ったアパレル店員である。そのジュンヤが私のことを裏でしょぼい客などと罵っていたのだ。最低最悪だった。


だから、私は合コンに二度と行かない。たとえ、信用できる友達に誘われても行かない。そして、あのアパレルショップには二度と足を踏み入れない。


          〜了〜




愚かな駄文を最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
大変感謝申し上げます。

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