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5 論理的な思考力より必要なもの ~盲従する能力~ ②

くどいようですが、これは、フィクションです。

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(2) 自分と同じタイプを優秀と感じるので•・
 前回の記事で、とにかく作業をこなすということが、地方公務員に必要な能力だと述べました。
 また、そういうことに長けている「階層」の方々(「行進」以下の方々)が、大半を占めるコミュニティであることも述べました。
 その結果、何が起こるかというと、同じことを両面からとらえた形になりますが、以下のようになります。
①論理的な背景の説明が後回しになる
 仕事をするとき、と言ってもほとんどは作業なのですが、とにかく案件を処理することが優先され、論理的な背景の説明が後回しになります。
 「なぜこの仕事をやるのか」という説明より、「どのようにこの仕事をやるのか」という説明が先になります。
 七側県では、職員の業務マニュアルと言ったものが存在しません。このため、業務の内容がわかるものといえば、担当者が作成した引継書と呼ばれるメモと、過去に処理された書類(今は電子的に記録したものもあります。)しかありません。担当者も含めてかなり上のポストの人も、目の前に積まれていく案件を処理して行かなければなりませんので、何のためにこの仕事をやるのかというより、どうやってこの仕事を片付けていくのかということが、自分にとって最も重要なことになるからです。
 また、法令や国の補助要綱等に基づく仕事は、都道府県が独自に考えたわけでもないので、そもそもはじめた時の趣旨もわからなくなってるし、その目的と言われたってなんのこっちゃ、ということになります。どうせ、やらなきゃいけないんだから、どうやるんだ!という方に関心が行かざるをえない。
 長々と説明してきましたが、こうして、「目的」より「手段」が重要視されるコミュニティが出来上がるわけです。

 話しは変わりますが、最近、民間企業の就職活動を経験された方は、記憶に新しいと思いますが、大抵の企業では、インターンに向けての選考や、本選考で、グループディスカッションがあったのではないかと思います。
 そこで、いろいろお題が出されるわけですが、例えば、カラオケボックスの売上を向上させる施策を考えなさい、というお題があったとしましょう。
 それでは、皆さん、グループディスカッションをはじめてください、と言われて、役割分担を決めるなど一通りの手続き(私はそんな手続きやってもやらなくても適当にやれば良いと思いますが、それは置いておいて)が終わった後、議論に入ったとしましょう。
 その時、多分、それほど、イケテナイ人は、「近くの高校の下校時にチラシを撒いて見たらどうだろう。」とか、「割引のクーポンを作ってリピーターを増やす」とか、いきなり解決策を出してきます。それはそれで、アイデアベースとしては有りだと思いますが、そもそも考えなくてはいけないのは、「カラオケボックスは、なぜ売り上げを増やさないといけない状況に置かれているのか。」ということです。
 そもそも少子高齢化で地域の若者の数が極端に減ったとか、近くにできた別のカラオケボックスとの競争に負けたのか、はたまた、アルバイトを雇いすぎて人件費が嵩んでいるとか、その原因はいくらでもあります。従って、まずは現状分析をする。そして、課題を把握する。そして、その課題にあった解決策を考えていく。こういう手順になると思います。そもそも、何のためにやっているのか意識しないと、頓珍漢な解決策を実施していくことになります。
 この、「なぜ」「何のために」を考えない人は、「目的」ではなく「手段」しか興味がないので、もし、その「手段」が現在の課題に対応していなくても、気がつかないのです。

②猪突猛進型の人間が突き抜ける
 話をもとに戻しますが、「手段」にしか着目しない集団の中では、「目的」を意識する人間は、メインストリームになれません
 ひたすら、「手段」のみを考え、実践していく。しかも、その手段によって解決すべき課題が何か、全く意識しない。そういう人たちが溢れている。そういう世界の中では、課題を把握して、合理的な施策を考案し対応していくという論理的な施策展開を重視するタイプよりは、ただひたすら前に突き進む猪突猛進型の人間が頭一つ突き抜けていく
 そして、ある本によると、人間は、自分と同じタイプの人間を優秀だと感じるということです。つまり、頭一つ飛び抜けた人間が、優秀だと思うのは、自分と同じような、猪突猛進型の人間です。理屈なんてどうでもいい。とにかく、やることが大切。
 まあ、論理的な思考力の優劣は、測られる側と同じぐらいかそれ以上の論理的な思考力がないと、測ることができません。もし、論理的思考力が劣っている上司に、論理的に説明しようと思っても、言われている上司は正しく理解できないので、その巧拙の判断ができない。こうして、論理的な思考力がある人間が必要とされないという、負のスパイラルに入っていきます。
 「①論理的な背景の説明が後回しになる」でも説明しましたが、そもそも、論理的な思考、論理的な説明が後回しになるコミュニティです。小難しい理屈を並べて、いいの悪いのいっている暇があるなら、とっとと実行しろ!というどちらかというと体育会系な仕事の進め方になります。
 その中で、上のポストに引き上げられていくのも、とにかくやるという方々です。そして、引き上げられた方々からみて優秀だと思われて、引き上げられていくのも、とにかくやる方々です。
 こうして、とにかくやるというようなタイプの人間が重用され、考える人間があまり上のポストにいなくなる。このことによって、何が起きるのか。
 自分でやったことについて、目的も含めて論理的に説明できないと言った、馬鹿みたいで、笑い話みたいなことが起こるのです。そういった仕事の仕方を見ていると、頭を使って仕事をしていこうとする人間からすると、本当に、はてな❓となる社会です。だから、地方公務員になりたい人は、とにかくやるという仕事の仕方をしなくはならないということを覚悟してください。
 私も、引き上げかけられ、故あって、途中で階段を降りた人間なので、人のことはあまりいえませんが、今、七側県で仕事をしていて、この人、頭いいなと感じる人はほとんどいないです。まぁ、私も、上り詰めて、天上界の地平を見たわけではなからなのかもしれません。
 ここから下のパートは、少しヒガミややっかみと聞こえてしまうかもしれません。降りた人間だからこそ、第三者的に物事を見ることができると思っていますし、この現状を憂いていると言っても良いかもしれません。しかし、話半分で読んでください。どっちみち、フィクションですので。
 多くの職員が、脳ある鷹は爪を隠しているのかもしれませんが、そんな感じもしません。
 七側県は、直近の総合計画を策定する際に、論理モデルのようなものを、鳴物入りで導入しましたが、使い方が分からず、知的レベルとマッチしないので、手に余して、どこが論理モデルになっているのか、さっぱりわからないというのが、実態です。
 また、現状の課題の把握も中途半端なので、その結果の解決策も全く理解できない議論になってしまう。七側県では、高い地位を占める方々が、率先して、そういった中途半端な議論をやっている。
 こうして、論理的に、何が正しくて何が正しくないのか、全く訳のわからない混沌の中で、職員は仕事をしている、つまり、迷走した集団になっているのです。
 こうした混沌さにさらに拍車をかけるのが、社長の存在です。これについては、次の項目で、お話しします。

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