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子どものために生きたかった

↑半年前に書いた思い。最近全く違う思いに戸惑っています。
どれが自分の本心なのかわかりませんが、
最近考えることがあります。恥を承知で吐露させてください。

DINKsとなってからこれまで、子供がいないメリットを考えたり、マジョリティを目指してきた自分を否定したり、現状を正当化することに必死だったように思います。

けれど、やっぱり私は二人の遺伝子を持つ子供が欲しかった。

無条件に愛せて無条件に尽くせて見返りなんていらない。
そんな存在が欲しかった。
そんな存在のために頑張りたかった。
そんな存在のために生きたかった。
未来を感じたかった。


もう現状を受け入れているし、子を望んでもいない。

それでも時折こんな思いが心の底から湧き上がってくるんです。

その都度自己否定ばかりしてきたけど、辛かったことに気が付きました。

一時的・瞬間的な思いでも、変わる思いであっても、どんな思いも自分の
大切なきもち。

辛いけれど、それに気が付いて認めてあげないと苦しいままなんです。
自分を無視するって可哀そうですよね。

奥底にある自分を認めてあげられるのは自分だけなのに。
これまで自分の味方をしてあげられてなかった。

だから否定した思いが度々顔を出してくる。

苦しかったね。

「普通」を目指してきた自分、素晴らしいよ。
そのために真面目に頑張ってきた自分、偉いよ。

他人軸でもいいじゃん。
誰かのために生きたいっていうのが私なんだから。

それが心地よいんだから。

今は目標を見失って、自分のために生きなきゃって焦ってる。
(「しなきゃ」になってる。書いて気が付きました。)

「したい」に気が付けるときが来るまで、のんびり生きようよ私。
生き急いでもしょうがないよ。ゆっくりゆっくり。

気持ちが変わるのは当然のこと。
自分の本心がわからないと嘆くより、その時の気持ちに従って
勇気出して素直に動いてみよう。


閲覧ありがとうございました。


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