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2 「都道府県」という立場 ~実体のない幽霊のような存在とは?~①国家公務員とは。

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 毎回、言いますが、これはフィクションです。

 前回は、そもそも地方公務員は、みんなのやりたがらない仕事を、会費をもらってやっている雑用係なので、仕事は面白くないし、やりがいなんて何にもないし、そう言った意味で、覚悟が必要ということを説明しました。
 今回は、その中でも、都道府県は、さらに、覚悟が必要というお話をしていきます。

(1)国家公務員とは何か。
 国とは何かというお話ですが、まず、公務員の本質としては、地方公務員と全く変わりません。人がやりたくない仕事をやる。税金という会費を集めてやる。最たる例は、法務省の刑務官かもしれません。場合によっては、死刑執行のボタンを押すという仕事もあります。
 しかし、地方公務員と決定的に異なるのは、「国益」を守るという国民にとって圧倒的に大切な仕事をしていることです。また、日本国という国全体に統一的な制度を設計しているという国の成り立ちを決める仕事です。この二つが国家公務員を国家公務員たらしめているのです。

①国益を守る仕事
 さすらいの地方公務員として、七側県に奉職しましたが、途中、2年間、研修という名目で、国で仕事をする機会がありました。
 たまたま配属になった部署のせいかもしれませんが、常に、他国との国際会議があり、その中で日本国の立場を主張し、理解を求め協調する仲間を増やす。日本の国益を守るために、毎日、朝方まで働くという人々を目の当たりにしました。地方公務員とは、圧倒的に異なるスケール感です。そして使命感です。まさに、国民のために働いているという誇りを持って行う仕事です。

②日本国に統一的な制度を設計する
 教育制度、福祉・介護制度、感染症対策、産業振興など、国民の皆さんに関係あるベーシックな制度から、特定の団体に関わる制度まで、基本的に、この国の成り立ちにかかる制度のほぼ100%を、国が決めています。
 なにしろ、法律を立案し、提案できるのは国だけですからね。
 後ほど、都道府県の本質についての中で、詳述しますが、地方独自で行っている施策などは、ほとんどありません。補助金の制度も国が設計して、地方にやらせているだけです。
 日本の統治機構は、「融合型」と言われています。融合型とは、ある特定の行政分野について、国も関わる、都道府県も関わる、市町村も関わるという、3段階で構成される統治機構の全てが関わり、その中で役割分担をしていくというあり方です。そうした中で誤解を恐れずにいえば、国が制度設計、地方が執行ということになります。

 ここから下は、本当に余談なので、時間のある時に読んでください。
 少し脱線しますが、一昔前に、「地方分権」が声高に叫ばれた時代がありました。「地方のことは地方で決める」がスローガンで、国が持っている財源や権限を地方によこせ‼️と、地方は息を巻いていました。権限移譲、国庫補助負担金の見直し、地方交付税改革の3つを同時に行う「三位一体の改革」を旗印に全国知事会が旗を振って鼓舞したことで、地方の間に、改革の機運が高まりました。
 蓋をあければ、泰山鳴動して、鼠一匹。国は、大した権限もよこさずに、財源については、特定目的の国庫補助負担金を廃止し地方交付税とする、いわゆる一般財源化という名目で、現総務省とその他の省庁の財源争いになって、結局、得したのは現総務省だけだったという散々な結果になったのです。
 言って見れば当たり前のことで、制度設計をやってあるのが国なので、いくら国に刃向かっても、勝ち目はないということです。
 そうした戦いの中、よく引き合いに出されたのは、米国の教育制度に関する国の権限でした。米国は、「独立型」(?だったと思います)の統治機構です。もっと言えば「連邦制」なので、独立型もへったくれないのですが。
 「連邦制」では、基本的に、憲法から法律、裁判所まで、週によって全く別のものです。最近、話題になったスポーツ賭博も、週によって合法だったり、非合法だったりします。また、マリワナの使用も合法化されている州もあるし、引き続き、非合法のところもある。さらには、人工妊娠中絶については、キリスト教的倫理感とあいまって、認める州、認めない州があり、大統領選挙でも大きな争点になっています。
 さて、米国は「独立型」なので、基本的に行政分野ごとに、担任する統治機構が異なります。「教育」は、地方が担任する分野で、いくら連邦政府がこうしたいと思っても、全く手が出せません。地方ごとで、どの程度差異があるのかわかりませんが、地方が行う教育には、連邦政府が口を出せないのです。
 日本は、国がすべての分野の制度を決めて、地方に執行させています。もちろん、国が直接執行する部分もあるのですが、ほとんどの分野で、地方を絡ませます。その結果、日本の市町村は、どんな小さな規模の市町村でも、行政の百貨店で、ほぼフルセットで行政サービスを提供しています。
 最近は、この国の成り立ちを決める仕事、すなわち国家の政策を決定する仕事ですが、この仕事のありようもだいぶ変わってきたと思います。
 これは、地方公共団体にも押し寄せているのですが、キーワードは「政治主導」です。正確にはわかりませんが、国の省庁の局長以上は、国会の承認が必要です。つまり、国会に提案して「わかった」と言ってもらえなければなりません。この提案については、かつては各省庁で行っていました。つまり、各省庁が自らの権益を守るために最適な人間、各省のホープを送りだしてきたのです。
 しかしながら、安倍政権で「政治主導」で政策を決定するという名目の下、この人事権を内閣官房に集中させました。つまり、内閣官房が「うん」と言わないと、各省庁も局長以上の人事が決められなくなりました。表向きには、内閣の政策を実現する人でないとだめということになります。しかし、実態としては、内閣官房に「うん」といってもらうために、政権の意向に従う、政権に覚えのめでたい人でないといけません。
 したがって、与党の要望を聞き入れて実現していく人間が政権から重宝されます。この結果、これまで世界最優秀の政策立案集団として、国民の利益の追求する日本の官僚機構は、その大義や政策立案能力の優秀さを捨て、与党の要望を如何に実現していくのかという、単なる実行集団となりました。このため、東大の中でもトップ集団からは見限られてしまって、現在は、国家公務員を目指す人は、一部の方を除き、過去の栄光の残滓にすがる「地方帝大」や「難関私大」のTier2(第二階層)の人材に、その主流が移りつつあります。
 国家公務員も、今はやりのコンサルタント業界でいう「上流」から「下流」へ移行という大変革があったのです。この流れは、地方甲無韻にも押し寄せています。(市町村は、もともとそういった構造になりがちでしたが、都道府県もそうなりつつあります。)
 詳しくは、次の項目でお話をしていきます。

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