『孝元天皇が物部氏と連携』①
<これまでの記事の振り返り>【3世紀中頃】に「銅鏡の文化」が北九州から大和にシフトしていき、そのころ纏向遺跡(奈良)にて古墳が作られ始め、古墳に銅鏡が埋葬されるようになります。この「纒向遺跡」の成立が『実質的な日本の建国』と考えており、この仮説をベースにいろいろと調べてきました。
これらを理解するために、ここまで次のようなことを調べてきました。
(1)孝霊天皇(7代)の皇子「吉備津彦命」
(2)開化天皇(9代)の皇子で「彦座王命」とその息子「丹波道主命」
(補足)四道